鷲竜‐イグルス‐
「ふう」
少しずつ、俺一人で任される仕事も増えてきた。
「えっと、この羽はこの子のやつで……」
保護施設には四匹の鷲竜がいるので彼らの縄張りは今羽だらけだ。
そして、その抜け落ちた羽は元の持ち主がわかるように分けて持ち帰るように、と言うのが師匠からの指示だった。
『抜け落ちた羽も立派な研究資料だからね』
との事。
「グェア!」
「ん? 首が痒いの?」
彼らは俺がここに来て最初に見せられた竜でもある。最初は全員同じ顔にしか見えなかったが、今では羽の色合いや目つき、嘴の形なんかで見分けがつくようになり、ある程度なら意思疎通もできるようになっていた。
「うわっ、ごっそり羽が抜けた」
言われた通り、地面に横たわる一番大きな鷲竜の首回りに指を立てて擦ってやると、その指の間に立派な白いマダラ模様の羽が挟まっていた。
「……あれ?」
だが、ヒヤリとした空気が掌を通り抜け、まるで綿飴が溶けたように跡形もなく、その羽は消えた。
それが今回の一件の始まり。
一通りの作業を終えて、師匠に集めた抜け羽を手渡す際に、先程の羽の消滅について聞いてみた。師匠のことだから、嬉々として俺の知らない竜のことを教えてくれると思ったのだが、師匠の返事は少し予想外だった。
「……そっか。うん……」
節目がちで覇気のない声。なんとなくだが、聞いてはいけないことを聞いたのではないか、と思っていた俺に師匠は静かに続けた。
「それはね。羽が還元化したんだよ」
『還元化』
師匠から教わったその言葉の意味は「竜の死」
寿命を迎えた竜はその肉体を別の物質へと変換し、その存在の痕跡を残さない。
例えば、海に住む魚竜の体は塩化ナトリウム、つまり塩になって海に溶ける。樹竜は腐葉土となって次の命の土台となる。
それが竜の最期だと。
「……あ、そっか」
意気消沈とした師匠と別れ、自室にベッドに横になったままあることに気づいた。
竜の亡骸が還元化すると言うのなら、竜の体から切り離されたものもいずれは還元化するのではないか?
抜けた羽や脱皮した皮や鱗などはそれ単体で見れば生きているとは言えないだろう。
「……あれ?」
俺はベッドから起き上がり、作業デスクに保管してある今まで出会ってきた竜から貰った一部を確認する。
蜘蛛流の体毛、水銀竜の体液、蚕竜の糸、楓竜の葉や犬竜の唾液。瓶詰めや標本化したそれらのうち、古いものの一部はたしかに還元化は起こっていた。
「先月のヤツとかは全然変わってないな」
体から離れてから還元化まではかなりタイムラグがあるらしい。では、なぜあの鷲竜の羽は一瞬にして消滅したのか。
その答えはすぐにわかった。
「弟子くん、悪いけれど、しばらく買い出しを任せてもいいかな?」
翌朝、朝食の席で師匠は手を合わせてそう言った。
我が家では家事や買い物は当番制という決まりだったが、師匠が論文なんかで忙しい時は俺の担当が増えることはよくあったので、またそのパターンだろうと思って承諾した。
だけど、師匠はいつものように書斎に籠ったりせず、空いた時間のほとんどを件の鷲竜の元で過ごすようになった。
柔らかなブラシで羽の汚れを落としてやったり、横になったその馬ほどの身体をマッサージしてあげたり、ミキサーにかけて液状化した鶏肉を少しずつ柄杓で口に注いでやったり。
俺は師匠がしているその一連の動作に覚えがあった。
『爺ちゃん、身体拭くから、背中向けて』
『……悪いな』
『いいよ、別に。世話になったから、恩返し』
『……可愛げのない、答えだ』
ああ、そういうことか。と理解した俺はできる限り、師匠の分の家事も受け持つことにした。
「グワァ……」
大きなあくびをして、その鷲竜が体を丸める。
灰色っぽかった体色はもうほとんど白に変わっており、一日のほとんどを寝て過ごすようになっていた。
「師匠、お弁当持ってきました」
「あ、弟子くんありがとう」
「……疲れてるでしょう? 代わりますよ?」
人間と竜、どちらが大変かというのはわからないが、師匠はもう1ヶ月ほどは、一日のほとんどを野外で過ごしていることになる。それだけでかなりの体力の消耗につながるはずだ。
「君はいい子だね。ありがとう、でも……私がやりたくてしていることだから」
『俺がやりたくてしてることだから』
「そうですか、わかりました」
俺はそれ以上は何も言わないことにした。
「……この子は私がこの施設に来て、最初に仲良くなったの」
師匠は優しい手つきで白くなった羽を撫でる。
「私が勝手に竜に会いに行って、迷子になる度に探しに来てくれて。背中に乗せて連れ帰ってくれたの。その度におババ様……私の師匠に怒られてさぁ」
師匠の昔話をちゃんと聞くのは初めてかもしれない
「グゥ……」
話しているとその声に釣られたように他の鷲竜達が集まってきた。
灰色の子、茶色の子、黒色の子。俺達が他の国に行くときに乗せてくれる鷲竜達だ。
「この子達もお世話になったんだよね……喧嘩の仲裁とか、人を乗せた飛び方を教えたりとか」
三匹の鷲竜達は周りを囲み見下ろしていた
白い鷲竜はゆっくりと重そうに瞼を開けると、自身の周囲にいる若い鷲竜達一匹一匹と目を合わせて、最後に――
「クワァ」
あくびのような小さな鳴き声をあげてまた目を閉じた。
彼らは何を言われたのだろうか。俺にはその言葉の意味はわからなかった
だけど、たしかに彼は何かを伝えたのだろう。その証拠に鷲竜達は互いに顔を見合わせると三匹ほぼ同時に飛び上がり、どこかに行ってそれから最後の最後まで白い鷲竜の前には現れることはなかった。
そして、ある日の朝、まだ日も登る前に師匠が俺を静かに起こした。
「弟子君、行こうか」
どうやら今日がその日らしい。
俺はすぐに着替えて、寝ぼけて眼をショボショボさせているガルを抱き抱え、師匠と共に白い鷲竜の眠る草原に向かった。
その途中、馬竜が遠巻きに俺達を見つめていたが、しばらくすると踵を返して地平線の向こうに走っていった。
鷲竜は両肩の翼に包まれるように眠っていたが、俺達の足音に気づいたように目を開けてギョロリと師匠に視線を向けた。
そして、まるでこの瞬間のためだけに力を温存していたというように数ヶ月ぶりに4つの足の裏を地面につけて、フラフラとして立ち上がり師匠の前に首を差し出した。そして、ゆっくりと師匠がその首に抱きついた瞬間、鷲竜は足先から編み物の糸が解けるように消えた。
「おやすみなさい」
虚空を抱きしめる師匠と共に俺たちは夜明けをみつめた。
「鷲竜は何も、残らないんですね」
「それは違うかな、鷲竜の還元化はね『酸素』なの」
「酸素、ですか」
「そ、つまり……あの子は文字通り風になったんだよ」
古来より竜は確かにこの世界に存在していた。それは世界中に点在する様々な伝承からも読み取れる。幾多の竜の伝承や、巨大な空想上とされた生き物達。
例えば、グリフォンと呼ばれる生き物は一般人が鷲竜を目撃した結果だと言われている。
師匠曰く竜の寿命は数百年から数千年。
もしかしたら、俺が知っているグリフォン伝説の正体は大昔の彼、だったのかもしれない。
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