第八話 不透明な感情

 一月にもなれば、寒さにも少しずつ慣れてくる。外に出れば相変わらず肩に力が入るけど、吐くと現れる白い息を楽しめるようになった。

 今月は、トモも俺も私立高校の受験を控えていた。特に俺の場合、その日が数日後に迫っている。受験というものが初めてだから、どうしてもふとした時に頭に思い浮かんでしまい、不安になる。

 三学期が始まって間もなく、中学最後の席替えが行われた。先生の特別な配慮で、話し合って席を決めて構わないということになった。自然と男子同士、女子同士の組み合わせができあがる。

 俺の右隣には、トモがいた。受験が迫っているからだろうか、彼が保健室に行く回数は少なくなり、今も隣で黒板を追っている。

「じゃあ今日はここまでー。受験対策のプリントが欲しい人は前に取りに来てー」

「トモ、いる?」

「いるー。サンキュ」

 俺はトモの分も含めて、二枚の用紙を取りに行った。

「本郷、数学苦手だって言ってたけど、調子よくなってきてるなー。それ、横尾の分?」

 数学担当で、このクラスの担任でもある数田かずた先生は、俺が取った二枚のプリントを指差した。

「ありがとうございます。そうです、これはトモの分で」

「そかそか。頑張れよー」

 にこにこと笑っている。比較的大らかな人だな、という印象は今も変わらない。微妙な時期の転校だったからだろうか、こうして時々気にかけてくれていた。

 席に戻ってトモにプリントを渡すと、また「サンキュ」と言って彼は柔らかく笑った。

 同じような笑みでも、トモのはちょっと可愛い。これが彼のモテる要素の一つなんじゃないかと思ったくらいだ。俺が女の子なら、母性とやらをくすぐられそうな気がする。

 母性という点では、真人に対して似たような感情を抱くことがあった。主に勉強面だけど、親が子どもの勉強を見てあげている感覚だ。それ以外にも彼には危なっかしい面があるから、保護者の気分になる時があった。

 トモに対する感情は、それとは違う。保護者ではない。それなら一体なんなのだろうか。



「二人、ほんとに仲いいねー」

 そう緒方に言われたのは、俺が私立校の受験を終えた数日後の休み時間だった。

「そう、かな?」

 緒方は首を激しく縦に振った。

「そうだよ。太智も変わったと思うけど、特にトモ。みんな言ってるよ、あいつがこんなに誰か一人と親しくつるむの珍しいって」

 俺も変わったのか。そう言われても、あまりピンとこない。ただ、トモといる時間が長いのは事実だ。学校で過ごす時間のほとんどは、いつも隣に彼がいる。

 緒方は周りを気にしてから、内緒話をするように顔を近づけてきた。

「ねえ、トモと恋愛の話とかって……するの?」

「えっ?」

 反射的に隣の席を見た。空席であるのを見て思い出した。トモは今、席を外している。前の時間、理科室に忘れ物をしたと言って、取りに行っているのだ。

「まあ、しなくはないけど」

 なんとなく、その先について察しがついた。

「トモって……好きな子いるのかな?」

 緒方が気になるのも無理はない。女子に人気があって、彼女たちとの距離が近いのに、付き合っている子はいないのだから。彼女たちはきっと、「本命は別にいる」と考えているはずだ。

 それは間違っていなくて、トモには確かに好きな女性がいる。でも、俺から勝手に漏らすことはできない。

「さあ、そこまでは」

 恋愛の話はしていると言っておいて、好きな子がいるかは分からないとは変かもしれない。それじゃあなんの話をしたんだ、となる。けどこう答えるしかない。

「ふーん。なら、タイプとかは?」

「タイプ……」

 こちらは逆に聞いていない。でも、これも分からないとなれば、どんな話をしたのかといよいよ怪しくなってくる。

 俺は、一度だけ話した大野先生を思い浮かべた。容姿や雰囲気を伝えるのは簡単だが、トモはそういった理由で彼女を好きになったわけじゃない。

「うーん。聞き上手な人、とか? ごめん、勉強しながらだったからあんまはっきり覚えてなくって……」

 曖昧に誤魔化した。これくらいならトモも許してくれるだろう。

 俺の言ったことをどう思ったのか、緒方はまた「ふーん」とだけ言って、口をすぼめた。どうやら腑に落ちていない様子だけど、下手に何か言って口を滑らせるわけにはいかない。

 予鈴に助けられ、なんとかこの場を凌いだ。

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