好きが一つしかない男

 その日は夜まで、村をあげての大宴会だった。

 カイナの帰郷ききょうを祝い、同時に客人ユウキを歓迎するどんちゃん騒ぎである。ユズルユ村はおおらかな気風で、些細ささいなことでもめでたいめでたいと盛り上がる。

 なんでも祝い事にしてしまうのが、この村のならいなのだった。


「ふう、さとはいい……帰ってきたんだな、俺は」


 カイナは今、数ある温泉の一つを訪れていた。山へと少し登った露天風呂で、ここから村を一望できる。いわゆる穴場というやつで、今夜もカイナ以外に客はいなかった。

 家々にともる明かりから、歌と笑い声が響いてくる。

 山から吹き下ろす風が、その喧騒をどこか遠くへ持ち去ってゆくのだ。

 そして、裸になったカイナは、改めて我が身の喪失感に向き合う。


「傷はふさがったか」


 肩からごっそりと失われた、右腕。

 今でもカイナは、その瞬間をはっきりと覚えていた。

 女だ。

 妖艶ようえんな笑みを称えた、魔族の女にやられた。

 おそらく、魔王軍でも高い地位にいる者だと思う。今まで蹴散けちらしてきたモンスターや魔族とは、全くレベルの違う戦いだったから。

 その女は、手にした長柄ながえ大鎌デスサイズでカイナを圧倒した。

 カイナはセルヴォと共に追い詰められ、敗北をきっしたのだ。


「……まあ、斬られた腕はもう戻らん。だが、これで終わりにはしない」


 自分に言い聞かせるようにつぶやき、さてと洗い場に進む。

 湯船にかる前は、まず全身を洗って清めるのが作法さほうである。

 手ぬぐいを首にかけ直して、まずは風呂桶ふろおけを拾う。それを持って、湯が湧き出る小さな滝の前に立った。この地域は、あらゆる場所から温泉が染み出してくるのだ。

 だが、腰掛けを引き寄せようにも、手が足りない。

 行儀が悪いと思いつつ、ひょいと脚を伸ばす。


「ふむ。やはり師匠のようにはいかん、な」


 今日、久々にセナに再会し、手荒い歓迎を受けた。

 五体満足であっても、いまだにカイナはセナにおよばないだろう。そして、同じ流派の極意ごくい伝授でんじゅされていても、セナとカイナとでは好む技や戦法が異なっていた。

 養母ようぼセナの真骨頂しんこっちょうは、流麗なるじゅうけん

 特に、無限に変化を見せる多種多様な蹴り技が持ち味だ。

 対してカイナは、力で受け止め力で返す、いわばごうの拳。

 背に友を守ると誓ったからには、回避は最低限だ。


「……まずは今の身体に慣れねば。ただ歩いて走る、それですら以前とはまるで違う」


 言葉に溜め息が入り交じる。

 そんな時、意外な返事が自然に飛び込んできた。


「やっぱ、体の調子が違うんだ。さっき、すごかったねえ。綺麗で元気なママさんじゃない」

「あれは元気というレベルを超えているがな」

「まーね。んで、不自由してそうだけど、カイナ君」

「まあ、これも俺の未熟さゆえの……ん? その声、は? ――!?」


 肩越しに振り向けば、湯けむりの中に女神が立っていた。

 いや、天使か、その両方かというようなまばゆさ。

 それは、手ぬぐいで前を隠したユウキだった。

 そして思い出す……


「やっほー? カイナ君もお風呂? 奇遇だねえ。ってこら、まじまじ見るなっての」

「あ、ああ、すまない!」

「ただでこのユウキちゃんのサービスシーンを見ようなんて、とんだラッキースケベなんだね、キミ」

「……金を、取るのか?」

「ふふ、まさか」


 カイナは自分の変化に驚いていた。

 まるで、心臓が膨らんで全身を覆ったかのような錯覚。耳元に自分の鼓動がはっきりと聴こえる。それは早鐘はやがねのように割れ響いて、思考がぼんやりとにじんでいった。

 妹たちを連れて風呂に入り、洗ってやったりもした。

 あのサワともそうしてたし、セナが一緒の時もあった。

 だが、こんなにも不思議な気持ちに胸がざわつくことはなかったはずである。


「で、ついでだからカイナ君。難儀してるようだし、洗ってあげようか? 髪とかさ」

「い、いや、いい! 申し出はありがたいが」

「ほらほら、男の子が遠慮しないの。こっちの世界の人は、こゆので髪を洗うんだね」


 ユウキは手にした風呂桶から、小さなボトルを取り出した。

 セナも使ってる洗髪薬シャンプーで、柑橘系かんきつけいのいい香りがすでに漏れ出ていた。

 そんなユウキにぼんやりと見惚みとれてしまい、視線に気付かれて軽くにらまれる。


「ほら、前向いて! 恥ずかしいでしょ」

「す、すまん!」

「ふふ、また謝ってる。いいよいいよー、わたしこそゴメンね。押し掛けちゃったみたいでさ」

「……気にすることはない。ここは来る者を拒まぬ、そういう土地だ」

「おおらかでいいねえ。しばらく温泉で羽根を伸ばそうかなー?」


 ユウキに背を向け、黙って座り込む。

 静かに湯がかけられ、両手がボサボサの髪へ分け入ってきた。頭皮が敏感に、細く柔らかな指先を感じてしまう。そのぬくもりさえ拾うかのように、過敏になってる自分がおかしかった。

 徐々に泡立つ頭が、小さくシャボン玉を広げてゆく。

 なんだか背中に柔らかいものが当たってる気がして、カイナは気が気じゃなかった。

 そして、不意に一人の少女が思い出された。


「ん? どしたの、カイナ君。黙られちゃうと困るよー、なんか話して」

「そ、そうだな、すまない」

「また謝った」

「あっ、それは、すまな――う、うむ。なにを話せば」

「この村のこととか? あと、うん……カルディアのこと、聞きたいかな」


 短い沈黙、そして背後で息を飲む気配。


「あっ、ゴメン! ……まだちょっと、話せない、よね? だって」

「いや、謝らないでくれ。大丈夫だ。もう、大丈夫だと思う」


 カイナは静かに語って聞かせた。

 カイナとセルヴォ、そしてカルディアはこの村で育った幼馴染おさななじみだ。セルヴォは村長の息子だが、カルディアは天界樹ユグドラシルまつ巫女みこの娘だった。病弱な先代が死んでからは、その任を引き継ぎ村を支えてくれてたのである。

 村でも有名な悪ガキ三人組だったし、いつでも一緒だった。

 こうして一緒に風呂にも入ったし、カルディアはよく髪を洗ってくれたのを思い出す。


「サワもカルディアには、よくなついていたな」

「そっか。……なるほど、把握はあく。そうだよね、こういうのって」

「うん? なんの話だ?」

「いや、好きだったんだろうなーって」

勿論もちろんだ。俺もセルヴォも、優しくてたくましいカルディアが好きだった」

「だーかーらーっ! そういう好きじゃないっての!」


 不意に湯が浴びせられた。

 それが二度三度と続いて、こころなしか手付きが荒っぽくなったような気がする。

 あわの匂いが完全に取れると、最後にワシワシとユウキが頭を撫でてくる。


「カイナ君、さ。もうちょっと女心は勉強が必要かなー? 乙女心というか」

「そ、そうなのか?」

「そうです、そうなのです。どれ、背中も流してあげよう。サービスだよ、サービス!」


 甲斐甲斐かいがいしくユウキは、今度はカイナの背中を洗い始めた。備え付けの石鹸せっけんは貴重品で、小さくすり減って亀の親子みたいに重なり溶け合っている。

 上機嫌で鼻歌交じりのユウキが、見知らぬ歌をハミングしていた。

 そして、そんな彼女の先程の言葉が、ずっと心の中で反響し続ける。


 ――


 カイナには、それがわからない。

 今でもセルヴォのことは好きだし、カルディアと約束した。必ず守ると。カルディアのことも好きだったし、だからこそ誓いを守りたかったのだ。

 セナもサワも、好きだ。

 弟や妹、この村の人たちも好きだ。

 守りたかったからこそ、我が身を鍛えて戦いを選んだ。

 だが、己の未熟さ故に破れ、大切な友カルディアを死なせてしまった。

 そしてまた先日、己の右腕さえも失い、セルヴォの信頼すらなくしてしまった。


「はい、両手を上げてー」

「いっ、いや、いい! そこまではいい!」

「いいからいいから。遠慮しないのっ! お姉さんが多少は面倒みてあげるから」

「……ユウキ、いくつだ? 俺は今年で十六になる」

「あっ、イッコ下か。わたしは十七、えへへ。という訳で、年上の言うことは素直にきくこと!」


 言われるままに渋々しぶしぶ、全身を隅々まで洗われてしまった。

 ユウキはカイナの筋肉と古傷に驚いていたが、そんな彼女の柔肌は戦士のものとは思えない。とても、鎧を着込んで敵陣を突破する要塞少女フォートレス・リリィとは信じられなかった。

 淡雪あわゆきのように白くて、それ自体が温かな光を放っているかのような錯覚。

 湯けむりにかすんだ周囲の光景から、ユウキの姿が鮮明に浮き出てくるようだ。


「よし、こんなもんかな?」

「す、すまない」

「ほら、また。違うでしょー?」

「あ、ああ……ありが、とう」

「よろしい! さて、わたしも汗を流そっかなー」


 慌ててカイナは、逃げるように湯船に飛び込んだ。

 頭で浸かって湯の中を泳ぎ、顔を出すや視線を遠景へ逃がす。

 向けた背中は今、一人の少女を異性として空気の向こうに感じていた。

 こんな状況は、今まで経験したことがない。

 だが、長い黒髪を洗いながら平然とユウキは声をかけてくる。


「カイナ君さあ、さっきはなにを考えてたの? 当ててみよっか」

「あ、ああ」

「修行とか、特訓的なの? そゆの、やろうとしてるでしょ」

「……わかるのか?」

「もっちろん! やっぱ男の子だねー、心は折れてないんだ」

「折れるさ。老若男女ろうにゃくなんにょを問わず、心は誰もがもろいもの」

「そなの?」


 ああ、と頷けば実感がこもる。

 

 その弱さを知るからこそ、強さを見上げて目指すのだ。

 弱さを自覚しなければ、そこから強くなることはできない。


「骨と同じだ。折れてもげばいい。そして、繋がった骨は以前より強くなる」

「なーんか、脳筋な発想。でも、嫌いじゃないかな」

「心が折れることを責めてはいけないのさ。そこから立ち上がれないことも。ただ……俺は、そういう人たちのためにたまたま立ち上がれる。それだけだ」

「……かっこいいじゃん、カイナ君さ」


 クスリと笑って、ユウキは次に身体を洗い出した。

 いよいよ裸体の輝きが増した気がして、カイナは背けた目を固くつぶる。

 そして、改めて生まれ故郷を見下ろし誓った。

 これから、折れてくじけた全てを接ぎ直すと。

 既にカイナには、自分に欠けてる力も、まだまだ伸ばせる技も見えているのだった。

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