魔王の素顔、その真実

 カイナたち三人は、カエデに連れられ王宮へと来ていた。

 そして、そこでも驚愕きょうがくの光景を目にする。

 城内に殺戮や略奪の痕跡はなかった。多少はあっただろうに、それが想像できないくらいに整然と静まり返っている。

 大柄なオークがそこかしこで槍を持って立っていたが、暴れる様子はない。

 同僚同士、オークだけの言語で冗談を言い合っては笑っている。

 オークたちはユウキを一瞥して、さらに囁きを交わした。

 目つきからも、品のいいことを言ってるようには思えないが……それでも、人間を前にしても襲ってこないオークというだけで、カイナには驚嘆きょうたんに値する。


「こっちです、オロチ様は中庭に……ん? なんです、妙な顔をして」

「いや、カエデ。魔王軍は、実に統制が取れているな」

「全てオロチ様の力です。あの方は、誰にもへだてがない。そして、誰にも得をする話を結びつけて語られます。亜人の中には、より儲かるならと態度を改めるものが増えました」

「なるほど、実に合理的だ」

「……もっとも、はなの王都がこの有様で、少し拍子抜ひょうしぬけしたのも事実です」


 カエデは魔王オロチの尖兵せんぺいとして、この王都を大軍で襲った。

 だが、そこに敵はいなかった。

 すでに王宮はもぬけの空で、戦闘らしい戦闘は発生しなかったのである。残された多くの民も、大荷物で蜘蛛くもの子を散らす用に逃げてしまった。

 それを追わなかったのは、戦力の分散を防ぐためだとカイナは読んだ。

 無傷で王都を手に入れたからには、そこに戦力を集結、次の戦いに向けて再編成する。オークやゴブリンとて、ここで我慢すればより実入りが良くなると知ればさとくもなる。

 それでも、逃げ遅れた少数の人間、それも弱い立場の女子供は犠牲になってしまった。

 だが、カエデは少し誇らしげにうたう。

 そこには、どこかはすな死神の面影おもかげは不思議と感じなかった。


「オロチ様は、お前たち旅の勇者が次々と魔王軍の重鎮を撃破する中……この私に、機会を与えてくださったわ」

「お前も身分の高い魔族ではないのか?」

「まさか……私は末席まっせき。魔族は人間以上に血統を重視するわ。だから、無能でも偉大な先祖を持ってれば出世する。その逆もしかりよ」


 ははーん、とカイナの背後でシエルが笑った。

 彼は呑気のんきなもので、色目を使ってくるオークたちにもお愛想で手を振ってやる。見た目だけは完璧な美少女なのだから、自然と衛兵たちの鼻息が荒くなった。

 だが、シエルは笑って話に割り込んできた。


「さてはオロチめ、カイナたちに大掃除をやらせたね? 名ばかりで血統を主張する人間を、片っ端から勇者御一行にぶつけた」

「……貴様きさま、シエルとか言ったわね? 不敬ですよ、オロチ様がそんな」

「実力はあるけど生まれの不遇な人間には、王都攻略とか大事な仕事を任せた。あと、旅の勇者の生き残り、その二人の始末とかね」

「オロチ様は新しい魔族をやろうとなさってる。ならば、私はただついてゆくのみ」


 小さな悲鳴が響いたのは、そんな時だった。

 振り向けば、最後尾のユウキが魔族の女たちに取り囲まれていた。カエデもそうだが、何故なぜこうもう魔族の女性は薄着で平気なのだろうか? それはエルフにも共通することだが、見た目の優美さを自覚してか、目に映るだけで猛毒美もうどくびである。

 なにやら女官にょかんらしき数人が、ユウキだけを別室へとうながそうとする。

 ユウキは嫌がる素振りを見せたが、カイナが意外な言葉を放った。


「オロチ様の賓客ひんきゃくである。粗相そそうのないように。ユウキ、オロチ様に会う前に着替えてもらいましょう」

「……別に、わたしはこのままでいいんだけど」

「相応の作法があると言っています。湯で汗を流して、心身を清めていただきたい」

「オロチ君、そゆこと気にする子だと思う?」

「それはわかります。が、こっちにも手順というものがあるのです」


 ユウキは不満顔でくちびるとがらせていたが、静かにカイナがうなずくと溜め息をこぼした。

 やれやれといった調子で、別室へと連れて行かれてしまう。

 同時に、別の女官がカイナたちの右手首に小さな腕輪をはめた。


「これは?」

「ちょっと待って、カイナ! これ、凄い……ねえ、もしかしてこれ、装着者の魔法を制限する道具? そういうのさ、結構あるんだよね。でも、これは今さっき作られたように新しい。遺跡やなんかから発掘された大昔のレアアイテムじゃなさそうだ」


 瞳をキラキラ輝かせるシエルに、今度はカエデが嫌そうな顔をした。

 彼女は中庭に続く回廊を歩きながら、手短に説明してくれる。


「ええ、ですが……あげる訳じゃありません。オロチ様の前では、魔法を控えてもらいます。もっとも、恐るべき術の使い手はもう……以前、オロチ様が始末されましたけど」


 これも全て、謁見えっけんのための手順という訳だ。

 当然、カイナも拳や蹴りを封じられたと見ていいだろう。先手必勝で動けば、オロチ一人を倒すことは、あるいは可能かもしれない。

 だが、その時はユウキに危害が及ぶ。

 なにより、カイナはともなくシエルは腕輪を外さない限り、一生魔法が使えないのだ。

 そう、カイナは例外だ。

 ――


「オロチ様! 例の勇者三人組の一人、カイナとその仲間たちをお連れしました」


 中庭に出ると、そこは奇妙な空気が場を支配していた。

 緊張感はなく、おごそかな雰囲気も感じられない。

 なんと、ありとあらゆるモンスターが中庭にごった返しているのだ。グリフォンやワイバーンといった、比較的大型の魔物もそこかしこで羽根を休めている。

 そして、オークやゴブリン、コボルトといった亜人の兵士たちも大勢いた。

 皆、傷つき怪我をした者ばかりだ。

 その一人一人、一匹一匹に声をかけて回る少年がいた。

 そのミスマッチな姿に、カイナは勿論もちろんシエルも「嘘だろ、おいおい」と言葉を失っていた。


「やあ、君は北の谷から飛んできてくれたんだね。ありがとう。さ、傷をいやそう」


 血に濡れた巨大なヒドラを見上げて、魔王オロチが手をかざす。

 光があふれてほとばしり、強力な癒やしの術が励起れいきされた。その輝きは、あっという間に蛇の化物バケモノ穿うがたれた傷を塞いでゆく。まるで、時間が巻き戻されたようにきずあとさえ残らない。

 じゃれつくような大蛇の頭を撫でて、オロチは次の患者に向き合った。

 そう、まるで患者の求めに応える医者のようである。


「オロチ様」

「ああ、カエデ。おかえりなさい。君たちもよく来たね。でも、少し待っててくれないかな。あれ? ユウキは?」

戦塵せんじんを落として着替え中です」

「そっか。僕は気にしないけど、ユウキは女の子だからしかたない。君たちも、疲れてるとこ悪いね」


 魔王オロチまでの距離、わずかに十歩。

 鍛え抜かれたカイナの脚力を持ってすれば、一瞬で食い潰せる間合いだ。やると決めた瞬間にはもう、彼の鉄腕はオロチの頭蓋ずがいを砕くだろう。

 だが、その闘志が鈍るのをカイナは感じていた。

 目の前の少年を倒せば、それで戦いは終わるのだろうか?

 果たして、本当にまたこのユグドルナに平和が戻ってくるのだろうか。


「……いな、だ。断じて否……フッ、恐ろしい男だな、オロチ」

「うん? ああ、君もなにか怪我が? まあ、僕が命じてやらせたこととはいえ、話し合うには相応の敬意を払うのが筋だよね」

「話し合うのか? 俺と。俺たち、人間と」

「おや、話し合いは嫌かい? ……そうだったね、僕はこの手で君たちの仲間を」


 そうだ、忘れてはいけない。

 この男は、オロチは幼馴染おさななじみのカルディアを殺したのだ。

 そのことを思い出していると、不意に頭上を影がよぎる。

 低空を巨大なドラゴンが旋回していた。

 大地に風圧を叩きつけながら、その巨躯がなにかを落とす。受け身を取り損なって転がる、それは人間だ。それも、カイナには見覚えのある顔が倒れていた。

 この王都では、恐らく顔を知らぬ者はいないだろう。

 それは、かつてのこの城のあるじ……王その人だった。


「ありがとう。探してたんだけど、見付けてくれたんだね。君たち黒竜の一族にも、いい風が吹きますように。竜たちよ、魔王オロチはユグドルナで共に生きる民。帰って竜の王に伝えてほしい」


 オロチの言葉に一声鳴いて、巨大なドラゴンは飛び去った。

 このユグドルナでも、最強クラスのモンスター……ドラゴン。その力は一軍に匹敵する。反魔王はんまおうレジスタンスでまともにドラゴンとやり合えるのは、カイナとセルヴォ、そしてユウキぐらいのものである。

 そのドラゴンが、魔王オロチの願いを聞き入れ、逃げた王を捕まえてきたのだ。

 ゆっくり歩み寄るオロチに、身を起こした王がしわがれた声を叫ぶ。


「きっ、貴様ぁ! 今すぐ玉座を返し、この城から去れ!」

「こんにちは、王様。最初は挨拶じゃないかなあ……それと、返すも何も、捨てたのはそっちだと思うんだよね」

「くっ、下賤げせんの者、魔族ごときがワシに言葉を返すか!」

「あ、ひょっとして今、玉座を返すと、言葉を返す……ちょっと、かけた感じかい? 人間たちは洒落しゃれやジョークが好きだからね。……僕はでも、冗談を言い合うつもりは、ない」

「黙れと言っている! 貴様などと話す舌など持たぬ。ワシを誰と心得るかッ!」


 その剣幕が飾った威厳だけは、本物だったかもしれない。

 だが、そこにいるのは民の信頼も厚い賢王けんおうではなかった。一度国ごと民を捨てた男は、今はただの老人に過ぎない。こころなしか、カイナがかつて仲間たちと拝謁はいえつした時よりも、幾分いくぶん小さく見えた。

 だが、血走る目でにらむ王に、オロチは気圧けおされた。

 意外なほどあっけなく、後ずさってよろりと圧力に屈していた。

 カエデが「いけません、オロチ様」とすかさず駆け寄る。


「大丈夫です、オロチ様。この男はもう、オロチ様に負けたのです。この上は、我ら魔族をおとしめた人間の王として、相応のむくいを」

「う、うん、でも……すまないね、カエデ。やっぱり僕は駄目だ……怒鳴どなられると、涙が出るんだよ。怖いことを思い出す……みんな、みんなみんな怖い目にあってきたよね」

「ええ、そうです。でも、それも終わらせましょう。さ、オロチ様」


 思い出した。

 あの日、カルディアを殺した時もそうだった。

 オロチは泣いていた。

 今また、大粒の涙を瞳に浮かべている。

 それは、あまりにも拍子抜けで、ありえないほどに情けない。そして、自然とカイナから戦意を奪っていった。

 当の王本人も、周囲の魔物たちに睨まれつつ、呆気あっけに取られている。

 そして、カエデに涙を拭われながら、ぐずぐずと鼻をすすってオロチが歩み出た。


「本来、こういう使い方は間違ってるんだけど……グスッ。怖い人は、いなくなっていい。もう、僕たち魔族を、そして魔物や亜人たちをいじめる者は……許しては、おけない」


 先ほどと同じ光が、魔王のマントを風であおる。

 強力な光が放たれ、それを握る手がそっと王に触れた。

 そう、禿げ上がった頭に触っただけだ。

 そして、突然王が自分ののどむしる。


「グッ、ガ! ア、ガガ……カハッ! き、貴様、なにを……」

「王様、その物言いと現状認識の欠如けつじょ、きっと病気だと、グス、思うんだ……ズビビッ」

「き、きさ……魔王、オロ、チィィィィィ! アアアアアアッ!」

「治してあげるね。というより……治しようがないから、死ぬしかないさ」


 鼻をぐずつかせながら、魔王オロチは泣き笑った。

 それは、とても弱々しくて、この上なく冷たい笑みだった。

 王は血の涙を流しながらのたうち回り、ありえない量の黒い血を吐き出す。そしてそのまま、全身を痙攣させ動かなくなった。

 まるで全身の毛穴から吹き出したように、地面に真っ赤な水溜りが広がってゆく。

 カイナは自然と、カルディアの最期さいごを思い出してしまった。


「同じだ……あの時、と。そうか、魔王オロチ……お前の力は」

「そうさ、僕は回復魔法しか使えない。苦手なんだ、火炎とか稲妻とか。そりゃ、星の一つや二つは落とせるけど、あとから治す怪我人が増えちゃうからね」

「どういう原理かは知らぬが、その魔力……傷や病を癒す一方で、加減を変えれば生命いのちを暴走、自滅させるといったところか」

「あ、凄いな。初めて見て気付くなんて」

「初めてではないっ! これで二度目だ……そして、俺に二度見た技はもう、通用しないと知れっ!」


 思わずカイナは、自分でも気付かぬうちに熱くなっていた。

 慌ててシエルが腕にしがみついてきて、耳元で自制をささやく。

 そう、ここで感情に任せて暴発すれば、それは身の破滅だ。カイナは勿論もちろん、一緒に来てくれたユウキやシエルを危険にさらす。

 それに、ここで魔王オロチを殺せば、ユグドルナの人間は滅ぶだろう。

 英雄にして殉教者じゅんきょうしゃとしての死が、永遠のシンボルとして魔族たちの団結力を強めるからだ。それを頭ではわかっていても、胸の奥に熱いマグマがにらぐカイナだった。

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