25.コードルモールの祭事(4)

 あまりの豹変に、しかし孝太郎は何でもない振りをした。下手に口を開くより安全だと思えた。これ以上ルクス国民の感情を逆撫でするような真似はできない。

 そう、この視線は、無知な罵声を浴びせてしまったときのそれと似ている。いま自分は周りの顰蹙を買っている。それを口にするなと凄まれている。


「……止めよう、この話」

「アハハッ! おもしろいっしょ? みんなプライド高いの」

「おい」

「いい加減認めないとさぁ、落ちたってこと……」

「頼む」


 孝太郎の首に冷たい汗が流れる。拝むようにして黙れと頼んだ。視線が強まっている。このままだと、血が流れる。

 しかしイングリットはケラケラと笑った。


「賠償金まだ払ってないしー、戦時国債も払えてないしー」


 彼女が口を開くたび、この場は険悪さを増している。もう食器の鳴る音さえ聞こえない。

 孝太郎が怒りと困惑を顔に出してもイングリットは止まらない。むしろさっきより声を大きくしている。


「次スキャンダが来たらどーすんの? てかどこが来ても終わりなんですけどー。いま現在クソザコなのわかれー」


 ――マズいっ!

 ダンッと誰かが机を叩いた。立ち上がって、ここに来る――。


「でもみんな助かりたいらしくてさ、だから、国王を売るんだって」


 空気が沈み、やがてフードコートは重い平穏を取り戻した。

 孝太郎は立ち上がりかけた腰をゆっくりと元に戻した。



「絶対王政を、解体する」

「そ、なんとオーズ王からの提案らしいよ。自分の息子と現ルクス王が結婚すれば、代わりに全部支払ってくれるんだって。後任には、親戚ののぺーっとした奴が代わりになるんだって」


 二人は変わらずフードコートにいた。ただテーブルの上には新聞とバナナの代わりにフルーツジュースが二つ乗っている。喉の渇きを癒やすため、イングリットが購入した。

 孝太郎が唇に触れる。


「実質的な、従属、臣従関係になるわけか。対等な立場が崩れ、オーズの息のかかった王の元でルクスは再建を図る」

「そゆこと。いやぁ魔人とはどーすんでしょーねー」


 そう言いつつ、イングリットはグラスを傾けた。


「プハッ! ま、そんな感じなわけ」

「……いいのか?」


 孝太郎が聞くと、イングリットは顎に手を乗せ考える素振りをした。


「いいんじゃない? のぺのぺしてても、傍系でも、一応王族だし」

「違う。おまえはそれでいいのか?」

「んー? インちゃんよくわかんない」


 イングリットは唇を尖らせておどけた。孝太郎が嘆息する。


「はぁ――女王は、イングリットは、自分が売られると知って、どう思っているだろうな?」

「ルクスってさ」


 イングリットはテーブルに肘をつけ、両手の上に顎を付けた。ジッと孝太郎の目を見て微笑む。


「アタラシア大陸で一番の、最高で最強の国。だったんだって――」


 ――アタラシア大陸に千年以上前からあったこの国は、どこよりも先に魔人に頼み込んだんだって。魔人の住むブリタン島、あれだって元はルクスの物らしいよ。

 周りがどんどん魔人と手を切っていく中、誇りあるルクスはその関係を保持し続けて、内乱が起きたりなんだかんだありながら、結局いまの絶対王政に行き着いたわけ。つまり張ってたのは王族とその周辺だったってこと。……ここまではね。

 国民まで意地っ張りになってきたのはその後、いよいよ魔人と手を組んでるのが自分たちだけになってから。なんでか分かる?

 そう。異世界人がさ、みんなうちに来るようになったわけ。これが強いのなんのって。知ってる? ……そう、知ってる。つまんないの。

 そ、異世界人のその特性、神から与えられた才能は、この国を世界一にした――。


「最盛期で100人近く囲ってたんだって」

「そんなに!?」

「アハハッ! いい顔じゃん。――ま、その時期からルクスの人ってのはさ、偉そうにしてきたわけ。世界一の歴史、世界一の文明、そして世界一の軍事力、その影響力はアタラシア東端にまで及んだのでしたー」


 イングリットはパチパチと手を叩いた。


「アハハッ! ま、調子に乗るよね」

「……国を誇りに思えるのは良いことだ」

「うん。でも、いつまでもその時の気分なのヤバくない? 思い上がっちゃってさ、? 再建できるって信じてるのヤバない?」


 イングリットはゆっくりとグラスに手を伸ばした。


「なんで、誰も声あげてくんないんだろうね? うちらの王様だよ? 王を渡すなーって、なれよ。魔人を毛嫌いしてる奴らならともかく、なんでみんな黙りするの? この国がずっとやってこれたのは、誇りを持ってこられたのは、が頑張ったからなのに――あっ」


 イングリットがジュースを零した。


「おいおい」


 孝太郎が近くにあった布巾を手に取り、すかさず拭いていく。


「服には?」

「大丈夫、自分でやる。はぁ、サイアク。……ま、そんな感じでキレてるんじゃないかな」

「そうか」


 すべて拭き終えると、孝太郎はイングリットを見つめて言う。


「どうやら、この国の女王が一番プライドが高いらしい」

「は?」


 イングリットは歯が見えるほど口角を歪ませて威嚇した。


「……。おまえは拒否できる、その汚れた袖口を俺に拭かせなかったように」

「だからなに?」


 まったくもって困った少女だ。孝太郎はそう思いながら話を聞いていた。国王を売る、そう聞いて周囲が押し黙ったのはなぜだ。後ろめたさがあるからだ。誰も国王を売ることに反対しないのは、王自らが何も示していないからだ。それが王の決定だからだ。

 ルクス国民はそれだけ、王に心酔している。王が身を投げうつ、それが正解なのだろうと信じている。だからこそ、この国は再建できると信じている。

 だから平和を維持している。

 思考停止にも思えるが、彼らはそれだけの信頼を目の前の少女に抱いているはずだ。


「女王も婚姻を拒否できたはずだ。なんでしないんだろうな」

「そんなことできないっしょ。だって……」

「ルクスは崖っぷちだもんな」


 イングリットは黙り込んだ。

 ――助けてほしいのに助けてと言わないのは、言えないのは、苦しいよな。

 孝太郎はイングリットの手を取った。


「ちょっ、は?」


 戸惑うイングリットを優しく包むかのように囁く。


「諦めるな。俺がいる。――俺がこの世界に来たのは、その為だろ?」

「え? そうなん?」


 イングリットはポカンとしていた。


「……違うの?」


 ドヤ顔のまま、孝太郎はゆっくりと手を離した。

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