魔王の素顔、その真実
カイナたち三人は、カエデに連れられ王宮へと来ていた。
そして、そこでも
城内に殺戮や略奪の痕跡はなかった。多少はあっただろうに、それが想像できないくらいに整然と静まり返っている。
大柄なオークがそこかしこで槍を持って立っていたが、暴れる様子はない。
同僚同士、オークだけの言語で冗談を言い合っては笑っている。
オークたちはユウキを一瞥して、さらに囁きを交わした。
目つきからも、品のいいことを言ってるようには思えないが……それでも、人間を前にしても襲ってこないオークというだけで、カイナには
「こっちです、オロチ様は中庭に……ん? なんです、妙な顔をして」
「いや、カエデ。魔王軍は、実に統制が取れているな」
「全てオロチ様の力です。あの方は、誰にも
「なるほど、実に合理的だ」
「……もっとも、
カエデは魔王オロチの
だが、そこに敵はいなかった。
それを追わなかったのは、戦力の分散を防ぐためだとカイナは読んだ。
無傷で王都を手に入れたからには、そこに戦力を集結、次の戦いに向けて再編成する。オークやゴブリンとて、ここで我慢すればより実入りが良くなると知れば
それでも、逃げ遅れた少数の人間、それも弱い立場の女子供は犠牲になってしまった。
だが、カエデは少し誇らしげに
そこには、どこか
「オロチ様は、お前たち旅の勇者が次々と魔王軍の重鎮を撃破する中……この私に、機会を与えてくださったわ」
「お前も身分の高い魔族ではないのか?」
「まさか……私は
ははーん、とカイナの背後でシエルが笑った。
彼は
だが、シエルは笑って話に割り込んできた。
「さてはオロチめ、カイナたちに大掃除をやらせたね? 名ばかりで血統を主張する人間を、片っ端から勇者御一行にぶつけた」
「……
「実力はあるけど生まれの不遇な人間には、王都攻略とか大事な仕事を任せた。あと、旅の勇者の生き残り、その二人の始末とかね」
「オロチ様は新しい魔族をやろうとなさってる。ならば、私はただついてゆくのみ」
小さな悲鳴が響いたのは、そんな時だった。
振り向けば、最後尾のユウキが魔族の女たちに取り囲まれていた。カエデもそうだが、
なにやら
ユウキは嫌がる素振りを見せたが、カイナが意外な言葉を放った。
「オロチ様の
「……別に、わたしはこのままでいいんだけど」
「相応の作法があると言っています。湯で汗を流して、心身を清めていただきたい」
「オロチ君、そゆこと気にする子だと思う?」
「それはわかります。が、こっちにも手順というものがあるのです」
ユウキは不満顔で
やれやれといった調子で、別室へと連れて行かれてしまう。
同時に、別の女官がカイナたちの右手首に小さな腕輪をはめた。
「これは?」
「ちょっと待って、カイナ! これ、凄い……ねえ、もしかしてこれ、装着者の魔法を制限する道具? そういうのさ、結構あるんだよね。でも、これは今さっき作られたように新しい。遺跡やなんかから発掘された大昔のレアアイテムじゃなさそうだ」
瞳をキラキラ輝かせるシエルに、今度はカエデが嫌そうな顔をした。
彼女は中庭に続く回廊を歩きながら、手短に説明してくれる。
「ええ、ですが……あげる訳じゃありません。オロチ様の前では、魔法を控えてもらいます。もっとも、恐るべき術の使い手はもう……以前、オロチ様が始末されましたけど」
これも全て、
当然、カイナも拳や蹴りを封じられたと見ていいだろう。先手必勝で動けば、オロチ一人を倒すことは、あるいは可能かもしれない。
だが、その時はユウキに危害が及ぶ。
なにより、カイナはともなくシエルは腕輪を外さない限り、一生魔法が使えないのだ。
そう、カイナは例外だ。
何故なら、カイナの右腕は――
「オロチ様! 例の勇者三人組の一人、カイナとその仲間たちをお連れしました」
中庭に出ると、そこは奇妙な空気が場を支配していた。
緊張感はなく、
なんと、ありとあらゆるモンスターが中庭にごった返しているのだ。グリフォンやワイバーンといった、比較的大型の魔物もそこかしこで羽根を休めている。
そして、オークやゴブリン、コボルトといった亜人の兵士たちも大勢いた。
皆、傷つき怪我をした者ばかりだ。
その一人一人、一匹一匹に声をかけて回る少年がいた。
そのミスマッチな姿に、カイナは
「やあ、君は北の谷から飛んできてくれたんだね。ありがとう。さ、傷を
血に濡れた巨大なヒドラを見上げて、魔王オロチが手をかざす。
光が
じゃれつくような大蛇の頭を撫でて、オロチは次の患者に向き合った。
そう、まるで患者の求めに応える医者のようである。
「オロチ様」
「ああ、カエデ。おかえりなさい。君たちもよく来たね。でも、少し待っててくれないかな。あれ? ユウキは?」
「
「そっか。僕は気にしないけど、ユウキは女の子だからしかたない。君たちも、疲れてるとこ悪いね」
魔王オロチまでの距離、
鍛え抜かれたカイナの脚力を持ってすれば、一瞬で食い潰せる間合いだ。やると決めた瞬間にはもう、彼の鉄腕はオロチの
だが、その闘志が鈍るのをカイナは感じていた。
目の前の少年を倒せば、それで戦いは終わるのだろうか?
果たして、本当にまたこのユグドルナに平和が戻ってくるのだろうか。
「……
「うん? ああ、君もなにか怪我が? まあ、僕が命じてやらせたこととはいえ、話し合うには相応の敬意を払うのが筋だよね」
「話し合うのか? 俺と。俺たち、人間と」
「おや、話し合いは嫌かい? ……そうだったね、僕はこの手で君たちの仲間を」
そうだ、忘れてはいけない。
この男は、オロチは
そのことを思い出していると、不意に頭上を影が
低空を巨大なドラゴンが旋回していた。
大地に風圧を叩きつけながら、その巨躯がなにかを落とす。受け身を取り損なって転がる、それは人間だ。それも、カイナには見覚えのある顔が倒れていた。
この王都では、恐らく顔を知らぬ者はいないだろう。
それは、かつてのこの城の
「ありがとう。探してたんだけど、見付けてくれたんだね。君たち黒竜の一族にも、いい風が吹きますように。竜たちよ、魔王オロチはユグドルナで共に生きる民。帰って竜の王に伝えてほしい」
オロチの言葉に一声鳴いて、巨大なドラゴンは飛び去った。
このユグドルナでも、最強クラスのモンスター……ドラゴン。その力は一軍に匹敵する。
そのドラゴンが、魔王オロチの願いを聞き入れ、逃げた王を捕まえてきたのだ。
ゆっくり歩み寄るオロチに、身を起こした王がしわがれた声を叫ぶ。
「きっ、貴様ぁ! 今すぐ玉座を返し、この城から去れ!」
「こんにちは、王様。最初は挨拶じゃないかなあ……それと、返すも何も、捨てたのはそっちだと思うんだよね」
「くっ、
「あ、ひょっとして今、玉座を返すと、言葉を返す……ちょっと、かけた感じかい? 人間たちは
「黙れと言っている! 貴様などと話す舌など持たぬ。ワシを誰と心得るかッ!」
その剣幕が飾った威厳だけは、本物だったかもしれない。
だが、そこにいるのは民の信頼も厚い
だが、血走る目で
意外なほどあっけなく、後ずさってよろりと圧力に屈していた。
カエデが「いけません、オロチ様」とすかさず駆け寄る。
「大丈夫です、オロチ様。この男はもう、オロチ様に負けたのです。この上は、我ら魔族を
「う、うん、でも……すまないね、カエデ。やっぱり僕は駄目だ……
「ええ、そうです。でも、それも終わらせましょう。さ、オロチ様」
思い出した。
あの日、カルディアを殺した時もそうだった。
オロチは泣いていた。
今また、大粒の涙を瞳に浮かべている。
それは、あまりにも拍子抜けで、ありえないほどに情けない。そして、自然とカイナから戦意を奪っていった。
当の王本人も、周囲の魔物たちに睨まれつつ、
そして、カエデに涙を拭われながら、ぐずぐずと鼻をすすってオロチが歩み出た。
「本来、こういう使い方は間違ってるんだけど……グスッ。怖い人は、いなくなっていい。もう、僕たち魔族を、そして魔物や亜人たちをいじめる者は……許しては、おけない」
先ほどと同じ光が、魔王のマントを風で
強力な光が放たれ、それを握る手がそっと王に触れた。
そう、禿げ上がった頭に触っただけだ。
そして、突然王が自分の
「グッ、ガ! ア、ガガ……カハッ! き、貴様、なにを……」
「王様、その物言いと現状認識の
「き、きさ……魔王、オロ、チィィィィィ! アアアアアアッ!」
「治してあげるね。というより……治しようがないから、死ぬしかないさ」
鼻をぐずつかせながら、魔王オロチは泣き笑った。
それは、とても弱々しくて、この上なく冷たい笑みだった。
王は血の涙を流しながらのたうち回り、ありえない量の黒い血を吐き出す。そしてそのまま、全身を痙攣させ動かなくなった。
まるで全身の毛穴から吹き出したように、地面に真っ赤な水溜りが広がってゆく。
カイナは自然と、カルディアの
「同じだ……あの時、と。そうか、魔王オロチ……お前の力は」
「そうさ、僕は回復魔法しか使えない。苦手なんだ、火炎とか稲妻とか。そりゃ、星の一つや二つは落とせるけど、あとから治す怪我人が増えちゃうからね」
「どういう原理かは知らぬが、その魔力……傷や病を癒す一方で、加減を変えれば
「あ、凄いな。初めて見て気付くなんて」
「初めてではないっ! これで二度目だ……そして、俺に二度見た技はもう、通用しないと知れっ!」
思わずカイナは、自分でも気付かぬうちに熱くなっていた。
慌ててシエルが腕にしがみついてきて、耳元で自制を
そう、ここで感情に任せて暴発すれば、それは身の破滅だ。カイナは
それに、ここで魔王オロチを殺せば、ユグドルナの人間は滅ぶだろう。
英雄にして
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