第十三話 静かな夕日

「父さん、母さん!」

 トモが声をかけると、その先にいた二人の大人が振り返った。

「ああ、友行。ごめんね、学校だったのに呼んじゃって。友達も一緒に来てくれたの?」

「大丈夫。うんそう、秋に転校してきた本郷太智。同じ団地に住んでる」

「本郷です。身内でもないのについて来てしまってすみません」

 ぺこりと頭を下げた。けれど、トモの両親はあまり気にしていない様子だ。

「いいのよ。友行からも、母からも、太智くんのことはよく聞いていたの。いつもお世話になっていたのに、これが初めましてなんてごめんなさいね。今日も一緒に来てくれて、ありがとう」

「いっ、いえ。世話になっていたのはこちらの方です」

 トモの両親は、俺よりも深くお辞儀をしてくれた。なんだか申し訳なくなって、慌てて両手を振った。

 それから、おばあちゃんの容態の話になった。急に表情が暗くなったのを見て、ごくりと唾を飲み込んだ。

「お義母さん、近所の人と話してる時に突然倒れたらしいんだ。すぐに救急車で病院に運ばれたけど、このまま目を覚ますかどうか分からないらしい」

 手術中のランプが光っている。ドラマなどでしか見たことのない光景だ。押し潰されそうな心臓は、一方で張り裂けそうだ。ここで待つ人はこんな気持ちなのかと、今初めて知る。

「あっ、ランプが――」

 俺が言うと、三人の視線が手術室に向いた。扉が開き、医師と思われる白衣姿の男性が現れた。

「あの、母は?」

 トモのお母さんが尋ねたのに対し、男性は重く目を閉じた。

「手は尽くしましたが……残念です」

「そんなっ」

 彼女はトモのお父さんに抱きついた。彼の手が、彼女の頭を優しく撫でる。

 トモの顔が見られなかった。代わりにせめて手を握ろうと手を伸ばした。触れた彼の左手はとてもひんやりしている。

 気づけば俺は、トモを抱き寄せていた。おばあちゃんを失った悲しみが渦巻いている中、どこかで苛立ちのようなものも感じていた。それはきっと神様とか、運命とかそういった漠然とした何かに対して。トモからおばあちゃんを奪ったことにいかり、レク大会の楽しい雰囲気を壊さなくたっていいじゃないかと苛立っている。

「ちょ、苦しいってたいちゃーん」

「あっごめん」

 いつの間にか力の入っていた腕を緩めた。顔を上げたトモは、泣きそうな目で力なく笑っていた。

「たいちゃんのその腕力はどこからくんのさ」

 やっと絞り出されている悲しい笑顔。それがまた俺の心臓を締めつけた。

 おばあちゃんに俺も会わせてもらえることになった。お世話になったおばあちゃんに、俺もお別れを言える。

 たくさんお礼を言って、おばあちゃんの顔を頭に焼きつけた。

「さて、今日はとりあえず帰ろうか。太智くん、今日は本当にありがとうね。お義母さんもきっと喜んでると思うよ」

「いえ、こちらこそ。俺もおばあちゃんにお別れを言えてよかったです」

「ここの病院は駅まで少しあるから、家まで送るよ。団地なんだよね」

「そうです。ありがとうございます、お願いします」

 トモは全体的に母親似だけど、優しく笑うと目尻が垂れるところは父親に似ている。ぱっちり二重は母親譲りだなと思った。

 車に乗る時には、トモのお母さんは落ち着きを取り戻していた。今後のスケジュールを話す大人たちの声以外は、車内は静かなものだった。後部座席の俺とトモは、それぞれ窓の外を眺めていた。

 もう窓から病院は見えない。

 いつもよりも赤く染まった夕日が、建物の向こうに見える。反対側の空からは徐々に夜が迫っている。沈んでいくまばゆい光は、トモの目にはどんなふうに映っているのだろうか。



 団地までの時間はやけに短く感じた。それが何故か俺には、「若者が老いた自分の死に囚われるな」と言われているような感じがした。

「送っていただいてありがとうございました」

 おばあちゃんがいないのだから、トモはここから去るだろう。お互いの部屋をダッシュで行き来したり、ちょっとしたものを届けたり――そんな日々はもう二度と来ない。

 トモ一家と別れて団地の階段を上り始めた時、ふと彼の顔が頭に浮かんだ。おばあちゃんと二人で楽しそうに笑う姿。そこに、悲愴感を漂わせた彼が時折ちらついた。

 階段の折返し地点。まだ二階にすら届かない。俺は足を止め、きびすを返した。駐車場に戻った時、一家は再び車に乗り込もうとしていた。

「待って」

 三人が不思議そうな目をこちらに向けた。

「ご両親とトモがよければ、なんですけど。トモ、二人でお前んち泊まらない?」

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