第2話 なんかすっごいPC

 下校後、食事や学校の課題を終わらせ、俺はデスクトップPCを起動させた。そして白い鉢巻きを巻いた男のアイコンをダブルクリックする。


 格闘ゲーム『DIMENSIONディメンジョン FIGHTERファイター6』、通称『DF6』。世界初の3D格闘ゲームであるDFの最新作である。


 そして俺がいまもっともプレイしているゲームだ。


 スマホで三十分のタイマーをセットする。俺はゲームをするとき、まず三十分だけプレイをする。そのあと五分ほど休憩をはさみ、もう三十分プレイ。制限時間を設けることで集中力を最大限に引きだすためだ。ぼんやりした頭でだらだらとつづけるのは効率が悪いし、合理的じゃない。


 ネット対戦を開始し、十試合ほどこなす。


「くそっ……!」


 俺はアーケードコントローラーをぱんとはたいた。


 最近は調子を落としており、一時は五十五パーセントまで到達した勝率がいよいよ五十パーセントを割りそうだった。


 しかも今日はとくに調子が悪い。乙村さんの言葉をふと思いだしては集中力を欠く。


 彼女は何気なく口にしただけなのだろうが、俺にとってその言葉は指に刺さったとげのように、いつまでも抜けず、ちくちくと痛みつづけた。


 ――でも、やりたいようにやったら……。


 中学校、柔道場、冷めた目。


 ――ああなるだろ……。


 スマホがピピッと鳴った。休憩の時間だ。俺は台所で水を飲み、再度、対戦を始める。


「またこいつ……」


 数試合をこなしたころ、そいつは現れた。


 ユーザーネーム『ベリアル』。勝率は俺より低い。なのに俺はこいつに一度も勝ったことがなかった。


 ベリアルはまるで一秒先の未来が見えているかのように俺の攻撃を避け、防御し、カウンターを打ちこんでくる。


 そして今日もあっという間に負けてしまった。


「駄目だ……」


 どうしてこんなに絶不調なのか、解決の糸口すら見えない。


 ――なんでも得意な乙村さんは、こんなことで悩まないんだろうな……。


 彼女は去り際、「またね」なんて言ったけど、今日以上に長く話をする日が果たして来るだろうか。


 一言二言なら言葉を交わすことはこれまでもあったし、これからもあるだろう。でも初めて会話らしい会話をしたのは今日が初めてのことだ。そしていまはもう十月。このまま二年に進級し、クラスは別々になり、『また』は永遠にやって来ない。きっとそうだ。


 乙村さんは正反対で、遠い存在だ。


 スマホがタイマーの音を鳴らす。考え事をしているあいだに三十分を浪費してしまったようだ。


「はあ……」


 ますます気分が塞ぎ、俺はベッドに倒れこんで不貞寝した。


 その日も例の夢を見たのは言うまでもない。






 翌日は珍しく掃除やゴミ出しを押しつけられなかった。とっとと帰って課題を終わらせてゲームをしようなどと考えながら校門へつづく道を歩いていたとき、男子生徒に呼びとめられた。


「ああ、そこの君!」


 二年の先輩だった。体型はスリム、顔は涼しげなハンサムの部類なのだが、妙に艶めいた髪とぱっつん前髪、レンズの大きなメガネと薄ら笑いのせいでなんだかマッドサイエンティストのような雰囲気を醸しだしている。彼はメガネをくいっと上げて言った。


「ちょっと頼まれてくれないか」

「なにをですか」

「我が情報処理部の部室の鍵を施錠しないまま持ってきてしまってね。鍵を閉めて、職員室にもどしてほしい」

「……なんで俺に?」


 周りには俺以外にも一年の生徒はいたのに。


「我が部室の窓から、君がいつもゴミ出しをしているのが見えるんだ。だから、信用できると思ってね」


 俺のゴミ出し注目されすぎでは。


「べつに構いませんけど、そういうのは自分で責任を持ってやったほうが」

「痛いところを突くね」


 はっはっは、と大仰に笑う。


「ひとを待たせてるんだ。ゲーセンに遊びに――おっと」


 と、わざとらしく口を押さえる。


「危うく君の口車に乗るところだったよ」

「なにも言ってませんけど」

「ともかく時間がなくてね。よろしく頼むよ」


 無理やり鍵を握らされた。


「もちろんただとは言わない。我が情報処理部ではゲームを制作していてね」

「ゲーム……」

「当然、PCがある。動作確認用のコントローラーも。それから参考資料として市販のゲームもインストールされている」


 ぽんと肩に手を置かれた。


「あとは分かるな?」


 つまり対価としてゲームをプレイしてもよいということらしい。


「それ……、黒に近いグレーじゃないですか?」

「人聞きの悪いこと言うな。せいぜいダークグレーだ」

「同じことでは」

「ちなみに、PCのパスワードは『1234password』だ」

「情報処理部なのにセキュリティ意識ガバガバですね」

「ともかく頼んだよ」


 先輩は小走りで行ってしまった。


 べつに対価などなくても鍵閉めくらい頼まれてもいいのだが。部活程度で作るゲームなんてせいぜいシンプルなパズルゲームだろうし。


 俺は校舎に引きかえし、情報処理部部室へ向かった。





 部室のドアはたしかに開いていた。中を覗く。


 六畳ほどの広さ。真ん中のデスクにはスリム型のデスクトップPCが向かい合わせで二台設置されていた。情報処理部のPCはかつてパソコン室で使われていた古い型のものを、CPUやメモリを交換して無理やり延命させていると聞いたことがある。


 こんなPCで最近のゲームがまともに動くわけがない。施錠して帰ろうとしたとき、奥のデスクの下に大きな黒い箱が見えた。


 目を凝らす。それはタワー型PCのケースだった。しかもかなり大きい。


「……」


 興味が湧く。


 ――ちょっと、性能だけ……。


 俺は部室に足を踏みいれた。奥のデスクにはディスプレイとキーボード、マウス、アーケードコントローラーが置いてある。


 ――格ゲー……?


 まさかな。ゲーム制作のことはよく分からないが、部活レベルで作れるものとは思えない。


 PCの電源をオンにする。間もなくパスワード入力画面が現れ、先輩に教わったパスワードを打ちこんだ。


 ほぼ一瞬でホーム画面が立ちあがる。


「おお……」


 中古のPCを中古のパーツで無理やり性能アップさせた俺のPCとは比べものにならない。


 システム情報を開く。CPUもグラフィックボードも一年くらい前の最高スペックのもので、いまでも充分すぎるほどの性能だ。メモリは六十四ギガバイトで、これだけあれば高画質の3Dもぬるぬる動くだろう。


 ――すげえ金かかってるな……。


 こんな馬鹿みたいに高スペックなPCでいったいどんなゲームを作っているのかと思い、『ゲーム』と名前のついたフォルダを開いてみた。


 そこには――。


「DF……」


 見慣れた『DIMENSION FIGHTER6』のアイコンがあった。


 うずうずした。このPCでプレイするDFは、いったいどれほど滑らかな動きなのだろう、と。


 ――遊んでいいって言ってたし……。


「少しだけ……」


 俺はDF6のアイコンをダブルクリックした。


 オープニングデモが始まる。登場キャラたちが入れ替わり立ち替わり手合わせをしていく。


「すっげ……!」


 キャラたちの皮膚や衣服の質感、光と影の処理、そしてやはりぬるぬるとした滑らかな動き、そのどれもが俺のPCのそれとはまったく比較にならない。


 実際のプレイ画面もオープニングデモのクオリティそのままだ。処理落ちしてコマ送りのようになることもない。


 メインで使用している八極拳の使い手『ひびき』でラスボスまでクリアし、トレーニングモードでふだんは使わないキャラの動きを堪能する。


 ――俺もグラボ交換したいな。でもなあ……。


 高校生の小遣いでは、こつこつ貯めても当分は先になりそうだ。


 腕時計を見ると、すでに一時間近く経過してしまっていた。


 ――全キャラ試してみたいけど……。


 あまり長居するのはよくないとは思いつつも未練がましくだらだらと遊んでいると、背中に視線を感じた。


 おそるおそる振りかえる。


 少し開いたドアの隙間から、ぎらりと光る目がこちらを見ていた。


「……っ!?!?!?」


 生命活動全般が停止しそうになるほど驚いた。


 うかつだった。鍵を閉め忘れていたらしい。


 ドアがゆっくりと開き、入ってきたのは――。


「お、乙村さん……」


 ジャージ姿の乙村さんだった。後ろ手でドアを閉める。


「なにをしてるんですか?」

「こ、これは……、その……。――た、試してた」


 乙村さんは小首を傾げた。


「試してた?」

「ここのPCが、すごく高性能で、だから……」

「ふうん」


 ぱちん、と音がした。鍵を閉めたようだ。


 乙村さんはどこか興奮したような怪しげな笑みを浮かべた。


「な、なに……?」


 ――もしかして俺、強請ゆすられる……?


 そんな不穏な表情だった。

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