蚕竜‐紡糸蝶‐


「アンタがシスターの弟子? 情けない顔してるわね」

「……誰あんた?」


 俺と師匠の家に突然押しかけてきた異国の少女は俺を見るなりそう言った。


「私? 私はアイリス。竜学者よ、知らないの?」

「俺より小さいのに…?」

「身長は関係ないでしょ!」


 いや、顔つきとかそっちも含めてなのだが………とりあえず成人には見えないので疑わしさはありながらも犯罪者ってわけでは無さそうとも思った。


「それで、シスターはどこよ?」

「シスターって、師匠のこと? それなら、確か……シンガポールで論文発表があるって」


 俺は今回は留守番を命じられた。

 竜学者の人の集まりなら行きたかったが、今回は長丁場らしく施設の管理役が必要とのことだった。


「oops! すれ違いじゃない、せっかくついでに寄ったのに」

「そう言いながら、なんで座ってんのさ」


 アイリスは何故か馴染みの喫茶店の席を取るかの如く、リビングの椅子に腰掛けた。


「お客様に紅茶の一つも出さないなんて不出来な弟子ね」

「むっ……」


 師匠の名誉のためだ、ここは従う他ない。

 ただ、ムカつくので持てる技術と師匠の隠しているとっておきの茶葉を使ってアイリスとかいう子をギャフンと言わせてやろう。


 紅茶を持ってキッチンからリビングに行く

 するとそこには青々とした葉っぱの山と雪のように白くモコモコとした小さな丸い生き物がテーブルの上にあった。


「それ……竜?」

「そうよ、見てわかるでしょう?」


 そう言いながらアイリスは葉っぱを一枚掴み、その白い竜の口元に差し出す。するとその竜はモソモソと啄むように葉っぱを咀嚼そしゃくした


 艶やかな短い白の体毛に包まれ、四肢や肉体は少し肥満気味に感じるほど丸々としている。アイリスに食事を与えられる様も相まって赤ん坊のような印象をうける。

 腹脚がある、ということは蟲竜だろう。よく見れば頭部にはヒクヒクと動く毛の生えた触覚もある。


「……ダンゴムシ?」

「毛の生えたダンゴムシなんているわけないじゃない。全く失礼しちゃわね、シルキィ」

「ぷす」


 シルキィ……? 


「もしかして、カイコ?」

「そうよ、蚕竜のシルキィよ。ほら、ご挨拶」

「ぷしゅ」


 アイリスの言葉を理解しているようにシルキィと呼ばれた蚕竜はこちらに顔を向けた。


 蚕竜は再びアイリスの手元の葉っぱをもしゃもしゃとかじり始めた。


「……って! どこから連れてきたのその竜!?」

「うるさいわねぇ。鞄に入れて一緒に来てたのよ。シスターに届け物があって」


 俺の知らぬ間にテーブルの上に置かれていた木箱を指さす。中を覗いてみると、白い糸の束が敷き詰められていた。


「まあいいわ、シスターが戻ってきたら渡しておいて」

「なにこれ?」

「シルキィの糸に決まってるじゃない」


 決まっていると言われても困る。


「蚕の糸ってことは……これ絹糸だよね」

「そういう事になるわね」


 服飾に詳しいわけではないが、絹が高級品だということは知っている。結構すごいことなのではなかろうか。


「……あれ、これ、溶けてる?」

「えっ?! 嘘!」


 木箱の中の絹糸は幾つかの束が帯で結ばれているのだが、そのうちの一つだけがへにゃりとヘタっていた。


「日付はいつの?」


 アイリスの質問の意図が分からず首を傾げていると、彼女は呆れたというようにため息をついた。


「帯に書いてある日付よ」

「それなら、半年前」

「一番古いやつね……持ってくるときはそんなことなかったから、移動中のこと、あるいは環境の変化?」


 アイリスはぶつぶつと思考を口に出し始める。


「あんたはどう思う? なんでもいいわ」

「えっと……一番古いっていうなら、劣化じゃないかな」

「そうね、それが一番可能性があるわ、シスターには悪いけど。研究室を借りるわ!」

「あっ、ちょっと!」


 アイリスは俺の手元から溶けかけた絹糸の束をひったくり家の奥に勝手に向かっていった。


「ちょっと! 機材の場所分からないんだから、あんたも手伝いなさい!」

「えぇ……」


 あのアイリスって子、師匠とは別の方向性で自由だ……でも。


「本当に竜学者だな、あの子」

「はーやーくー!」

「ああ、分かったよ、行くから実験室の物を勝手に触るなよ!」


 ついでにさっき入れた紅茶のマグカップを両手に、俺も彼女の後を追って研究室に向かう。たまに師匠の手伝いをしているので、一通りの使い方は知っている……はず。




 論文発表から返ってきた師匠に、勝手に実験室を使ったことを謝りながら先日の一件の事を話すと笑って話を聞いていた。


「アイリスはねぇ。私の育て親のところの見習いでね……私の妹弟子になるのかな?」

「ああ、だからシスターって」

「かわいいでしょ」

「師匠にそっくりです……」

「あら、私褒められた?」


 勢いで色々とやっちゃったり、人を振り回したり、説明が時々足りない所とかの話です師匠。


「それで、糸の研究はできた?」

「さっぱりです……なんなんですか?」

「それは私も分かんないかなぁ。調べるために持ってきてもらったわけだし」


 なんか、また来るって言ってたな、あの子。


「あぁ、でも。弟子くん。一つ約束」

「はい?」


 師匠が珍しく真剣な目をしてい俺に言った。


「蚕竜の事は誰にも言っちゃだめだよ」

「なんでですか?」


 竜の事は一般人には秘密だ。わざわざそう言うってことは竜学者にも秘密ってことになる。


「蚕って虫はね。人間が作ったの。品種改良してね、だから、自然では生きていけない」

「……あれ? 師匠、確か『竜』って地球中の生き物達の『イメージ』が生み出した存在、ですよね」


 例えば、火竜が生物が持つ火への恐怖や痛み、そして暖かさを形作っているように。

 それが『竜』だ。

 では、「自然に存在しない生物」の竜を生み出すとすれば、そのイメージを作っているのは……。


「蚕竜はね……ヒトのイメージだけで作られた唯一の……違うね、最初の竜なの。だから、ちょっと取り扱いは気を付けないといけない。竜を悪用しようとする人間、ってのは弟子くんも知ってるでしょ?」

「はい……」


 そもそも、そういう人間のせいで、俺は師匠や、ガルと出会ったのだから。


「わかりました。約束は守ります」


 師匠が一番恐れているのは多分、もっと怖いことだと思う。

 人間のイメージだけで竜が生み出せるのなら

 いつかヒトは竜を造り出してしまうのではないか、そんな遠い未来の話。


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