第4話 婚姻の儀

 サフィラスが部屋から去り、アグノティタはほっと息をついた。


アグノティタは戸惑っていた。全く気が付かなかった。

 サフィラスが、自分の事を異性として見ていたなんて。


 昨日の夜、思い詰めた顔をして自室を訪れたサフィラスを見て、アグノティタはようやくそのことに気付いた。

 しかしアグノティタにとって、サフィラスは可愛い弟でしかない。

(可哀想だけど……)


 サフィラスと出会えた日のことは、今でもよく覚えている。

 6歳の時だった。

 産月より早く生まれたその子と会えたのは、生まれてから3ヶ月も経ってからだった。


 ふにゃふにゃと柔らかく、金の巻き毛が愛らしい。

 小さな手をぎゅっと握りしめていた。手にとると、おもちゃのような爪が付いていた。

 小さな指の、全ての指に爪がついていることに感動した。


 歩くようになると、天使のように可愛らしい笑顔で、後を追いかけてきた。

 抱きしめると笑い、頬を寄せるとこそばゆいと逃げまわり、そのくせまたすぐに抱きついてくる。


 サフィラスはアグノティタの宝だ。

 だがそれは、弟としてだった。

 アグノティタがサフィラスの気持ちに応えることはない。


 可哀想ではあるが、サフィラスのことは突き放すしかない。

(いずれ、時が解決してくれるでしょう……)


 係の者に呼ばれ、部屋を出る。

 教会の前に、父がいた。

 現王オムニアだ。


 オムニアは、アグノティタを見ても何も言わなかった。ひとめ見て、すぐに視線を前に向けた。

 厳しい顔をして、教会の扉をにらんでいる。


(娘が嫁ぐ感傷なんて、この人にあるわけないか……)

 オムニアは、アグノティタに無関心だった。アグノティタだけではない。サフィラスもだ。

 オムニアにとって大切なのは、自分の後を継ぐ優秀な後継者、イーオンだけだった。


(昨日まで兄だったイーオンが、今日から夫になる……)


 胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

 ベールを下ろし、大扉の前に立つ。

 オムニアが腕を差し出したので、そっと手をかける。


 天まで届きそうなほど高い大扉がゆっくりと開く。

 参列者の席には、各国の大使や貴族、そして王族たちが並んでいた。


 中央の通路を進む。

 祭壇の前に、イーオンが居た。

 全身がルヅラで彩られている。


 びっしりとルヅラ糸で刺繍された上着は、ボタンまでルヅラだ。

 白貂のコートにも大小様々なルヅラがつけられており、ルヅラの周りは金や銀で装飾されている。


 頭の王冠は一際輝いていた。

 ベースは金でできており、ダイヤやサファイアなどの宝石。中央には大きなルヅラ。


 そして腰に下げられた大剣。これにもまた、大きなルヅラが嵌め込まれている。


 大剣、玉座、王冠。

 このみっつが、カルディア王家の家宝だ。


 アグノティタは真っ直ぐイーオンの元まで進んだ。

 オムニアから手を離し、差し出されたイーオンの手を握る。


 並んで祭壇へと進む。

 祭壇では、宗教都市フォテュームから来た教皇が待っている。

 ふたりが祭壇の前に立つと、教皇は厳かに語りだした。



「天主アンガーラは言った

 人はひとりに非ず

 そして男と女が生まれた


 忍耐強く

 情け深く

 妬まず

 自慢せず

 高ぶらず

 苛立たず

 礼を失せず

 利益を求めず

 恨みを抱かず

 不義を犯してはならない


 すべてを忍び

 すべてを信じ

 すべてに耐えなさい


 互いの荷を背負いなさい

 すべての物を分かち合いなさい

 天主を愛するように妻を愛しなさい

 天主を信じるように夫を信じなさい」


 教皇がイーオンに向き直る。

「イーオン・ニンテス・カルディア

 あなたはこれを誓いますか」

 イーオンが応える。

「誓います」

 アグノティタの方を向く。

「アグノティタ・ミコ・カルディア

 あなたはこれを誓いますか」

 アグノティタが応える。

「誓います」


 参列者に向かう。

「この若いふたりの結婚を祝福し、天主の恵みのあらんことを」



 教皇が聖印を結ぶと、会場が拍手に包まれた。

 鐘が鳴り、天主アンガーラを讃える歌が響く。

 白い羽根が舞い、祝福の声に包まれる。


 ドーム型の天井には、アンガーラが描かれている。

 アンガーラは4人の聖人に囲まれ、優しく微笑んでいた。

 その微笑みは、どこかアグノティタに似ていた。



 式が終わるとパレードが始まる。

 6頭立ての馬車に揺られ、アグノティタは国民に手を振った。

 その可憐な姿をひとめ見ようと、国中から人々が訪れた。

 道は人で溢れ、露店が軒を連ね、紙吹雪が舞った。


 アグノティタは国民の期待に応えた。微笑みを浮かべ、手を振り続けた。

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