第16話 シルヴァンさんは男性にももてる


 お父さん。お母さんはどこ?

 ……お父さん、泣いてるの?


「里奈、ごめん。お母さんは……別のところで暮らすそうだ。お父さんがいたらなかったんだ。ごめんな」


 お母さんがあんまり家にいなかったのも、ずっと嬉しそうにスマホ見てたのも、出ていくからだったの?


「お父さんが仕事ばかりでしっかりしていなかったから悪かったんだ。里奈はまだ九歳なのに。本当にごめん……」


 私、もう一人で留守番できるし大丈夫だよ。

 お料理も覚えるから。しっかりするから。

 だから、泣かないで、お父さん。 




 目を開けると、今ではもう見慣れた天井が目に入ってくる。

 また、あのときの夢。

 最近では見なくなっていたのに。


 ――家に帰ってきて、ほっとして気が抜けたんだろう


 身支度をしながら、昨夜のシルヴァンさんの言葉を思い出す。

 ここが自分の居場所になってしまう前に出ていこうと思っていたのに、彼にそう言われてこの家に帰ってきて自分はほっとしていたんだと気づかされた。

 それに、シルに寄りかかって寝ちゃうなんて!

 いくらあの時は狼だったとはいえ、信じられない。

 しかも裸の男の人にベッドに運ばれて気づかないなんて。彼が紳士だからよかったけど、油断しすぎてる。

 気が緩んでるなあ。

 ずっとこの家にいたときは気づかなかったけど、昨日みたいに緊張し通しの状態から家に帰ってみると、ここでは色んな意味で安心しきっているんだ、私。

 少し気を引き締めよう……。


 昨日話したとおり、今朝は歩いて出勤することになった。

 シルヴァンさんは当たり前のように私の荷物を持ってくれる。


「あの、自分で持てます」


「薬の瓶も少し入っているから重いだろう。女性に持たせるわけにはいかない。俺の顔を立てると思って任せてくれ」


「すみません」


 ここでありがとうでなくすみませんと言ってしまうのは日本人の悪い癖かもしれない。

 ううん、私の悪い癖か。


 少し前を歩くシルヴァンさんの背中を見る。

 背、高いなあ。肩幅も広いし。お父さんはもっと小柄だった。

 顔もかっこいいし優しい。この若さで騎士団長なら当然強いんだろう。

 一緒に住むのが恐れ多いくらいの男性。

 どこまでも私を甘やかしてくれるこの人に、私は心を許し始めてるんだろうか。

 シルといるときのような安心感を、シルヴァンさんにも感じ始めている気がする。

 でも。

 彼に奥様や恋人ができたとしたら、私は出ていかなければならない。

 貴族で騎士団長ともなれば、いつ縁談がきてもおかしくない。

 たとえ彼が独身主義だったとしても、一生甘えてお世話になるわけにはいかないんだから、ちゃんと将来を見据えないと。

 その点では、働き始めることができたのはよかった。


「どうした? リナ」


 呼びかけられて、はっとする。


「あ、すみません。ちょっと考え事をしてました」


「家を出る算段とか?」


 少し意地悪な笑みを浮かべてシルヴァンさんが言う。

 当たらずとも遠からずで、私は言葉に詰まった。


「リナはそういうことを考えるときに、眉間にしわを寄せるクセがあるからな」


「えっ……」


 思わず自分の眉間に手を当てる。

 彼はずっと家にいてほしいと言ってくれている。それなのに家を出ることばかり考えてるのは、失礼だとわかってはいるんだけど。


「家を出る算段というわけじゃないんです。ただ、シルヴァンさんに縁談話が来ることもあるのかな、と……」


 彼が小さく笑う。

 どこか自嘲しているようにも見えた。


「長男ではないから結婚の義務などないし、人から勧められた縁談なんて興味はない。だから気兼ねなく続き部屋を使ってほしい」


「……すみません」


 かわいげがないと、自分でも思う。

 人の厚意に甘えることができない。

 それを自分が育ってきた境遇のせいにするつもりはない。私よりもっと過酷な環境でまっすぐに育った人だってたくさんいるだろうし。

 単に私がそういう性格なんだと思う。

 唯一、オルファには気を許して甘えていたかもしれない。

 だからこそ、彼女が逝ってしまったときはしばらく立ち直れなかった。


「引きとめているのはこちらだから、そんなに申し訳なさそうな顔をしなくていい。今は仕事に慣れることを考えよう」


「はい」


「本当は頻繁に医務室に様子を見に行きたいんだが、オスカーに止められている。約一年不在にしていて仕事が山ほどたまっているのと、職場であからさまにひいきしている様子を見せないほうがいいと。あいつは優しげで穏やかだが、仕事に関しては厳しい」


「ふふ、そうなんですね。そのお気持ちだけでありがたいです。私も、私自身を認めてほしいからがんばります」


「リナが仕事で認められればそれはリナの実力だし、うまくいかなくても俺の立場が悪くなるなんてことはないからのびのびやってほしい」


「ありがとうございます」


 いつもいつも、シルヴァンさんは私を慮ってくれる。

 かわいげのなさすら受け止めてくれる。

 一緒にいて唯一安心できる男性。

 今まで男性に対してそんなふうに思ったことはなかったから、戸惑ってしまう。


 シルヴァンさんと別れて医務室に着くと、カレンさんはまだいなかった。

 昨日帰り際に聞いたところ、ここではカルテとかは特に作っていないそうだから、許可を得て私が作ることになった。

 医務室って思ったよりもざっくりしているというか、学校の保健室くらいの扱いな気がする。

 本当は内科的なことのほうが得意なんだけど、本来は応急処置とかがメインだよね。

 昨日は自称腹痛が多かったけど……。

 止血薬や打ち身に効く薬を少しずつ増やしながら、いろんなことに対応できるようがんばっていこう。

 薬棚に薬を置いて、名簿を見ながらカルテを作っていると、ガチャリとドアが開いた。

 カレンさんかなと思って顔を上げると、赤茶色の髪の男性が立っていた。

 昨日も来た人。名前……なんだっけ、あ、ライアスさんだ。

 失礼だけど、ちょっと軽そうなところが苦手。

 でも、これも仕事。苦手な人が来たからっていちいちビクビクしても仕方がない。


「おはようございます、ライアスさん」


「おはようリナちゃん。名前を憶えてくれたなんてうれしいなあ」


 うっ……。

 こういうノリの人ってやっぱり苦手。

 だめだめ、仕事仕事。

 ちょっと軽そうに見えていい人なのかもしれないし、先入観はよくないよね。

 私は小さなデスクから診察用の椅子に移動した。


「今日はどうされましたか?」


 ライアスさんが私の前にある椅子に座って、さらに椅子ごとこっちに近づく。

 ……近い。もう膝どうしがくっついちゃってる。

 私は足を斜めにずらして、膝を離した。


「便秘に効く薬ないかなーと思って。三日ほど出てなくて腹が張ってさ」


「三日もお通じがないんですか。いつもお通じは悪いほうですか?」


「しやすいね、便秘」


「好き嫌いは多いほうですか?」


「まあ多いねー。野菜は嫌いだよ。肉とパンばっか?」


「食事内容の改善が必要ですね。便秘どころか病気になってしまいますよ」


「あはは、そうだね。でも果物は時々食べてるから死にはしないよ。だからリナちゃん、薬ちょーだい」


「慢性的な便秘なら、あまり薬に頼ってしまうのも良くないです」


「でも腹が張って苦しいんだ。下腹出てきちゃったしさぁ。ホラ」


 そう言って彼は私の手をとって、自分のお腹にあてた。

 あわてて手を引っ込めようとしても、がっちりと手首を握られて動かない。

 細身に見えても騎士の男性だから、やっぱり力が強い。

 鳥肌が立つ。


「アハッ、そんな怯えた顔をしなくても何もしないよ。リナちゃんて男が苦手なんだ?」


「手を離してください」


「いいよ、ホラ」


 ライアスさんが手を離す。

 少しだけ、恐怖感が薄れた。


「診察には体に触れることも必要だよー?」


「それは私が判断します。急に触れるのはやめてください」


「いいね、その嫌悪感を隠し切れない顔。そういう顔されることないから新鮮だなー」


 何がしたいの、この人。

 掴みどころがなくて対応が難しい。

 コミュニケーション能力が低い私にとって手を焼きそうな人かも。


「リナちゃん、団長と一緒に住んでるんだよね。付き合ってるの?」


「いいえ」


でもないの?」


 その意味を理解するまでに、数秒かかった。


「……っ、シルヴァンさんは付き合ってもいない人にそんなことをする人じゃありません!」


「そうだよね、団長って超美形でモテるのにわりと女性関係に関しては真面目だよね。わかるわかる。何から何まで完璧だよなあ、団長」


 うっとりした顔で言う。

 ライアスさんって、シルヴァンさんのファンなんだろうか。

 名簿によるとまだ十九歳らしいし、憧れてるのかな。 


「ところで、ご用件は便秘薬でしょうか。もう少し薬を使わず様子を見ては?」


「腹が張って苦しいんだってば。また触ってみる?」


 彼がまた私に向かって手をのばす。

 それだけで、反射的に体がこわばる。


「おい」


 いつの間にか開いていたドアのところに、アレスさんが立っていた。


「リナに触るな」


 そう言いながら、医務室に入ってくる。

 ライアスさんがクスッと笑った。


「あれ? 狂犬アレス君は魔女の番犬になったの?」


「お前のクソみたいな挑発に付き合う気はねぇ。団長の言葉を聞いただろう。リナにベタベタすんな女たらしが」


「別に何も悪いことなんてしてないよ。ただの診察。ねーリナちゃん」


「たしかに悪いことはしてません。でもどう診察するかは私が決めます。だから無意味に触らないでくださいね」


 それを聞いたライアスさんが、さも楽しそうに笑う。

 よくわからない人だなあ。


「リナちゃんってなかなか面白いね」


「失せろライアス」


「あーはいはい。で、便秘薬は~」


「運動はじゅうぶんすぎるほどしてると思いますので、水分をこまめに少しずつとってください。特に目覚めた後にコップ一杯のお水を飲むといいです。あと野菜やキノコ類もとってくださいね。明日の朝までお通じがなければまた来てください」


「へー、明日も来ていいんだ?」


「それが私の仕事ですから」


 本当はちょっと怖いし嫌だけど。

 こういう人には弱いところを見せちゃいけない気がする。

 昔から、過剰にからかってきたりする男子は、弱々しい態度をとると喜んだ。


「ふぅん、じゃあまたねリナちゃん」


 意味ありげに笑って、ライアスさんが立ち上がる。

 ドアの横に立っているアレスさんが、「ライアス」と低い声で呼びかけた。


「お前もバカじゃないならわかってんだろ。団長が大恩人で大切な人だとわざわざ宣言したんだ。お前の取り巻きの女と同じように扱うな」


「大切な人、ねぇ……」


 ライアスさんがちらりと私を振り返る。

 その瞳はどこか冷めていて、ちょっと怖い。


「じゃ、また」


 ライアスさんが医務室から出ていく。

 私は息を吐いた。


「大丈夫か?」


 アレスさんに問われて、うなずく。


「大丈夫です。ありがとうございます」


「何された?」


「特に何も。お腹を触らされただけです」


「変態かよ」


 彼が小さく舌打ちする。


「女好きとはいえさすがに馬鹿な真似はしないだろうが、ドアは医務室にいる間は全開にしておいたほうがいい。特に一人でいるときは」


「わかりました」


「ったくあのバカは見境のない……」


 アレスさんが頭をかく。


「あの……アレスさん」


「なんだ?」


「ライアスさんって、もしかしてシルヴァンさんが好きなんですか?」


 彼がブハッと吹き出した。

 変なこと言っちゃったかな。

 でも、彼は私に興味があるわけじゃなくて、「シルヴァンさんと同居している女」が気になったのかなと。

 私とシルヴァンさんの間に何もないとわかるとうれしそうだったし。


「さすがに恋愛感情じゃないけどな。心酔してると言っていい。団長の周囲の人間が気になって仕方がないんだよ、あいつは。俺のことも嫌ってる」


「アレスさんもシルヴァンさんと仲いいですもんね」


 アレスさんが苦笑する。

 とそこで、ふっと彼がドアを振り返る。しばらくして、カレンさんが入ってきた。


「あら、アレス」


「カレンさん、おはようございます」


「おはようリナ。アレスはどうしたの。珍しいじゃない。もしかしてあんたもリナを覗きに?」


「オレが今さらリナを覗きに来る理由はねぇよ。団長の屋敷で何度も会ってる」


「じゃあ何かあったの?」


「別に。じゃあなリナ。ドアはいつも開けとけよ」


「はい」


 それだけ言うとアレスさんは去っていった。


「珍しいわね、アレスが団長以外を気にかけるなんて」


「色々気を使ってくれてるんだと思います。シルヴァンさんの解呪にかかわる人間ですから」


「そうなのかしらねえ。リナはアレスが怖くないの?」


「最初は怖かったんですけど、優しいし今は怖くないです」


 カレンさんが口元を指で押さえて笑う。


「アレスのこと優しいって言ってる女の子初めて見たわ」


「そうなんですか」


 目つきがちょっと鋭くて怖そうに見えるけど、優しいと思うんだけどなあ。

 口が悪いから誤解されやすいのかも。


 今日も仮病の人や覗きにくる人が何人かいたけど、昨日よりは少なくて簡単な打ち身や捻挫に対応して終わった。

 ちなみに、カレンさんによるとライアスさんには便秘薬を二週間分渡したばかりだったとか。

 便秘は口実で、やっぱりシルヴァンさんと同居する女が気になって見に来ただけだったんだ。


 翌日になって何事もなかったかのようにライアスさんが「やっぱり出なーい」と医務室に来たけれど、カレンさんが「浣腸してやるから尻出しな」と言ったら大人しく帰っていった。

 強い……。

 見習おう。

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