ACT.08「エピローグ」

追放勇者は俺の嫁!?

 その日、魔王が率いる軍勢の侵攻は終わりを告げた。

 人間たちが結成したレジスタンスの、果敢な抵抗が実を結んだ……それが後世へ向けて記された歴史である。

 ユグドルナは王の支配を失い、民から指導者を選ぶ時代へとうつろう。

 魔族もまた、このユグドルナに住む民として地位の向上と復権がはかられた。

 そして、古き制度が消えゆく中へと、勇者たちの活躍も忘れられてゆく。

 それをよしとした少年の名さえ、忘却されてゆくのだ。

 そんな未来へ繋がる明日を、今日から始める男の出発があった。


「本当に帰るのかい? カイナ。これからが面白いとこなんだけどねえ」


 王都は今、散り散りになっていた民が集まりはじめて、ごった返していた。その人混みの中、カイナは城門の前で振り返る。

 見送ってくれるのは、見目麗みめうるわしい美少女だ。

 そうとしか見えないが、男だった。

 シエルが残念そうに肩をすくめる。


「セルヴォとオロチが協議して、とりあえず休戦協定が結ばれた。次は終戦のための話し合いが持たれるし、その間は人間も魔族も一休みだ」

「ああ。今はそれでいい。全てはそこから始まるだろうさ」

「で、カイナは?」

「ユズルユ村に帰って、考えるさ。これからのことをな」

「やれやれ、その若さで隠居生活かい? ……君が必要さ。誰にとっても」


 だが、カイナは決めていた。

 もう戦いは終わったのだ。

 戦うことしかできない男は、もう必要ない。本当にユグドルナが生まれ変わるなら、もうこぶしよりも豊かで優しいものが皆を守っていくべきだった。


「まあでも、それもいいか。また会いに行くよ、君に。あの村は俺も気に入ってるからね」

「いつでも歓迎する」

「しっかし、まさかあそこまで君がやるとはね。容赦ないなあ」

「オロチは強くあらねばならん。そして、強さと力は違うものだ」


 頭の後ろで手を組み、まあそうだねとシエルは笑った。

 そして、行き交う誰もが見上げる空を二人で仰ぐ。

 今日も蒼穹そうきゅうは高く遠く、その真中に巨大な穴が空いていた。そこに広がる星の海が、大きなあおみどりの惑星を浮かべている。

 かつて魔族の祖先が支配していた星、地球だ。

 もう、そこから召喚された少女は帰ってしまっただろうか?

 最後の戦いから三日、カイナは別れさえ言わぬまま王都を去る。

 その脳裏に、本当の最後の戦いが思い出された。





 全身全霊のを注いで、クズリュウの巨体を想いで貫く。

 崩れ始めた王宮が瓦礫がれきに変わる中で、カイナはしっかりとユウキに抱きとめられていた。最大級の発勁はっけいを打ち込んだ反動で、彼は吹き飛ばされてしまったのだ。

 そして、薄れゆく意識の中で見る。

 クズリュウの断末魔が、徐々に光となって天へ昇るのを。

 巨大な竜は輪郭を溶かしながら、まばゆい輝きとなって消えた。

 だが、カイナの戦いは終わってはいなかった。


『……よし、放してくれ。ありがとう、ユウキ』

『やっぱり? なんか、そうかなあって。でも、カイナ君』

『わかってる、殺すつもりはない』

『それもそうだけど、キミがまず生きてね。ほら、しっかりやるんだぞ?』


 すでに周囲では、誰もが戦う意思を失っていた。

 それでも、カイナはそっとユウキから離れて歩く。

 その先に、元に戻ったオロチがうずくまっていた。

 おどおどと顔を上げた彼に向かって、カイナは拳を構える。


『立て、オロチ。お前の戦いはまだ、終わってはいない』

『いや、負けたよ……僕は、負けたんだ』

『そうだ、お前は自分に負けた。呼び覚ました力に飲み込まれて、我を失った。だが、それだけだ。どうする、魔王オロチ……もう、そこまでか?』

『僕は……僕はっ!』


 カイナは正直、立っているのがやっとだった。

 オロチのダメージも、既に限界を超えているだろう。

 それでも彼は立つし、立たねばならないと思った。

 魔王として決起し、魔族の希望たらんとした少年には、その責任がある。勇者カイナに負けるのは、異形の化物ばけものクズリュウではなく……魔王オロチ本人でなければいけないのだ。

 そして、もしオロチが戦うならば、その勝敗に全てを賭ける。

 自分が負けても言い訳はしない、そうカイナは心に決めていた。


『どうした、ここまでか。お前の救世きゅうせいの想いは、願いは! そんなものかっ!』

『うっ、うう……うわあああっ!』

『そうだ、立て。優しいだけではなにも守れない。強さを知れ、オロチ!』


 オロチは立った。

 立ってふらつき、よろめきながらも手を突き出す。

 震えるその手に光が集まり、放たれた。

 だが、それをカイナは鋼鉄の右腕で叩き落とす。血が通わず、温もりも柔らかさも感じない義手……その手は、一切の魔法や神秘を遮断する。

 先程の魔法がどうやら、最後の力のようだ。

 当たれば恐らく、カイナは全身の血が沸騰ふっとうして死に果てただろう。

 そして……泣きじゃくりながらオロチは弱々しく前に出た。


『う、ううっ! お前に、なにがわかるっ! 僕しか、いなかった! こんな弱い僕しか! 魔族のみんなを助けるには……これしかなかった!』

『ならば、胸を張れ。そして、藻掻もが足掻あがけ。戦いが終わったら、違う形でまた始めればいい。もう、王も国もない……このユグドルナは、ここから変わるのだ』

『うるさいっ! それでいいのか、カイナ! 僕は、僕は君の』

『過ぎたことだ。カルディアの死は、その痛みで俺に教えてくれる。今も、教えてくれている。守るために戦う、その意味を』


 駄々っ子のようにオロチが殴りかかってきた。

 弱々しい拳が何度も、カイナの胸を打つ。

 腰の入っていない、まるででるようなパンチだ。だが、そこには確かにオロチの想いが、オロチ本人だけの力がもっていた。それを人は強さと言う、それもまたカルディアの死でカイナが学んだことだった。

 そして、本気には本気で応える。

 無いはずの余力を振り絞って、カイナは最後の一撃を繰り出すのだった。





 それがもう、三日も前のことだ。

 その日をさかいに、戦いは起こっていない。

 負けを認めたオロチは、そこから見事な手腕で魔王軍の残党を統率、完全にその戦力を解体した。ある者は山野に戻り、またある者は王都に残った。モンスターたちも、あっという間にいなくなってしまった。

 そして、入れ替わりに逃げていた民が戻ってきたのである。


「カイナ、達者で暮らすんだよ? それと……なにか伝言はあるかい? ユウキに」

「いや、いい。会えたら直接言うつもりだったが、お互い忙しかったからな」

「君はずっと寝てたしね。怪我を見たけど、どういう鍛え方してるんだい? 常人ならもう、二度や三度は死んでいる、そういう消耗だったよ」


 あれからユウキには会えていない。

 ただ、オロチが地球へユウキを帰す術が使えるというのは、セルヴォから聞きかじった。それで恐らく、故郷へ帰ったのではないかと思ったのだ。

 少し、いや、凄く寂しかった。

 ようやく今、カイナはユウキの存在を正確に把握しているのに。

 自分の中で膨らんだ、他者とは明らかに異質な好きの気持ち……ユウキだけにしか向けることのない、心からの想いが今は確かに胸に燃えている。

 だから、今は会えなくても構わない。


「向こうからこちらに呼べるのだ。こちらから向こうへ行くこととて無理ではなかろうよ」

「ああ、そういう……なるほどね。うん、いいね。次の研究テーマが決まりそうだ」

「では、シエル。さらばだ。セルヴォや皆にもよろしく伝えてくれ。オロチは少々卑屈ひくつなところがあるが、根の優しい男だ。セルヴォとなら、いい国を作っていくだろう」


 戦いは終わったのだ。

 そして、戦ったものが大きな顔をするようでは、いい終わりではない。

 戦いの終わりは常に、新しい始まりでなければいけないのだ。

 当然、カイナもこれから始めるつもりだ。

 故郷でまずは心身を休めて、そしてまた旅に出る。

 地球という、割れた空の向こうへの道を探す旅だ。

 今まさに、ユズルユ村へとその一歩を踏み出そうとしていた時だった。不意に、聴き慣れた声が降ってくる。

 いな、落ちてくる。


「いたいたっ! カイナ君っ! キミね、薄情じゃない! わたしになにも言わないでっ!」


 誰もがその声に振り向いた。

 王都を囲む城壁の上から、一人の少女が飛び降りていた。

 大丈夫だと知っていても、思わずカイナは走り出す。

 そして、しっかりと両手で受け止めた。

 それは、ドレスで着飾ったユウキだった。


「ユ、ユウキ。まだ、いたのか」

「あら、いけない? わたしがいると、困るんだ?」

「そんなことはない! た、ただ……もう、地球に帰ったのかと」

「ゴメンね、ちょっと忙しくて。オロチ君はやることが山積みだからさ。ほら、見て」


 カイナの首に手を回しつつ、腕の中でユウキが周囲を見渡した。

 そこかしこで、戻ってきた人間たちが食料の配給をもらっている。全て、王宮の中に溜め込まれたものだ。倉庫は開け放たれ、誰にも平等に配られている。

 着の身着のままで逃げた者も多く、今はまず衣食住、特に食事が課題だ。

 そして、その作業にあたっているのは魔族たちである。

 オロチはセルヴォと話し、今後は魔族と人間の協調路線を模索することとなったのだ。


「平和になるな、とりあえずこれからしばらくは」

「うんっ! でも、みんながみんな、仲良くなれる訳じゃないよね」

「それでいいんだ。馴染なじまぬ者同士は、間に距離を置けばいい。無理に触れ合おうとすれば、また戦いを呼んでしまうからな」

「そだね。そして、距離を置いたが最後、ずっと離れ離れとも限らないし」

「そういうことだ。で、ユウキ……お前はどうするんだ?」


 そっとユウキを降ろして立たせ、その顔をじっとカイナは見詰めた。

 ほおを赤らめ、彼女は僅かに視線をそらす。

 そして、俯き上目遣いにチラチラと見てくる。


「そ、そりゃあ……もぉ、言わせんなよー? わたしっ、カイナ君と一緒にいるっ!」

「そうか」

「あっ、かっわいくなーい! もっと喜んだりしてよ、嬉しくないの?」

「いや、嬉しい。この上なく嬉しい、見ての通りだ」

「……見ても全然わからないんですけどー?」


 そう言ってユウキは、笑った。

 その華奢きゃしゃな肩に手を置き、しっかり噛みしめるようにカイナも言葉を選ぶ。


「ユウキ、俺はお前のことが好きだ」

「うん、知ってる。知ってたよ」

「他にも好きな人間たちが沢山いる。でも、それはお前への好きとは少し違って、そうだな……俺は、得られて嬉しい好きじゃなく、欲しくてたまらない好きを知った。そして、それをお前に求め欲している」

「ちょ、ちょっとカイナ君。もぉ……恥ずかしいよ」

「俺の側にいてほしい。お前が欲しいんだ、ユウキ」


 周囲の人間から喝采と口笛が響き渡った。

 魔族も人間も関係なく、若い二人を祝福してくれていた。

 その中でも、シエルが大きな声ではやし立てていた。


「よかったなあ、ユウキ! じゃあ、これで俺への借金返済も大丈夫だな?」

「あっ、忘れてた……」

「君が払えなきゃ、カイナに請求書を回すが構わないね?」

「ちゃんと払うもん! い、行こうっ、カイナ君っ!」


 大きく頷き、ユウキの手を握ろうとする。

 そして、出した右手を躊躇ちゅうちょして、引っ込めようとしたその時だった。

 逆にユウキが、義手の右腕に抱きついてくる。

 そのままカイナを引っ張り、城門を外へと歩き始めた。


「お、おいっ、ユウキ!」

「わっ、わたし、働いて返すから! それと……いいお嫁さんに、なっ、なな、なるからっ!」

「お、おう……今のままでも十分、お前は」

「だから、いつかいいお母さんにしてよね?」

「……ああ」


 かつて、追放された二人がいた。

 その二人が、互いに行き着く場所、居場所を見つけた瞬間だった。

 地球から見て月と呼ばれる天体、その中の世界であるユグドルナは……その歴史の中に、鉄腕の勇者も、異世界地球の勇者も記録してはいない。

 だが、確かに二人が戦い駆け抜け、結ばれたことを知らない者もいないのだった。

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