第8話


 泥臭い人々だの町だのの話ばかり書くものだから、町人魂と、これまた悪口なのかどうか判別のつきにくい言葉を投げられる。ころころと作風を変えるものだから、日和見ひよりみなヤツだの、異人の真似っ子だのと外野がうるさい。ああ、まったくうるさい。逆に言わせて貰えれば、同じものばかり書いていて飽きないのかネェ、とすら思う。別に好きなものを好きな時に書いて、良いじゃないか。何が悪い。


 また時には、未だに教科書通りの日本文学を信じている輩から、あいつの小説は嘘ばかりだ、理想ばかり語って気持ち悪いと言われる。だから、最初から嘘ばかりだと、虚構ばかりだと断っているじゃないか。



 理想を、愛を、夢を語って何が悪い。おとこがどんな甲斐性なしでも、ずうっと隣で歩いてくれる、そんな理想のおんなを語って何が悪い。どうしようもない人々が、それでも彼らなりに幸せに生きていけるような、そんな優しい世界を願って何が悪い。理想も夢も虚構もない、つまらん古臭い現実ばかりの話など、日記にでも書いて机の中に仕舞っておけと言うのだ。そんな時代は終わったのだ。


 そんな風に進化を怠るな、と声を大にしてもっともらしい事を叫べば叫ぶほど、自分自身が『無頼』と他人からつけられた枠にずぶずぶとはまって、一歩も抜け出せなくなっていく。とんだ悲劇であり、喜劇であり、茶番であった。



『なに、分からんヤツには好き勝手言わせておけ。君は君のまま、僕達とは『違うもの』を書いていりゃあ良い。それだけできっと、二、三十年後には大先生だよ』



 ニヤリと笑う友の顔に、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。このおとこは、めっぽう自尊心が強いことを私はよく知っていた。己の小説が何より時代の先を行っていると、またそう在るべきだと、日々己を鼓舞し律していることも。


 そんなおとこがこれだけ手放しに他人を褒め、そのままでいろ、と背中を押している。何やらじわりと胸に広がるものを感じて、それがまた私の悪いクセを引きずり出した。思わず茶化したくなるのである。



『……きみに言われると、不安になるね、どうも』

『なんだと、この坂口安吾様の太鼓判に』



 私の性質をよく知っていて、下手な芝居に乗ってくれる安吾に頷いておくことにした。



『分かった分かった。二、三十年後だな、首を洗って待っておくといい』

『まあ、その前にきみはポックリいきそうだが』

『……けなすのか慰めるのか、どっちかハッキリしないか?』



 からからと、彼は例のように気持ち良く笑った。私も鬱屈とした気分が少しは晴れて、彼の言う切れ味、というものを取り戻しはしたが、相変わらず二人とも最悪なふつかよいのママで、頭痛もひどくのたうち回っていたのを覚えている。


 この話の救いが無い点は、これから大した時も経たないうちに、実際に私が『ポックリ』逝ってしまった、ということだ。若い時分より肺を病んでいて、死ぬ死ぬ言われてきたものだったから、死というものが希薄であった。当たり前のように、明日はやって来ると信じ切っていた。



 明日死ぬと、もしも分かっていたなら。そんな馬鹿げたことを、考えずにはいられない。もしも死期が分かっていたならば、もう少しマシな小説を書こうと心身を削れただろうか。何か生きた証と呼べるようなものを、この世に刻み、残すことができただろうか。



 私は、十分に生きたと、そう胸を張れる私を生きたか?

 幾度も自問し、答えが返ることはない。



 ただ少なくとも、ただ一つだけ言えることは、今の私は私の可能性を信じてくれた坂口安吾に決して顔向けできない存在へと成り下がってしまったということだった。








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