夜影の大通り/日曜日夜


 話しているうちに、近くの学校から最終下校のアナウンスが聞こえてくるような、そんな時間になっていた。

 日暮れ時となった空からは相変わらず雨が降っていて、達也は少し気落ちする。


「今日は本当にありがとう。

 ……また明日くればいいのかな?」

「ええ。もし道が分からなければ駅でさまよってて下さい。見つけられるので」


 黒羽の自宅、玄関で振り返りながら言った達也に、黒羽は頷きながら言う。

 また変なことを言うな、と達也は思ったが別に気にならなかったので流した。

 だるそうにしてるのに玄関まで見送りに来てくれる辺り、黒羽は結構優しい子だと思う、態度はだいぶやさぐれているが。


 靴を履いて、傘を持つ。

 じゃあ、ともう一度振り返れば、黒羽は不思議な色をした瞳を瞬かせ、告げる。


「気をつけて。

「……うん?、わかった」


 にっこり、ある種の警告であった黒羽の言葉を純粋な心配と捉えて笑みを浮かべ、

 達也は外へ出ていく。

 頼りない背中を見送りながら、黒羽は大仰に肩を竦めた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 太陽は沈んだ、今夜は月も無い。

 雨の降る街に夜が染み渡る。


 誰も知らない夜だから、誰が死んだって問題ではない。



「────は?」


 思わず、と言った調子で達也は呆然と立ち尽くした。

 達也がいるのは街の大通り、

 日暮れはとっくに夜になっていて、達也は戸惑う。


 黒羽の家を出てからここにくるまで、一切の記憶が無かった。

 どこをどう歩いてここに来たのか、そもそもここが何処なのかさえ分からない。


 雨の降る街の中、何時の間にか傘が手元から無くなっていてずぶ濡れだ。

 家に帰ろうと歩き出して、瞬きをした瞬間、次に目を開けた時にはここにいた。


 まるで誰かに操られて、勝手に歩いてきたかのように。


 走る悪寒の正体が訳の分からない現状に対する恐怖なのか、単純に寒いからなのかも分からないまま達也は辺りを見渡す。


 何度見たって大通りだ、駅前からは外れているようで見覚えもないし通ったこともないが、標識から見るによその街にいる訳では無いらしい。


 車通りはゼロ、周りを歩く人々もどこか様子がおかしかった。

 こんな雨の中、誰一人として傘をさしていないのだ、ふらふらと歩いて、瞳は虚ろ。


 まるで、黒羽と出会った横断歩道にいた、

 憑き物に取り憑かれた男と、同じような顔をした人々。


 そこまで考えてまさかと、思わず達也は視線を下に向けた。

 自分の足元に広がった水溜まり、道路も歩道も関係なく広がった透明は全てを映す。


 達也の肩には、相変わらず顎の潰れた憑き物が乗っているが──問題は他だ。


 周囲を歩く人々、全員の肩に真っ黒な腕が絡みついているのを、水面は映していた。


 何処も彼処も、憑き物だらけ。


 認識した途端、耐え難い吐き気に襲われて達也は膝をつく。

 恐怖よりも先に気持ち悪さが勝り、

 嘔吐いても腹の中からは何も出ない。


 黒羽の言葉が脳裏に過ぎる。

 ──夜は本当に危ないから。

 そう彼女は言っていたけれど、危ないなんて範疇ではない、見る限り、正気に戻れている人間は達也だけのようだ。


 このままでは全員死んでしまうのではないか。

 昼間、黒羽から聞いた憑き物の説明を思い返しながら、そんなことを思った。

 具体的にどう死んでしまうのかはわからないけれど直感で、

 命の危険が間近にある事を悟る。


 どうしたらいいのか。

 達也は立ち上がろうとして、今度は頭が割れるのかと思う程激しい頭痛に襲われ蹲る。

 狭くなった視野で睨みつけた先では、

 達也の肩に伸し掛かった憑き物が潰れた顎を揺らして笑っていた。

 声は聞こえず、水面がケラケラと揺れる。


 意識が潰される、少しでも気を緩めれば憑き物に体の制御を奪われて、周囲で彷徨う人々の仲間入りだ。


「……助けるって言ってくれたんだ」


 意識を繋ぎ止めながら、達也は必死になって、己に言い聞かせるように呟く。

 牧藤黒羽は達也を助けると言った。だるそうに、けれどはっきりと。


 だから達也も自分を諦めない。

 憑き物と睨み合い、握り締めた手から血が溢れ、水溜まりの中に混ざる。

 水と血の境界で、憑き物は憎らしげに達也を見上げていた。


 達也が生きるのを諦めてしまうのを、

 憑き物は水の中で待っている。

 達也は歯を食いしばって、負けてたまるかと意識を繋ぎ止め──。


 そこに、忽然と彼女は現れる。


 水溜まりに映る赤い傘。

 彷徨い歩いていた人々が足を止め、一斉に振り返った。


 何時の間に近付いたのか、まるで最初からそこにいたかのような当然さで、

 目の前に現れた黒羽に達也は驚き、顔を上げかける。

 その動きを黒羽が止めた。


 肩に華奢な手を置かれただけなのに、動けなくなる、

 黒羽は達也と一緒に水溜まりを覗いて、

 ため息を吐いた。


「やっぱりこうなりましたか」


 相変わらず、だるそうに呟く。

 周囲に集まる何十人もの虚ろな視線を受けながら、黒羽は達也に言った。


「見ててください」


 それだけ言って、黒羽はひらりと翻る。

 瞬間──ありもしない緑が反射した。


 近くにいた何人かが黒羽に襲いかかる。

 水の中を影が走り、憑き物達が腕を伸ばして黒羽を狙っていた。


 だけれど黒羽には関係ない、ここから先は黒羽の世界、黒羽の為だけの夜なのだ。


 黒羽は指先を揃えて、まるで虫を払うような動作をした。

 現実では何も起こらず、起こるのならば水の中。


 水溜まりに映った黒羽の指先から、

 草木が芽吹き、花が咲き乱れた。


 葉っぱも、花も、枝も、水の中でだけ散っていく。

 黒羽の手から放たれた緑に触れた憑き物は、

 体から苔を生やして塵になり滅されて。


 水溜まりが大きく揺れ、操られていた人々が倒れる。


「雨が降っていたのは、好都合でした」


 まだ残っている、迫り来る人と憑き物達を見遣って、黒羽は独り言を言った。


「それではまあ……御照覧あれ」


 手を一つ、打ち鳴らし。

 黒羽は大きく腕を振り降ろして、

 緑を撒き散らした。



 触れる度憑き物が消え、人々が倒れる。

 広範囲に散った緑の影響は、当然達也にも届く。


 憑き物に奪われかけていた時とは違う、

 草木の匂いに誘われて、穏やかな眠りに落ちるように意識がとけていく。


 倒れる直前、達也は正しく理解した。

 ──これが、憑き物祓いなのだと。



 ばたり、と最後の一人が倒れ、

 雨の夜には黒羽だけがいた。


 意識を失った人々は弱ってはいるものの、

 命はある、どうやら手遅れではなかったらしい。


 振り返れば達也もまた倒れていた。

 黒羽は達也の憑き物が祓えていることを期待して水溜まりを覗き込む、が。


「うわぁ……ぴんぴんしてるじゃないですか」


 意識を失った宿主の横で、憑き物は音でも出そうな勢いで黒羽を睨み付けていた。

 吠えようにも弱っているのと、潰れた顎が邪魔して声も出せないらしい。

 水面が激しく揺れ動く、どうやらお怒りのようだ。


「まあ、きっちり弱体化はしてくれたようでよかったです。

 暫く悪さはできないでしょう」


 かったるそうに肩を回して、

 黒羽は明確に、憑き物へと語りかける。


「必ず祓います。覚悟していなさい、お前」


 見下す視線を、憑き物は睨み上げた。


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