第8話 現代、花彌の章 1


 看護師として赤十字総合病院産婦人科に勤務する曽我部花彌そかべかやは、勤続年数10年目を迎えた誕生日の今日、親しい同僚の重光から小振りな花束を貰った。


「え!嘘、ありがとう!」


 夜中のナースステーション。

 引き継ぎを終え、帰ろうとした矢先のことだった。


 渡された花束は、ピンクのガーベラを主軸にトルコキキョウ、カスミ草などをあしらっており、可愛らしくとも華やかだった。受け取ると一気に疲労感が癒えた。


 人から花束をほとんど貰ったことのない花彌は、顔を赤らめ興奮気味に重光に笑いかける。重光はしてやったりと満足げに鼻息を荒くした。


「誕生日おめでとう。不幸姫の花彌もさ、たまには良いことないとね。」


 聞き慣れた、《不幸姫》のあだ名に、花彌は小さく苦笑した。若干古くさいこのあだ名は、看護師として働き初めて一年目の時、指導医で救急医、昭和生まれの谷口に名付けられた。


 当時新人の花彌がよく失敗したことも要因ではあったが、何より花彌の生い立ちを聞いた谷口が、同情しつつも笑いながら付けたあだ名でもあった。


 

 幼い頃から数えて三回、花彌は死にかけている。


 一度目は産まれたばかりの頃。

 花彌は妊娠28週と3日、早産で産まれた。

 2000グラムに満たなかった未熟児の花彌は、心室中隔欠損症とそれに付随した大動脈弁狭窄を起こしており、肺動脈の一部にも狭窄が見られた。また胃と小腸も未発達であったこともあり、ミルクを自力で飲むことができず、保育器の中の小さな花彌は、たくさんの管に繋がれていた。


 生後まもなく何度か手術を受けるも、予後が芳しくなく、一歳を迎えることは難しいと思われた。

 しかしその事実を、医師は母親に告げることができなかった。

 

 初産だった母親は、娘の病状に錯乱し、産後すぐ重い鬱病を発症。同じ総合病院の神経内科に入院していたのだ。


 出産時の同意書には父親らしき男の名も記されてはいたが、母子手帳の父親の欄は空欄で、母親の見舞いにも幼い娘の見舞いにも、それらしき男性は一度たりとも現れることはなかった。


 代わりに毎日病院を訪れたのは祖母と高齢の曾祖母で、特に曾祖母は孫娘と曾孫の身の回りの世話にとても献身的だったと、後に花彌は祖母から聞いた。


 「花彌」という名も曾祖母が付けてくれた。

 広がり続ける花のように、逞しく育ってほしいとの想いが込められているという。



「ありがとう、大きいバアちゃん。」


 仕事を終えて帰路につく花彌は、花束を胸に抱きながらそんな曾祖母のことを思い出し、泣きそうになる。



 その曾祖母から不思議な話を聞いたことがある。


『花彌にぁちょっと複雑な神様が憑いとるなぁ。なんじゃろうな、守護霊様ともご先祖様ともちょいと違う。はて、なんじゃろうか。』


 広島生まれの曾祖母は、花彌が産まれたと同時に東京に越してきており、それから12年近く、亡くなるまで東京で暮らしたが、広島弁はいつまでも経っても抜けなかった。

 だが、花彌は曾祖母の広島弁がとても好きだった。


 その曾祖母が語った「複雑な神様」が、亡くなる数年前、寝たきりになった頃からはっきりと見えるようになったようだった。


 花彌が11歳になったある日、曾祖母は、少し困った様子で花彌をベッド脇へ呼び寄せた。


『花彌や。ありゃぁの、お前さんに憑いとる神様はの、ありゃ、…死神様かもしれんよ。わしはこまい頃、あの人を見たことがあるかもしれん。原爆の日にのぉ、確かのぉ、』

『おばあちゃん!何を言ってるの!その話は花彌にはしないでって言ったでしょ!』


 遠くで聞いていた祖母がすごい剣幕で駆け寄り強い口調で窘めたが、花彌は俯き、そうかもしれないなとそっと思った。


 


 

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