第13話 俺は君を知ってる





キコちゃんは俺が「好き」と言ったのを聞いて、思い切り驚いてくれた。


「ほんと!?本当ですか!?キコも!キコも好きです!好きですよ、一也さん!」


俺の手の上で、彼女は両手を広げたり振り回したりして、小さな体で一生懸命愛情を表現してくれた。俺は彼女を落とさないように両手で包まなきゃいけなかったくらいだ。俺はそれが嬉しくて嬉しくて、どうしても熱くなる頬を見られたくなかったけど、ちゃんと俺の気持ちがわかってもらえるように、彼女を前にしたまま微笑んだ。俺は幸せだった。


「ありがとう、キコちゃん」


よかった。君に言えた。俺はほっとして、まだ少し目の端に残っていた涙を拭った。


それから、キコちゃんの髪を撫でながらベッドに連れて行く。幸せそうに俺を見上げる彼女を想像してベッドに座ったときの顔を見てみると、なぜか彼女は悲しそうにうつむいていた。


え?急にどうしたんだろう?


でも、俺はわけを聞く前に、彼女の顔に深刻な陰を見た。そこで俺はずっと悩んでいたことを思い出し、開きかけた口をまた閉じてしまった。



もし、俺たち二人の違いはやっぱり越えられないものなのだと、これから彼女が証言するのだとしたら?俺はそう思ってしまって、彼女に伸ばそうとした手も、先へ進まなかった。


俺は確かに“違いなんか関係ない”と思えたけど、キコちゃんにとっては実はそれは大きな問題で、それが俺の力ではどうにもできないものだったら?俺たちが一緒にい続けるには、“好き”だけじゃ足りないとしたら…?


気持ちが通じ合ったのはついさっきのことなのに、最後の壁を突き破らないうちは彼女にふれられない気がして、俺は歯がゆい痛みに胸を責められる。



キコちゃんは顔を上げて、俺を見つめた。そしてちょっと笑ってから、彼女はまたうつむく。その目は頼りなく、心細そうだった。


「私…小さいですよね…」


俺はそれにどう答えたらいいのかはわからなかったけど、彼女を傷つけたくなかった。


「そうだね。でも、かわいいよ」


キコちゃんは真っ赤になって、恥ずかしそうにそっぽを向く。それからワンピースの裾を指でいじくりながら、ちっちゃな声で話し始めた。俺はそれを、祈るような気持ちで聞いた。


「“小さいから、きっと相手にしてもらえない”…そう思っていたんです。一也さんを好きになったとき、私…まだ“好きになった”って気づかなくて…でも、わかってからは、なおさら言えなかったんです…だって私、小さいから…一也さんになんにもしてあげられなくて、お世話してもらってばかりだから…!」


そう言い終わる前から、キコちゃんはこぼれる涙を拭っていた。



なんてことだ。俺たちは二人ともが同じように悩んでいたのか。でも、絶対に拭えないものなんかじゃなかった。それで俺は息をゆるめることができた。


俺はすぐにキコちゃんを持ち上げて抱きかかえた。もちろん、キコちゃんが痛くないように気をつけて。


今こそ彼女に言わなくちゃ。



「…一也さん…?」


「キコちゃん、俺も同じことを考えてたよ」


「同じこと…?」


「だって、俺が君にしてあげられることは、もしかしたら普通よりずっと少ないんだ。だから、君が俺を支えてくれてるのに、俺は君にほとんど何もしてやれないんじゃないかって思って…」


「そんな…」


「本当に、君の力は大きいんだよ、キコちゃん。君がいなかったら、俺にはできないことがたくさんあるんだ」


「そうなんですか…?でも、私、一也さんに好きになってもらうには、小さすぎて…」


キコちゃんはまた自信なさげにうつむいた。その時、俺の口からあっという間に衝動が滑り出す。


「そんなことない!俺は君がいるだけで嬉しいんだから!それに、俺は君を知ってる!…優しい子だって、知ってるよ…それでいいんだ…」


俺は、俺とキコちゃんの違いについて悩んでいたとき、それを蹴っ飛ばすしか方法を知らなかった。でも、本当は俺の知っているキコちゃんを信じればよかっただけだったんだ。そのほかのことを見る必要なんかなかった。


俺はそれを彼女にもわかってほしくて、もう一度、「俺は、君が優しいって、知ってる」と繰り返した。






翌日俺たちは目覚めて、どこかもどかしい幸せの朝にいた。


「あ、おはようございます…」


「うん、お、おはよう…」


うつむき加減に互いを覗き見て、それからはにかみながら、「朝ごはん、だね」と俺が言い、「そうですね」と彼女が返す。


キコちゃんは大好きな納豆を4粒食べて、俺はその残りをいつも通りにもらおうとした。その時、彼女が何かとても恥ずかしそうにするので、「どうしたの?」と聞いてみた。


「あ、あの…」


キコちゃんは言いにくそうだったけど、俺が持ち上げようとしていた納豆のパックから3粒くらいを取り上げる。彼女はそのままその納豆を持ってテーブルの上に立ち上がり、俺に向かってそれを差し上げた。


「あ、「あーん」、ですっ!」


「へっ…!」



「あーん」。それは男子全員が憧れてやまない、とびっきりの美味しいシーンである。そう。それがたとえ3粒しかない納豆であっても、「あーん」であることに変わりはない。


俺は突然のことにびっくりして、どうしたらいかわからなくなってしまった。しかしなんとか正気を取り戻してから、キコちゃんの両手に向かって首を下げる。彼女の手まで口の中に入れてしまうとびっくりさせてしまいそうだったので、俺はなんとか納豆だけを唇に挟む。恥ずかしくて嬉しくてたまらない気持ちで、それを口に入れて顔を上げた。


俺が食べているのは納豆だ。普通の納豆だ。しかしこれは「キコちゃんからのあーん」という称号を持った納豆だ。


味なんてわからないけど美味しい…!


「おいしいよ」


そう言うと彼女は嬉しそうに顔を輝かせ、何かを言おうとしたけど、やっぱり恥ずかしくて何も言えなかったのか、「えへへ」とはにかみ笑いをした。胸が締めつけられるような健気さだ。


それからキコちゃんはうつむいておもちゃの椅子に座り直し、ほかに出してあったごはんや漬物をそわそわと食べ始めた。


学校に行くときは、学校の制服を着る。俺はいつもキコちゃんにあまり見えないように、玄関の方で着替えをしていた。今日も制服の掛かったハンガーを持って玄関の方に向かう。その時、キコちゃんがちらちらとこちらを見ている目と、俺の目がかち合った。


「あ、着替え…」


「は、はい…」


俺たちは特にお互い悪いことをしているわけでもないのに、なんとなく申し訳なさそうな笑顔を見せあってからお互いに後ろを向き、俺は着替えをして、学校の鞄を持つ。


「じゃあ、テーブルの上のごはんは昼に食べてね」


「はい」


「えーっと、今日食べたいものとかは?」


「あ、と、特には…一也さんの好きなものが、いいです…」


一緒に住んでいるんだから夕方にはまた会うのに、俺たちはまるで別れを惜しむ恋人みたいに、なかなか離れたがらずに玄関で向かい合っていた。俺はもっと彼女に何かをあげたくて、彼女を手に乗せて、自分の顔から少し離れたところに連れてくる。キコちゃんは真っ赤になって、胸の前で握り合わせた両手をしきりに揉んでいた。


ほら、小さくても君はそんなに頑張って俺を見てくれている。


「いってきます」


「は、はい…いってらっしゃい…」


俺が彼女を床に下ろした時、彼女は満足そうに、でもちょっとさびしそうに、片手を振って俺を送り出してくれた。





つづく

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