ウミドリの灯りゆく町 第6話

 ――五年前、突然に人々は電気の使い方を忘れ、日本社会の有様は豹変した。

 そして、ある組織が現れて人々を支配しようとし始めた。


 僕はそのテロ組織――クジラに所属していた。

 僕の役目は家を襲い、住人を捕らえることだった。


 銃を向けて脅し、殺したことこそなかったが必要ならば人を撃つこともあった。

 捕らえた人々は組織に引き渡した。

 彼らは説得され、新たな構成員となることが決まっていた。


 人々の幸福のための活動であると布教され、僕もそれを信じようとした。


 それでも、まるで薄い花びらを一枚ずつ重ねていくように罪悪感と自己嫌悪が厚さを増していった。


 ある日、組織を逃げだした。

 残酷な押し花を強要されるような息苦しさに耐え切れなくなっていた。


 ――当時、僕がよく行動を共にしていた女性は皆から、トーノと呼ばれていた。


「あなたも大変そうね」


 それが彼女の口癖。

 僕が疲れを隠し気丈に振舞っていても、二人きりになった時にそう声を掛けられることが多かった。

 それは愚痴ではなく、僕を労う為に口にしていたようだった。


 彼女が口癖のように繰り返す話はもう一つあった。

「ウミドリに会いたい」と言うのだ。


「海を見たいの? 車に乗っけて連れて行ってあげるよ」


 僕がそう誘うと、「違うの」と寂しそうに笑った。


「もう死んじゃってると思うから、いいのよ」


 彼女はいつもはぐらかした。


 僕が組織から抜け出す時、トーノに引き留められた。


「駄目よ、危険すぎる!」


 そう叫んだ直後、彼女は、僕を追ってきたクジラの構成員が放った銃弾から僕を庇って倒れた。

 彼女が抑えた腹部に赤い染みが広がった。


 致命傷じゃない。けど、すぐに止血しないと……。


 トーノは震える息を吐いた。

 痛みで顔を歪めながらも、「呆れた」と呟いた。

 それが僕に向けたものなのか、僕を思わず庇ってしまった自分に向けたものなのかは分からなかった。


「行って、構わず。もうこうなったらそれしかないでしょう。

 ……叶うなら、叶うなら、ウミドリを探して!」


 強い瞳に突き飛ばされた感覚を覚えた。


 足がもつれて転びそうになるが、

 何とか地面を踏みしめて、

 前を向き、

 彼女をその場に置いて、

 駆け出した。


 無我夢中だった。

 気が付くと瓦礫の中に倒れこんでいた。

 

 その日、僕を拾ったのがカイだったのは奇跡だったのだ――。





 ――カイ――


 海岸沿いの町に逃げて来て一週間。

 飲み屋で働かせてもらえることになり、生活が安定してきた頃、とめもり喫茶を見つけた。


 ようやくノブヒロから聞いたフヅキの行方不明事件の真相を確認するため、マスターに会いに行くことが叶った。

 この事件の真相は既にレイナにも伝えてあった。


 以前の町のように露天商が立ち並んでいるということはなく、どこも廃墟を改装して、店を出していた。

 その一つにとめもり喫茶があった。

 急ごしらえの感じは否めないが、コーヒーの香りは逸品だ。


「マスター、コーヒー二つとサンドイッチお願いします」


 カウンターの丸椅子に腰かけてコーヒーが出来上がる様子を眺めた。


 マスターはポットを火にかけ湯を沸かしながら、サーバーとドリッパーを組み立てた。

 ペーパーフィルターの底面と側面を逆向きに折り、ペーパーをドリッパーにセット。

 匂いを消すためペーパーにお湯を通す。ここでサーバーのお湯を一度捨てる。


 コーヒーの粉カップ二杯をドリッパーに入れて、熱いお湯を注ぎ、一湯目を真ん中に落とす。

 粉がお湯を含んで盛り上がりコーヒーの独特の香りを放った。豆をよく蒸らすため三十秒ほど待つ。

 黒い雫が滴って絶え間なく水面を揺らしている。


 二湯目は五百円玉大の円を描くように注ぎ、三湯目、最後のお湯は円をフチまで大きくしていき全体にいきわたらせて、泡が茶色から白に変わったら終了。

 すべてのお湯が落ち切る前にドリッパーを取り外すのは、苦味雑味が出てしまわないようにするためらしい。


 マスターはサーバーからマグカップにコーヒーが跳ねないように優雅に注いだ。


 つい楽しくてじっと見入っていた。

 注文が揃ったタイミングで本題に入った。


「マスター、フヅキさんをクジラに引き渡したのはあなたですね?」


 マスターに動揺はなく、一度看板をCloseにして戻ってきた。


「カイさんの言う通りフヅキさんに頼まれ、クジラの青年と会う場所を提供していました」


 壮年のマスターの渋い声は決して大きくはないが店内の空気を揺らした。


「タイヘイ君にそのこと話しました?」


「いえ……。

 タイヘイはまだまだ子供なので理解できないと思います」


 僕は苦々しく笑った。


「マスターがクジラとつながったことでタイヘイ君は不信感を抱きました。

 そうして万引きをしました。その分、町の治安が悪くなったんです。

 マスターが招いたことでもあります」


「はい」


「僕は正直、マスターはクジラの手先なんじゃないかなって疑いました。

 でもそうしながら商売を続けるメリットってなんだろうって、矛盾を感じました。

 本当にただフヅキさんとノブヒロさんを心配しての行動だったんですよね」


「……はい」


 これで裏が取れた。

 肩の荷が降りた気がした。きっとこれでタイヘイたちの大人への不信感を取り除いてやれるだろう。


「これから先もノブヒロさんやフヅキさんと関わるおつもりですか?」


「いいえ、縁を絶ちます。

 もう彼らは私たちの自由を奪う敵ですから」


 マスターは決意の垣間見える強い口調だった。


「……僕は部外者ですから、これ以上口を出せませんね。

 事の顛末は僕からタイヘイ君に説明させて下さい。

 ……最後に一つ訊いても?」


「何でしょう?」


「マスターがこのようにクジラとの連絡役を引き受けるのは何度目なんですか?」


「……今度のことが、初めてですが」


 マスターは不思議そうに答えた。


 入口の看板をOpenにして、僕は喫茶店を後にした。


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