15.これがこの国の中枢か(3)

 やわらかい風が吹いている。体をふわりと包むような優しい空気だ。手で触れられるとしたら、ぷにぷにしているかもしれない、そんな可愛らしい雰囲気だ。


――クールン――


 ちよの固めたそんな魔力は、冷却の呪文によって氷へと変容し人の顔を成した。


「おおおお、すごいな。俺の顔だ」

「えへへへ」


 ちよは顔から頭にかけてを照れくさそうにこすっている。もじもじと体も落ち着かない。まるで褒美を待つ犬のようだ。しかし犬ほどこらえられていない。さぁ褒めてくれ、と孝太郎の手を頭の上に強引に持っていっている。


「ねぇ! すごいでしょ!!」

「ああ。すごい。すごいぞちよ。こりゃすごいぞ」

「えへへへへへ」


 孝太郎が頭をなでてやるとちよは飛び跳ねて喜んだ。

 氷でできた孝太郎の顔をじっくり見つめて、ヘラが興味深そうにため息をつく。


「ほう。不気味なほど似ている。こんな細かい魔法まで行使できるとは。ギフトとはやはり非常のものだな」

「えへへへ。撫でてくれてもいいんだよ?」


 ヘラは「よしよし」とちよを撫でた。ちよは嬉しそうに笑った。

 

「孝太郎殿、どうだろう。これを見て魔法をできる気はしないか?」

「うーん……」


 あの後、兵士たちはそれぞれの訓練に励んでいる。孝太郎、ちよ、ヘラの三人は彼らから距離を取って練兵場の隅に集まっていた。

 孝太郎がどんな魔法の才能を贈られているか確認するためだったのだが、


「――だめだ。魔力を練るっていうのがそもそもわからん」

「……そうか。うーむ、おかしい。基礎魔法も扱えないなんてことがあり得るのだろうか?」


 どうにも、彼に魔法の才能はないようだった。ヘラは首をひねって唸っている。


「うーむ、うーむ。うむむむ、……もう一度、ヴェルメと唱えてくれないか。さっき教えた通りに」

「まずは魔力を練って形を作る、だったな。やってみよう」

「おにいちゃんがんばって!」


 孝太郎は目を閉じて精神を集中する。右腕を伸ばし、左手で支え、開いた手のひらの前に顕現するのをイメージする。イメージが固まったら、魔力を変容させる言葉を放つ。


「ヴェルメ」


 しかし何も起きなかった。

 ヘラがポカンとした顔で彼を見る。


「……孝太郎殿、魔力を練るのだ」

「いやだから、それがよくわからんのだって」


 孝太郎は困ったように頭をかいた。そもそも自分の中に魔力を感じないのだった。まったく平時、平常通り。体の具合が前の世界にいたときと変わっていないように思う。


「うーむ、よし。孝太郎殿」


 そう言いつつ、ヘラは腰に差していたロングソードをするりと引き抜いた。それは柄から刃の中腹にかけて大小の宝石が埋め込まれた歪な刀剣だった。


「これは我が家に伝わる宝剣『双月たなびく叢雲』だ」

「えらく意味深な名前だな。長いし」

「ん? あぁ、意訳されたか。――とにかくこれを持つのだ」


 ヘラは孝太郎の両手に宝剣を握らせた。

 その予想外の重みに彼の肩が落ちる。ヘラがあまりに無造作に引き抜いていたものだから油断していた。刃先が地面に付かないギリギリの高さで、だらりと宝剣を保持する。

 ヘラが言う。


「宝剣に流し込むイメージで唱えてみろ。成功すれば魔術が発動する」

「魔術? どんな?」

「いいからやってみろ。やればわかる」

「……やってみよう」

「おにいちゃん、ガーっとぶち込むんだよ!」


 孝太郎はただ頷いた。ちよの説明はずっとこんな感じでまったく頼りにならなかった。彼女は感覚派すぎる。

 孝太郎は宝剣をじっと見つめて集中する。どうにかこうにか魔力を流し込めないか模索している。


「……うん、分からん。分からんけど、とにかくいくぞ。ヴェル……」

「ほっほ」


 宝剣を握る手の上に、しわがれた手が置かれた。


「――!?」


 孝太郎が飛び上がる。声の主は目の前に立っていた。

 彼はさも始めからそこにいたかのように悠々と立っていた。背が低くしかしガッチリとした体形は小回りの利く重戦車を思わせる。つるりと禿げ上がった頭の代わりに真っ白な髭をたっぷりと蓄えて、軍服のジャケットは前を開いて突き出た腹を惜しみなく晒している。ジャケットに付けられた勲章は彼が笑うたびにジャラジャラと揺れた。


「ほっほ、待ちなされ。そのままだと埋まってしまうぞ」

「だ、だれだ!?」

「グスタフさん、おはよーございます!」


 ちよが挨拶した。


「ほっほ、おはよう。今日も元気じゃのぉ」

「げ、元帥殿! おはようございます!」


 ちよの声に周りの兵士たちが慌てて最敬礼をし始めた。彼がここに来たことに誰も気が付かなかったようだ。


「うむ、おはよう。お勤めご苦労。おぬしらは今日もよく頑張っておる」


 グスタフはその整えたカイゼル髭をいじる。その表情はにこやかだった。


「ヘラ」


 その名を呼ぶまでは。


「はっ! 元帥殿! おはようございます! ヘラはここにおります!!」

「おぉ!?」


 孝太郎が背後からの声に叫んだ。いつの間に回ったのか。

 グスタフが額に手を当て、呆れたように嘆息する。 


「ここにおりますじゃないわい。また気配を消しよって」

「元帥殿違うのです。気配を消したのではなく、消えてしまったの間違いです」

「うっさいわ。まったくいつもいつも――せっかくの来賓を生き埋めにするつもりか」


 グスタフはそう言って宝剣を指さした。ヘラが平然と答える。


「いや、そういうつもりではないです。――どうせ発動しないだろうなと思って」

「まて、まてまて、生き埋めってどういうことだ。発動してたらどうなったんだ?」


 ゾっとして孝太郎が聞くと、ヘラはなんともなしに言う。


「その宝剣には発動者が指定した空間と発動者のいる空間を入れ替える魔術が仕込まれている。つまりスイッチングするわけだが――さきほど宝剣に魔力を込めようとして、顔が地面を向いていただろう? だから地面に生き埋めだな」


 ――こいつホンモノのバカか。

 孝太郎の顔はサッと青ざめた。ヘラの頭空っぽの行動に怒るよりも恐怖を覚えた。バカすぎて怖い。彼女ののほほんとした表情は孝太郎が今まで見てきた誰よりもアホの顔だった。


「おまえ……頭カランコロンか?」

「むっ、なんだその軽そうな音は。私をバカにしているのか」

「そうだよ! 発動したらどうするつもりだったんだ!?」

「そりゃ助けるに決まっているだろう。そしてひれ伏して謝る」


 ヘラは胸を張り、騎士然と答えた。


「許してくれと誠心誠意、孝太郎殿が許してくれるまで謝る。謝り倒す。地面に頭をこすりつけるのは得意だ。舐めろと言われたら全身くまなく、便器まで舐める覚悟もしている。――これで余裕の解決だ」

「えぇ……」

「こやつは本当に、こちらが勘弁してくれと思うまでやりおるぞ」


 ドン引きする孝太郎にグスタフが言った。

 ちよが言う。


「おにいちゃん大丈夫。発動する前に私が止めるつもりだったから」


 ちよは申し訳なさそうに頬をかいている。


「ごめんね。おにいちゃんがホントに魔法使えないのかなって思って、知ってて黙ってた。ホントにごめんね」

「ちよは悪くない。謝らなくていい」

「おまえが言うな、それは俺のセリフだ」


 初めて会ったときはまともな人物だと思えたのだが。やっと見つけた大人の女性でもあるし、上手くやっていきたかった。

 孝太郎は深く嘆息した。今後、自分から彼女に近づかないようにしよう。

 

「ほっほ。――ところで姫の姿が見えんのじゃが、お主ら、何か知らんか」


 ……ヘラが消えた。

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