第2話 お食事の時間です



「わあ~!ここが一也さんのおうちなんですね!素敵ですね!」


俺のアパートは、四畳半の一間に、ままごとかよと言いたい大きさのシンクがついているだけの部屋だ。キコちゃんには帰る道道、俺の自己紹介は済んでいた。


名前に、年齢、それから肩書、家族は居ないこと、学校の成績は自分でも大して把握していないこと、等々。


ばあちゃんの家にいた頃からよく掃除は手伝っていたから、部屋はそこまで汚くないけど、それは物があまりないからとも言える。部屋の中にあるのは、ローテーブルと、布団、それから小さめのテレビと、漫画やら学校の教科書、CDなんかが入った棚、あとは中古で買ったCDコンポくらいだった。ちなみにテレビも中古店で購入した。


「広ーい!」


「こら、落ちるよ。今降ろすから、少し待って」


四畳半のアパートは俺にとってはもちろん狭いけど、身長20センチのキコちゃんからしたら広いんだろうな。俺はそう思いながら、制服のポケットから出ようとして落ちそうになっているキコちゃんを片手で押さえた。


テーブルにキコちゃんを降ろすと、キコちゃんはその上を走り回り始めた。この子はどうも落ち着きがない気がする。


「あれっ?これはなんです?」


俺が学校の鞄を押し入れの前に置いて「え?どれ?」と振り返ると、彼女はいなくなっていた。


「あれ…?」


さっき、「これはなんだろう」と言っていたのに。もしかして端から落ちてしまったかな?と思って俺はテーブルの周りを探したけど、姿は見えなかった。


「あれー?キコ、ちゃん?」


どうでもいいけど、呼び方はどうしたらいいんだろうか。ちゃん付けか、呼び捨てか、さん付けか。ちゃん付けだと今日会ったばかりにしては少し馴れ馴れしいし、呼び捨ては論外のように思う。でも、さん付けはむしろよそよそしいから、それも気が引けるなあ。そう考えていると、どこかからか、キコちゃんの声が聴こえてきた。


「出してください~!」


「え?」


俺が声の在りかを探すと、それはどうやらテーブルの上のティッシュ箱の中からだった。これはいけないと慌てて手を突っ込んで、とにかく手に触れたキコちゃんを掴んで引っ張り出す。


「きゃあ!」


「あっごめん!」


俺は、キコちゃんの片足を持ち上げて逆さに吊り下げてしまっていた。キコちゃんは両手を振って「下ろして下さい〜!」と叫ぶ。下着も見えてしまうし、俺は慌ててキコちゃんをきちんとテーブルに座らせる。


「はあ、びっくりしました」


キコちゃんは恥ずかしがるような様子もなく、俺だけが冷や汗をかいていた。これは、多分黙って俺だけが罪を隠していた方がいいだろう。


まあキコちゃんがテーブルに座っているし、俺もその前に胡座をかく姿勢になったし。


「それで…連れ帰って来たけど、君はどうするの?」


「どうするって?」


キコちゃんは正座をしたまま、こくっと首を傾げた。


「えーっと、これからの生活とか、行くあてを探すとか探さないとか、そういうこと」


キコちゃんはしばらくうつむいて考えていたが、「うーん」とかすかな声で唸りながら、そのままずっと下を向いていた。


「キコちゃん?」


俺に呼ばれてハッと顔を上げると、彼女はちょっと困ったように微笑む。


「ここに置いてください…ませんか…?」


俺はなんとなく、そう言われるだろうと分かっていた。まあ、これは確認するだけの意味で質問したことだ。



考えなくてもわかる。


道端で人に掴みかかって、「連れて帰って!」と頼み込む女の子に、行くあてがあるわけもないことくらいは。


探すのも難しいと思う、この場合は。何せ彼女は人間には見えない。ともすれば本当に新聞社かテレビ局に売られそうだ。


まあいいか。俺は別に家に誰も来ないし、結婚すらこの先する予定はない。それなら特に心配はないだろう。



「別にいいよ。大してお世話はできないかもしれないけど」


そう言うとキコちゃんはとても嬉しそうに笑って、安心したように息を吐き、テーブルの上で立ち上がった。そして俺にぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます!よろしくお願いします!」


「あ、う、うん…よろしくお願いします…」


キコちゃんは立ったままウキウキと体を揺らし、俺を見て笑っている。それにしても、本当にこの子は美人だなあ。こんなに小さくしておくのはもったいない。キコちゃんがもし普通の人間なら、2分でイケメンの彼氏が出来そうだ。


その時、俺のおなかがぐ~っと鳴った。


「あ、そういえば、飯…」


そう言いかけて、俺は忘れていたことを思い出した。冷蔵庫に向かおうとしていた体をひねり、キコちゃんを振り向く。


「キコちゃん…ごはんって食べるの?」


そういえば俺はキコちゃんがなんなのかも知らない。だから当然これも知らなかった。でもキコちゃんはまたぷんぷん怒って、「食べますよ!私をなんだと思ってるんですか!」と返してきた。もしかしたら、この子は自分のサイズが人間では有り得ないものだということを知らないんじゃないか?


「あ、えーっと、俺の食べるもので、大丈夫かな…何を食べるの?」


するとキコちゃんは、「大丈夫!多分!」と元気な声で言った。




俺はタイマー機能で炊いておいた米を、電子レンジの上にある炊飯器から盛り付ける。そして、その電子レンジの下にある冷蔵庫から、ポテトサラダと千切りキャベツのパック、それから納豆を取り出した。


キャベツにはマヨネーズをかけて、あとは納豆とごはんがいつものメニューだ。でも、前の日にスーパーで割り引かれていたポテトサラダを買ったので、その日は少し豪勢だった。身寄りのない一人暮らしの学生なので、贅沢はめったにできない。


しかし、それをキコちゃんに出すのは少々気が引けたので、俺はちょっと前に買ったビスケットの包みも持って、テーブルの前に戻った。


「ごはんですね!ありがとうございます!」


俺は気になっていた。さっきキコちゃんは、「“多分”大丈夫」と言った。その“多分”というのはもしかして、「人間の食事がなんなのか知らない」ということではないだろうか。


そう思ってちょっとおそるおそる、キコちゃんに食事の説明をした。


「えっと、…これはキャベツ。こっちが納豆。これはポテトサラダ。あと、これがいつも食べる、“お米”。これはごはんじゃなくておやつだけど、ビスケット」


そう言って一つ一つを指さしていくと、キコちゃんはふんふんと頷いてから、「わかりました!」と言った。


やっぱり知らなかった。この子は一体なんなんだろう?でも、「君は一体何者なの?」と、食事の前には聞きづらかった。


俺はとりあえず、キコちゃんの体のサイズとしてはこのくらいだろうという量を別の豆皿に取り分けて、キコちゃんの前に置き、自分の食事にかかるため、「いただきます」と言った。


「なんです?それ」


「え?何が?」


「今、“いただきます”って…」


これはもしかすると、いよいよ「キコちゃん人間じゃない説」確定だ。今の世に生きていて、「いただきます」という言葉を知らない日本人がいるわけがない。というか、お米を知らない日本人も、納豆を知らない日本人もいないだろ普通!


「えっと…食べものがあることに感謝をしてー…食べる前にその気持ちを表す挨拶、だよ…?」


これで合ってるんだろうか。俺はあまり自信はなかった。まあでも、当たらずとも遠からずくらいにはなっているはずだ。キコちゃんは納得したように「へえ~」とちょっと驚いてから、嬉しそうに「いただきます」を言って、なんと手づかみで納豆の豆を持った。あ、やば。


「きゃー!なにこれ!」


キコちゃんは、手に持った納豆がねとねとねばねばしていることにびっくりして叫んだ。


「あ、それ…体にいい食べものだよ」


俺がそう言うとキコちゃんは、「信じられない」というように真っ青になったけど、なんとかおそるおそる納豆を頬張った。そして、かぶりついた格好のままもぐもぐと口を動かす。変わった食べ方だな。


「んー…」


見ていると、キコちゃんはだんだん嬉しそうな顔になって、彼女からすればずいぶん大きな納豆の一粒を、あっという間に食べ終わってしまった。


「…これは、美味しいです!」


俺を見て、彼女はどこか勇ましく目を輝かせていた。俺は女の子がそのままでは何か忍びなかったので、さり気なく彼女の口の周りをティッシュで拭ってあげる。


「それは良かった。他のものも気に入るといいけど」




ここでキコちゃんからの結果発表である。


キコちゃん曰く、納豆は100点だったらしい。ごはんも美味しいそうだ。ただ、彼女は最後にこう言った。


「キャベツは…私は次からはいらないかなと思います…」


俺がすぐさま、「ダメです。野菜は体にいいから食べようね」と言うと、キコちゃんはおろおろしていた。おおかた、野菜が苦手な子なんだろう。しかし、俺の家で世話になるのだし、家主の言うことは聞いてもらう。


まあ、キコちゃんの体に、健康か不健康かの当てはめができるのかも、俺にはわからなかったけど。



「あ、そうだ、おやつ…」


「そうだね、このビスケットはキコちゃんにあげるよ」


そう言うと、キコちゃんは嬉しそうにわくわくと俺が包みを破るのを待っていた。


「硬い…ですね…」


俺が砕いてあげたビスケットを手に持ち、彼女はちょっと戸惑う。俺が「まあ食べてみなよ」と言うと、キコちゃんは渋々ビスケットに口をつけ、サクッと音がした。


しばらくはザクザクとビスケットを噛みながら彼女は無心で目を閉じていたけど、もう一度目を開けると、無我夢中でビスケットにかぶりついて、これもまたあっという間に食べ終わった。


「素晴らしいです!」


「どーも」


「あ!こ、こういう時の挨拶はないんですか!」


「ふふ、“ごちそうさま”っていうのがあるよ。大体食べ終わったら毎回言うけど」


「ごちそうさま!です!」


「はい、俺もごちそうさまでした」


その後もキコちゃんは、おなかがいっぱいになって寝てしまうまで、ビスケットを食べていた。ビスケットは2枚なくなった。




つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る