7.戦闘海域(1)

「見えた」


 暖かな星の下、暗く冷たい海、そのどちらの終わりも示す淡い光が水平線上に現れた。ウーの声に、孝太郎は横に置かれていた双眼鏡を手に取る。


「……バケモノ」


 眼球の葡萄、いや、目蓋があることから松ぼっくりと言えるか。大きさと形の異なる、この世の種々の生物の瞳。それが間隙なく詰め込まれた集合体。見る者に凍えるような嘔気をもたらす。

 それは大陸を目指して飛んでいる。翼やプロペラのようなモノは見えない。ただ風に吹かれる木の葉のようにフワフワと、しかし確実に目的を持って飛んでいるように見える。悪しき思惑がその瞳らに蠢いているのが分かる。

 集合体を包み込むように飛んでいる魔人のプロペラ機がある。淡い光は彼らが集合体に向けた照明だったようだ。彼らの数は多い。しかし集合体から見ればスズメバチぐらいな大きさの物だろう。果たしてそれにとって、それほどの脅威であれば良いが。

 孝太郎は自ずと息を殺した。まだ集合体は遥か海にある。しかし、理屈では拭えない恐怖と、何よりルクスにいる妹への想いが胸に宿っていた。

 ――ここであれを殺らなければ、ちよが……。

 その決心はのび切ったゴムに似ている。

 いまにも凍え死にそうな老人のように震える体で何を為せるというのか。

 その時、ウーの胸ポケットが振動した。彼女は固く真剣にしていた表情をニヤリとほころばせた。


「へへ。孝太郎、取ってくれ」

「わかった」


 孝太郎はウーの胸ポケットからガラケーを取り出し――


「――ちょっまてっ!」

「うおっ。いきなり大声出すなよ……落とすところだったぞ」

さ……」


 ウーはプックリと頬を膨らませていた。


「ちょっとは躊躇ったりしろよ!」

「え? あー、そうか、すまなかった」

「ったく! こんなナリでもうちだって……」

「操縦桿に触れてしまったかな。すまない、もうそこに敵がいるのに油断していた」

「は?」


 ミシッと音がした。ウーがその両手に握っている操縦桿から。


「カッチーンだわ」

「え?――」


 ウーは身体ごと操縦桿をひねった。機体がロールを始める。


「うぉぉぉ!?」


 およそ人では制御不可能の力動。孝太郎は翻弄されつつも必死にウーに抱きついて抵抗している。


「お、おち、落ちる! ウー! 落ちる!」

「お、ま、え、なぁぁ! ガキだと思ってなめやがってぇえ!!」

「――すまんすまん悪かったから! 電話も鳴ってるから!」


 ウーは平常通り、人を揶揄う余裕を見せた。孝太郎はそのことに少し救われたのであった。



 ひとしきり回ったあと、ウーは息を切らしながら電話に出る。ガラケーは孝太郎がウーの耳にあてている。


「はいよ!」

『こちら第二艦隊中等空母ロイトンのリーンです』

「――ぁ」


 それはハキハキとした若い男の声だった。ウーは困ったように笑って、どこかソワソワしている。声も小さくか弱くなっていた。


『哨戒機の通信を受け、他の誰よりもいち早く駆けつけました』

「お、おう」

『総代、……ウーさん。これで100体目です』

「うん……」

『……楽しみにしてます』

「うん」


 ウーは前髪をいじる。少し顔が赤い。口元が柔く空気を噛んでいるかのようにハッキリしない。


「や、約束だもんな」

『はい。――総代はそこで見学していてください。いつも通り、倒します』

「うん、見とく。……その、うちも楽しみにしてるから、ガンバって」


 電話向こうの声が熱くなった。


『は、はい! それじゃまた後で!』

「うん……。――はあぁぁぁぁぁ……」


 電話を終えると、ウーは茹だった体を冷ますように長いため息をついた。パジャマの胸元を開いて手で仰いでもいる。

 空気を読んで黙っていた孝太郎が口を開く。


「恋仲か。良いものだな」

「ばっ、ちがう! うちが一方的に言い寄られてたんだ! 100体星落としを討伐できたらデートしてやる、って言ってカワしてたら、こいつメチャクチャやる気だしちゃって」

「でも悪い気はしていない」


 ウーは顔を真っ赤にしてうつ向いた。孝太郎からウーの顔は見えないが、抱きしめている少女の体温に大体察していた。火傷しそうなほどアツアツだ。


「やっぱりか。良いもんじゃないか、上司と部下の恋、というか少女と船乗りの恋? ん? なんだ何か変だぞ。――いや、まてまて、そうか相手も少年か。……ん?」

「……生まれて25年のベテランだよ」

「なに? 俺と同い年だと? それじゃロリコンじゃないか」


 孝太郎は呆れたように嘆息した。


「この世界にもそういう趣味のあるやつがいるのか。まったく、赦されんぞ。――ウー、今からでも断りを入れるべきだ」

「リーンよりうちの方が年上だからいいんだよ」


 孝太郎は即答する。


「いいやダメだ。見た目が許されん。そいつは自身の少女趣味をあんたで解消しようとしている」

「おまえ何てこと言いやがんだよ……。まぁ、確かにそのケはあるけど」


 ウーはほっぺを両手で挟んで軽く揉みほぐす。まだほんのり熱いようだ。ニヤケ顔が直らない。


「でも、うちにあんなに言い寄って来たやつ初めてだったから」

「……そうか」


 そう言って孝太郎は目を閉じた。本人がそれで好いと言うなら文句はない。

 だが、


「……あのー、ところでウーさん、歳はおいくつですか?」

「は?」


 自分よりも年上なことが確定したロリっ子に、孝太郎は低姿勢で臨むのであった。



「艦長、総代へは連絡つきましたか」


 中等空母ロイトン艦橋。星落としから身を隠すべく、ほぼ全ての照明を落として航行中であるため多くの魔人の詰める指揮所といっても薄暗がりの中にある。

 リーンに話しかけたのは彼が新人の頃から良くしてもらっていた先輩だった。


「はい! コユキさんに言われた通り、念押しもしておきました」

「それは何よりです。総代は押されることに慣れてませんからね。変にカワされないように逃げ道をなくすことは大事です。――その様子だと、いい返事がもらえたみたいですね」


 リーンは頭をかいてはにかんだ。


「はい。……はぁ、ドキドキします」

「たしか、初めて会った時から、でしたね」

「はい。ひとめぼれでした。……僕の人生は全てこの日のためにあったような気がします」

「ふふ、気が早いですよ。それはデートの当日に取っておきましょう」


 コユキはリーンを見て微笑んだ。戦闘時に艦長としての顔を崩さない彼が、すっかり骨を抜かれて浮かれている。

 リーンは抑えきれないというようなため息をついて、軍服の胸元を開いた。


「ちょっと、出てきます」

「あら? またですか」

「電話じゃないですよ。その、落ち着かないので、甲板で風を浴びてきます」

「それは……」


 コユキは顔をしかめた。それを見てリーンがにこやかに笑う。


「心配いりませんよ。網はもう出来上がります」


 そう言うと、彼は落ち着かない足取りで艦橋を出ていった。

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