第4話  3

 そして、いよいよ、公演の週になった。

 6月13日の火曜日、役者は脚本を持ってセリフ合わせのような簡単な稽古を1時間ほど行う。その後で、劇団員みんなで衣装や小道具や事務用品を劇場に搬送するために梱包していく。この光景がすごい。30人ぐらいの大人が、稽古場に小道具のピストルやバッグや酒瓶をダンボールに詰めて「あ、手紙が入ってないよ」「そのガムテープちょっと貸して」とポンポンと声を飛ばし合っている。衣装は衣装で「これ本番で着るんだっけ?」「よっちゃーん、靴が入ってないけどいいの?」「あー、それアタシが畳みます」とやいのやいの言っている。よく見ると、元気に言葉を発しながらも手を動かしているのは主に女性陣だ。男性陣は、女性陣の指示で手伝ったりダンボール箱を運んだりしている。

 「奥村君、ちょっといいか?」と松岡さんが声をかけて、稽古場の外の用具倉庫の物置に連れてきた。「ここにナグリやバールの工具箱があるからさ、これを中に運んで、ナグリが何本でバールが何本あるか数えといてくれるか?」物置の中に、ひときわでかいジェラルミンのシルバーのボックスがあった。両手でかかえるとかなり重い。「オイ大丈夫か?」と優しい言葉をかけられたが「平気ッス」とちょっと笑顔をみせてから中に運ぶ。

 稽古場の中に入って、工具箱を床に置いて開けてみる。ナグリ―とはトンカチのことを呼ぶ演劇業界の用語だ―や、釘を抜く為のバールがぐちゃぐちゃに入れてある。全部の道具が錆や手垢でうす汚れていて、お世辞にもきれいとは言えない。でも、何年も何十年もいろんな人に握られて、「舞台を作る」という同じ目的で使われ続けてきたような、何とも言えない存在感がある一つ一つの道具だった。

 

 あさの7時50分。陽光が引き戸を透して店の中に差し込んできている。店内はいつも一人で来る常連のお客さんがポツンとカウンターに座り、焼酎お湯割りと焼き鳥でちびちびとやっている。

「よぉへいちゃん。そろそろいいよ。支度しな」

 すみませんと頭を下げて、更衣室に着替えに入った。今日は6月16日の金曜日。昨日の15日は夕方から公演用の荷物をトラックに運び込み、21時過ぎに終わって帰ってから1時間ほど休んですぐに店に入った。今日は朝の9時に劇場に集合なので、少し早く上がることになっていた。着替えを終えたら、店に出てカウンターの中にいる加山さんに

 「すみません。じゃあ三日間休ませてもらいます」とまた頭を下げる。

 「おお。で、いつなんだ?その公演ってのは」

 そう言えば、そんな事さえ言ってなかった。「あ・・・土曜と日曜です」

 「ふーん・・・そうか」

じゃあお先に失礼しますと言い、店ののれんを出た。アレ?公演の日を聞いてきたってことは、加山さんはひょっとして公演に観に来てくれるのかな?実は言ってなかったけどお前のこと陰ながら応援しているぞ、的な?だとしたら、ちょっと感動的な話しだなぁ。オレがもしかして有名な俳優とかになっちゃったら、あの若い時に・・・みたいなエピソードで使えそうだなぁ・・・とボーっとした頭で考えながら歩いた。


劇場に行くと、先ずはトラックの荷物をビルの1階の搬入口から劇場のある二階まで大型エレベーターで運び込む。そして、「じがすり」と呼ばれる、カーペットのようなものを舞台全面に敷いていく。舞台上は通常フローリングのような板目だが、これを敷くことで役者の足が滑りづらくなり、足音も吸収される。それにお客から見た時にそのまま板目よりも舞台が「映える」のだそうだ。その後、舞台上をメジャーで測定して、舞台装置を建て込む場所に線を引いたり×を点けたりする。これを「バミリ」と呼んでいる。

作業は役者も裏方もなく、劇団員全員でやっている。基本的に男性は装置建て込み、女性は衣装や小道具の整理やロビーの受付設置、という感じでおおまかに役割分担されているみたいだが、特にしばりは無いようで、湯座さんや菊池さんは男の団員にまぎれて楽しそうに装置の建て込みの方を手伝っている。

増井さんと松岡さんがどうやって建て込むか相談し、男連中に「あそこについてくれ」「よっちゃんと川村でこれやってくれ」と指示を出していく。当然僕にも、「あの作業のおさえるのやってくれ」「あれ持ってきてくれないか」と指示が飛んでくる。だが最初は「奥村君」と丁寧に呼ばれていたのが、作業が進むにつれて「奥村くーん」となり「おくむらちゃん」と変化して「おくむらぁ」となってしまった。この瞬間に時計を見ると10時45分。オオたった1時間45分でオレ呼び捨てになったのか。

 やっと昼食の休憩となっていた。みんなで楽屋に入り、それぞれが持ってきた昼ご飯を食べる。来る途中にコンビニで買ったパンを食べていると

「奥村、オマエ、仕事上がりか?」頭を上げると増井さんだった。

「はあ。朝まで働いてました」

「じゃあ、昨日の夜からか?寝てねえのか?」

「はぃ」

 男だけの楽屋でみんながこっちに「エ?」という目線を向ける。

「そうか、若いから出来るよな。俺ら寝てなかったらフラフラしちゃうよ」

 とりあえずの愛想笑いのへへへ。本当はすごい眠い。食べないと倒れるから食べてけど、食欲なんてほとんどない。でも役者なんだから、途中で作業から抜けられて、楽屋で過ごす時間があるんだろうと想像していた。それがたぶん1時間もしかしたら2時間くらいはあるだろうから、その間だけでも目をつぶろう。

 午後になると、どんどん作業は進んでいった。ただのベニヤに厚みをつけただけに感じた張り物が、こうやって建てられていくと、本当の壁のように思えてくる。「そっち持ってよ」「ちゃんとおさえていてくれ」「そこ釘打ってキメといて」という声に混じって、音響や照明スタッフの声も入ってくる。「次、三十二番入れて」「それさ、ちょっと上手の方に振ってくれる?」「ちょと音出しまーす」「バキューン」スピーカーから流れる音響とガンガンというナグリで釘を打つ音。照明の叫び声。声と音のカオス。「あー、だから、ずれてるって」「ピンポーン」ガンガンガン!「レベル70に下げて!」「3番の張り物持ってこーい」「ここ、明かり当たっている?」ガチッ!ガチャ!「ピンポンピンポーン」「次のフェーダー上げて」「もう一度レベル10上げて出して!」「あー、それ3番じゃなくて4番だろお!」ガチャガチャン!「もっと下に振って!」「ピンポンピンポンピンポーン!!」


 舞台奥の窓の外に見える、山の景色を固定する作業に入った。窓が3個もあるので、その「山の景色」は高さは180cmぐらいだが横は6mくらいある。それを何人かで運んで、窓外にセッティングする。僕は端っこを持って運んでいた。客席から松岡さん増井さんが見て「もっと下手に行って」など指示を出す。

「よーし、そこでいいヨ。釘打ってキメちゃってくれ!」

 そうか釘を打っていいのか、じゃあ誰かに打ってもらおうと思ったら、吉田さんがナグリと釘を目の前に出して「ホイ。打って」と言った。ゲ、この釘は5cm以上ある長い釘・・・3cmくらいの釘でも打つと曲がってしまうのに、こんな長いの打てるのか?でもグズグズしていたらまた「おくむらー!」と怒られる。えいもういいやとガツンガツンと打ち込んだら、5打目でびっくりするくらい真っ直ぐと釘が入っていった。おーキセキじゃん。

 客席の松岡さんから「釘でキメたか~?」と声がするので、「キメましたー」と答える。

 そしたら、松岡さんは客席の二列くらい後ろのど真ん中で座っていた田丸さんに「演出、窓の外の景色、あそこでいいですか?」と聞いた。客席で足を組んでむすっとした顔で作業を見ていた田丸さんは「ダメだよ。もっと上手じゃないと」と答えた。

 「もっと上手ですか?」

 「そう。もっと上手に山が見えないと全然だめになっちゃうから」

 「分かりました。オーイ、釘一回外して、もうちょっと全体カミに動いてくれ!」

 なんだよ、せっかくうまく打てたのに。て言うか、田丸さんアンタ客席から釘打ったの見ていたよね?その時に言えばよかったのに、なぜ打った後で聞かれたら答える?アンタはそんな偉いのか?

 もう一度やった釘打ちは、4打目でやはり曲がってしまい、どこからか、なにやってんだ早くしろ!と怒声を浴びた。


 「じゃあ、そろそろセリフある役者は作業抜けて、リハのスタンバイしてくださぁい」

 松岡さんの声で、吉田さんや駒込さんが作業の手を止めて、ワラワラと楽屋の方へ向かっていく。じゃあオレも楽屋に行かなきゃなぁと両手の軍手を外して、楽屋の方へ向かっていくと、「おくむらー、どこ行くんだ?」と増井さんの怒鳴り声が足を止めた。

 「いや、役者なんで楽屋に行こうかと・・・」

 「まっちゃんは、「セリフのある役者は」って言ったろ?おまえセリフないだろ?よく聞いてろよ」

「あ、すーまセン」

 ペコっと頭を下げてまた軍手をはめる。チ、やっぱバレタか。よく見てんなー。

 張り物と張り物のつなぎ目をふさいで、壁に装飾をつけていった装置が、やっとほとんど出来上がった。そこでようやく、「警察官二人も準備に行っていいよ」となった。

 楽屋で、衣装担当の美代子さんに手伝ってもらって警官の制服を着て、ネクタイの締め方を駒込さんに教えてもらい、髪の毛を甘い香りのする髪染めで金色に染めていった。顔のメイクもやり方が分からず、黒茶色な顔面にしてしまい、結局それを全部ぬぐって美代子さんにほとんどやってもらった。

 準備が全て終わり、舞台の上に行ってみると、そこは・・・壁には絵画の額縁がつけられ、グラスや酒瓶などの小道具がお上品にテーブルに置かれている。強烈な照明のともしびに照らされた舞台上にあるそれら全てのもの・・・・そう、どれもこれもが輝いていた。ついさっきまで、ナグリやらのこぎりやらのゴツイ道具が散らばって男どもが怒鳴り合っていたのが嘘かのように。そんな中、メイクや衣装を終えた吉田さんや湯座さんが「あえいうえおあお」や「何ですって? 主人がそんなことを?」と発声練習をしている。全部のものが、ここからは非日常でありますと訴えているかのようだった。

 こんな中、どうすればいいんだろう? 発声練習? セリフもないのに? 柔軟体操? 腕立て伏せ? 制服着て? ウわー何すりゃいいの? 仕方がなく、出入りするドアを開けるときにつまづいたら困るなと思い、ドアを、バタン、バタン、と何度も開け閉めを繰り返していた。

 

 いよいよリハーサルがはじまる。

 オープニングの音楽が暗闇の中で場内に流れ、緞帳がウイーンと小さいモーター音を出して上がっていく。吉田さんが「どうなってるんだ一体?」と最初のセリフを吐き出した。

舞台袖の薄暗い中でスタンバイしている僕は、緊張のために目が引きつっていた。ように周りからは見えていたのだと思う。実は、頭の中では緊張なんて1㎜も感じていなかった。

 「ね・・・眠いぞコリャ」

 昨日の夕方に目覚めて、トラックの積み込みをして後に店に働きに行って、と起きたまま24時間が過ぎていたのだ。店でも朝からの仕込みでも動きっぱなし。さすがに若いって言っても体力が限界を迎えつつあった。

 あー眠い・・・眠いぞ。眠いったら眠い。なんでこんなに眠いんだ? あ、当たり前か・・・どうなってんだこりゃあ? 何じゃーコリャ―は松田優作・・・・エ?出番?じゃないか・・・・

みんなすごいなぁ、あんなにセリフ喋って・・・今の俺じゃ絶対無理・・ウわ!眠い!

 パイプ椅子に座っていると、コックリコックリ船をこぎそうになってしまう。慌てて立ち上がり、舞台上覗き見して集中したり、舞台袖の中をウロウロと歩き回り始めたりした。

 ついにきた出番のタイミング。湯座さんの「キャー」という叫び声を合図に、ドカドカと入っていく刑事と警察官。ドアを開ける。1歩踏み出す。暑い。眩しい。ライトか? 客席・・・田丸さんとスタッフがあちこちに散らばって座って観ているのが目の隅に見える。刑事の声。「捕まえろ!」吉田さんに駆け寄り、腕を抑えて捻る。「なぜこのようなことをしたか、じっくりお聞かせ願いたいものですね」と刑事の声がする。ジャーンと音楽。そして、暗闇になっていく。

 暗転になり、舞台袖に必死に逃げながら、考えていた。

「なんだ、結構楽しいじゃん」

眩しいくらいの光の中で自分の一挙手一投足を他の人に魅せる。という事は、自分という生き物に注目してもらうことだ。その瞬間、自分は「焼き鳥屋のバイトの奥村君」ではなくなり、「一人の警察官」になる。演技の事は分からなかったが「なんだか楽しい」という気持ちが心のずっと底の方からポコポコと産まれてきたのだけは分かった。


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