ACT.02「凱旋なき帰郷と、やすらぎと」

旅は道連れ、世は情け?

 とても天気のいい日だった。

 晴れ渡る空はどこまでも高く、遠くの稜線りょうせんまでがよく見渡せる。耳を澄ませば、銃での訓練にいそしむ農民たちの声がここまで聴こえてくる。

 反魔王レジスタンスの本部施設になったやかたを出て、カイナは歩き出した。

 仰々ぎょうぎょうしい門を出て、一度だけ振り返る。

 執務室のある二階を見上げたが、その窓にセルヴォの姿はなかった。


「……帰るか」


 カイナは、無手の体術で魔物を倒す格闘家だ。

 だが、剛腕を誇った右腕はすでにない。隻腕せきわんになってしまっては、戦力外と言われるのも無理からぬものがある。

 それでも、カイナにだってできることがあるはずだ。

 しかし、それを探すことも、なければ作ることも許されなかった。

 一緒の村で育って切磋琢磨せっさたくまし、共に旅した親友の決断は冷たかったのだ。

 ふところにしまった革袋が妙に重く、中の金貨が冷たく肌を刺してくるような錯覚。それを捨てることもできず、黙ってカイナが歩き出そうとしたその時だった。


「あ、あのっ! カイナさん! ――ほらっ、こっちだってば」

「え、えぅー、いいよぉ、そんな……お姉ちゃん、恥ずかしい」

「ごめんなさい、姉がカイナさんに是非ぜひって」


 ちょうど同世代くらいの少女が二人、門の外に待っていた。

 その顔は思い出せないが、既にレジスタンスには千を超える人員が集まっている。旅のパーティはいつしか馬車を持ち、別働隊が増えて、今や軍隊のようになってしまっていた。

 その中で戦ってきたカイナは、セルヴォの右腕として名の知れた少年だった。

 姉のマスケット銃を手から取り上げ、妹がグイと背を押す。


「も、もぉ! あ、え、えと……」

「お姉ちゃん、ファイトッ! これが最後のチャンスだよ? カイナさん、帰っちゃうんだから」

「わ、わかってるよぉ……で、でもぉ」


 うつむきながらも、少女は上目遣いにカイナを見詰めてくる。

 その顔を思い出そうとして、ようやく記憶の中にカイナは過去を拾った。


「……ああ、あの時の。確か、トロルの群れに囲まれていた」

「は、はいぃ! そっ、そのせつは、ありがとうございましたっ。ホッ、お礼言えたよぉ」

「いや、気にしないでくれ。仲間を守るのは当たり前のことだ」

「なっ、ななな、仲間……ッッッッッッ!」


 少女はシュボッ! と赤くなって、そのまま倒れそうになった。慌てて妹が、よろける姉に駆け寄る。

 妹に支えられながらも、少女はあわあわとしどろもどろに話し続けた。

 二人共、服装からして農家の娘たちだろう。

 本来ならばこの時期、種蒔きがあって忙しい筈だ。

 それなのに今、姉妹は共に銃とかいう武器を持って、くわすきよりそっちの練習にご執心という訳だ。セルヴォが熱心に広めている銃が、カイナは苦手だった。


「まあ、今年は税を搾り取る領主たちも逃げてしまったからな……食う分と売る分だけ植えて育てればいいか」

「あ、あのぉ」

「いや、こっちの話だ。無事でよかったな、それじゃあ俺はこれで」

「ま、ままま、待ってくださいぃ!」


 よたよたと姉の方が駆け寄ってくる。

 彼女は、カイナが道着の上から羽織はおった上着の中に、右腕がないのを見て息を飲む。知らされてはいただろうが、改めてその目で見て現実を知ったようだ。


「あの時は、パンチ一発でトロルを……でも、その腕……」

「ああ。もう、君たちを守れない。誰も守れなくなってしまった……今は、な」

「わ、私っ、頑張りますっ! カイナさんが守ってくれた命で、戦います! 魔王軍と!」

「……できれば、危ない真似まねはしてほしくない」

「だだだ、大丈夫ですっ! 私、射撃が上手いって褒められてて……エヘヘ」


 銃という発明は、これは革命的だった。

 今まで、魔物と戦えるのは王国の騎士や兵士たちだった。長らく訓練を受けた者の剣や魔法のみが、魔物の驚異から民を守りえたのである。

 だが、魔王の登場でそのことわりは脆くも崩れ去った。

 代わって台頭したのが、銃である。

 この武器があれば、平民でも戦えるのだ。

 それも、わずかな練習だけで必殺の一撃を繰り出せるようになる。

 カイナのように、研鑽けんさんを積んだ格闘戦の達人など……もういらない時代が見えていた。


「姉妹で仲良く、自分の命を一番に大事にして生き抜くんだ。……必要なら、逃げろ」

「で、でもぉ」

「もう、守ってやれないからな。それと、もし余裕があったらセルヴォを頼む。あいつは……昔から馬鹿真面目ばかまじめでね」

「は、はいっ!」


 何度も頭を下げて、姉妹は行ってしまった。

 振り返る二人に、カイナは手を振ろうとして……再び思い知らされる。時々まだ、右腕がないことを忘れていた。それで、自分で意識して左手を持ち上げ、振ってやる。

 少女たちが射撃場の方へ見えなくなるまで、ずっとカイナは見送った。

 そんな彼の背中に、瑞々みずみずしい声が投げかけられる。


「ふぅん、優しいんだ? 確か、カイナ君だっけ?」


 振り返ると、そこにはすらりと細身の少女が立っていた。

 長い黒髪が風になびいて、肌もあらわな薄着が白い肌を眩しく輝かせていた。背には巨大な荷物で、あまりにも大き過ぎる盾とランスもぶら下がっている。

 まるでちょっとした小屋を背負っているような、彼女の名を既にカイナは知っていた。


「ユウキ、か。要塞少女フォートレス・リリィユウキ」

「そそ。もっとも、その呼び方は好きじゃないかなー? なんか、子供向けのアニメっぽいし」

「アニメ?」

「ううん、なんでも。それより、キミはこれからどうするの?」


 先程の剣幕はどこ吹く風、勝ち気に微笑ほほえむユウキの眼差しに、思わずカイナも笑みがこぼれた。はがねの鎧に覆われた姿と違って、今は背丈もカイナと同じくらいである。

 例のいかつい重甲冑アーマーは、背中の荷物となっているようだった。


「故郷に帰る。まあ、しばらくはのんびりするさ」

「おっ、スローライフってやつね。うんうん、そだね。カイナ君、働き過ぎだったもん」

「詳しいな。知っているのか?」

「話くらいは入ってくるよ。もっとも、初めて会ってみたら思ったのと違ったけど」

「それはすまんな」

「ううん、思ったよりずっと……こう、ねえ?」


 いまいち話がよく飲み込めないが、なんだか嬉しそうにユウキは笑っている。

 彼女から問われたことを、カイナもまた問い返した。


「え? わたし? うーん、実は行くあてもなくて……友達を頼ろうかなーとは思うけど、急な話でしょ? まさかクビなるなんてさ」

「そうか。知己ちきとの連絡はつかないのか? 物流と交通は各地で分断されてるが、念信ねんしんを使えば」

「あっ、それね! っていうかあ……使


 思わずカイナは「……は?」と間抜けな声を出してしまった。

 魔法とは、このユグドルナと呼ばれる世界での普遍的な能力である。誰もが生活の中で魔法を使うし、魔族程ではないが攻撃魔法を体得した人間も少なくない。日常の些細ささいなことから、傷の治療や狩り、金属の鍛造たんぞうにいたるまで、魔法なしでは発達し得なかった文明でユグドルナは回っているのだ。

 その魔法が使えない人間というのは、カイナは聞いたことがない。


「ちょっちねー、事情があるんだ。ほら、天界樹ユグドラシル? だっけ?」

「ああ。……ほら、この地方だとあれだ。あそこにそびえている大樹が見えるだろう」


 今度は自然に、左手を使うことができた。

 指差す先に、そこだけ遠近感が狂ったかのような光景が広がっている。遠く離れているのに、天を貫く巨大な古木が屹立きつりつしていた。葉の生い茂る枝葉は、雲の上まで伸びて広がっている。

 天界樹、それは空を支えて大地を守る無数の神木。

 この世界に満ちた魔法の力は、全てそこからもたらされてると言われていた。


「うんうん、今日もいい天気! 天界樹もよく見えるねー」

「……こうしていると、戦いなど夢のように感じるな」

「まあね! ところで……ねえ、カイナ君」

「うん?」

「実は、そのぉ……ちょっと、お財布事情も厳しくて。で、お願いっ!」


 突然、ユウキは奇妙なポーズで頭を下げた。

 両の手の平を合わせて、それを立てて真っ直ぐ中心線に沿って差し出してくる。


「わたし、ちょっと色々あって……頼れる人、少ないんだ。よかったら、しばらくカイナ君んちに居候いそうろうさせて! 勿論もちろん、お礼は身体で返すから!」


 思わず、ユウキの一言にカイナは目を細めた。

 可憐かれんな少女の肉体は、とても重い鎧を着込んで動く人間には見えない。細い手足など、どこにでもいる町娘のようだ。そして、どこにもいないような美貌に相応ふさわしい、メリハリのある肉体美である。

 こんな華奢きゃしゃな娘が、鎧を着込んで戦場を駆け抜けてきた。

 ちょっと想像がつかないし、怪力自慢の勇者と言われてもピンとこなかった。


「……大したもてなしはできないが、いいか?」


 共に不要な人間として追放された身だ。

 それに、事情があるのはカイナも同じである。

 だから、カイナはそっとユウキに近付き、背の荷物をひょいと片手で持ち上げる。肩にかかったバンドをたぐれば、ずしりとした手応え。やはり、彼女の武具は常人が装着するそれの何倍も重かった。

 それでも、鍛え抜かれた左腕一本でカイナはユウキを重量物から解放してやった。


「ホ、ホント? あ、重いよ、大丈夫?」

「嘘は言わない。それに、鍛えてるんでな」

「う、うん……ありがとっ。……あ! 身体で返すっていうのは、労働で返すって意味ね! 肉体労働で! それも、健全なやつで!」

「それは助かるな。田舎いなかの小さな村だが、仕事は腐る程ある」


 思いがけぬ帰郷ききょうの道連れができて、不思議とカイナの心が軽くなった。

 それに、ユウキほどの剛の者がいてくれるなら……むしろ、カイナにとっては都合つごうがいい。彼はまだ、これっぽっちも諦めてなどいないのだから。


「荷物くらいは持とう。なに、魔法は俺も得意じゃないが、人並み程度にはな」


 左腕一本で大荷物を持ち、すぐに念じて魔法陣を宙に呼び出す。脳裏で術式を組み立てれば、すぐに光の空洞が現れた。

 これが、魔法である。

 この世界の人間ならば、思考を結ぶだけで顕現けんげんする不思議な力だ。

 荷物の運搬などに重宝する、ほぼ無限に物質を収納する穴へとカイナは巨大な武具一式を放り込むのだった。

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