愛し薔薇色とうたう君、されど黄金たる輝きに眩むボクの虹彩

亜牙憲志

プロローグ


 「なっ、なに……!?」

 抑えがたい戸惑いが、頭の中のつぶやきでは収まらずに、思わず言葉となって口から漏れ出る。



 空間のすべては……黒……真っ暗け、上も下も右も左も分からない。


 「……」


 カチカチカチッ…数カウント後に、ゆっくり、ゆっくりと、意識のアンテナが正常に働きだし……、おのれの周りを恐る恐る探りはじめた。


 まず最初に……外部に負けぬほど暗く、沈んだ心を感じる。

 外部からの刺激が無いのだから、当然そうなるのか……。


 原因はやっぱり暗闇の不安だろうか、完全に奪われた視界、見えないという恐怖。



 寝てるの? 立ってる? いや、座ってる? ……?


 グラり……地に足のつかない不安定な感覚、狂った三半規管が、恐ろしいめまいを引き起こし……グルグル回る……更なる慄きが、べっとりと覆いかぶさる。



 「!」



 まぶたに浮かぶ映像は…ブラックアウトからの、スローなフェードイン。


 だんだん……。


 はっきりと……見えてくる……。


 足元は床…木の板…つやのあるフローリング。


 「……どこ? え? え~っと……見覚え…ある…よう……な」


 少し前を見やると、木板の敷き詰められた地面は1メートルほどの低い壁となって垂直に連なり……、床が一段上がって……舞台になっている。


 「…あぁ、そっか! …ここって……」


 自分の居る場所に見当がついた。その時。



 …………目の前を、黒猫が横切る。




 どうやらこの場所は、静まり返った夜の学校、体育館の中。


 高い天井の、数ある照明機器は一つも灯らず。

 幕が上がった状態で固定されている正面ステージが、ボワボワ揺らめく炎によって、幻想的に仄暗く照らされている。

 その淡い光をもたらす物体は、ずらりと並べ置かれた不揃いに太いロウソク。どこか悪魔的な儀式を連想させる骨のような色をしている。


 人けも無く、満足な明かりも無く、ちょっとでも嫌な想像がよぎろうものなら、二の腕にサワサワと寒気が這い上がって来る、そんな館内で……。



 「へ? ネ……ネコ?」



 左右の瞳孔が大きく開き、少しずつ暗さにも慣れてくる。


 その小動物の体躯、精魂込めて磨かれたレアメタル、暗いタンタル金属が、さざ波うねる様に、光の波紋がまぶい。それはそれは、最高級のベルベットを指先に感じさせる、艶やかで美しい漆黒の毛並み。


 足音も立てず、優雅に、凛としてステージを歩く姿は、憎らしいほど自身に満ち満ちたランウェイ上のスーパーモデル。

 眩しいスポットライトなんぞが当たらずとも、否が応でも視線を惹きつけられる。


 大きさは、50センチ弱ほど。

 体色に同化してやや見分けにくいが、首輪をしている……飼い猫だろうか?



 ピタっ。



 立ち止まり、振り向いた。


 瞳、瞳、その瞳、何という色、まるで真っ赤なルビー。…やや前に傾く、ツンと尖った両耳…バランスの良いシンメトリーな口髭、やや湿った鼻先がテカリ…すぐ下のキュートなω型の口は……。



 「はじめまして、こんにちは」


 テノール歌手のような声が、辺り一帯に心地よく響きわたる!



 !!、そっ、そして、これは錯覚なのか? 二つの真紅の虹彩が、さらに大きく、爛々と、輝きを放つかに見え……。


 カタチあるモノや常識が、霧となって、散り、広がり、どうにも物事がつかめない夢の中。その中心で、強烈、唯一無二の圧倒的存在感、こちらの意識を吸い込み、グググと引き付け、逸らすことが叶わぬ、魔獣…いや、悪魔の眼光だ。




 クラッ、っと軽い衝撃を脳にくらい、解析も追いつかない中……。そんな聞き手の様子など一向に気にも留めず黒猫は雄弁に話しかけてくる。

 ごく自然、まぁ、ここはチョット面倒な隣人にもご挨拶をとでも……。


 「おや……、どうしたんです?」


 「そんなお暗い顔をなさって」


 どこか芝居じみた話しぶりでつづける。


 「まるで、そうですねぇ…例えるなら、そうそう。食後のお楽しみにと、取って置いた冷蔵庫のアイツ……黄金色のカップ…」


 「ぷるる~ん甘~いプリン………………だと~思っていたら…」


 『ペシッ!!』

 猫パンチで叩き落とすように左前足を振った。


 「茶わん蒸しかいっ! …って目に遭ったかのような、おひどい落ち込みっぷりじゃありませんか」


 ……左の口角が、少し上がった。


 「……いやいや、私は嫌いじゃないですよ、カツオ出汁の利いたタマゴさんも……」



 …………。



 たった一人のオーディエンス。反応、いま一つ……。


 「ふぅ~……」


 人間味あるため息をつき……おもむろに両目をキュ~っと閉じる。

 その仕草で、原始的に不安な気持ちにさせてくる禍々しい赤色光が消えた……。ネコの小話では一切ほぐれなかった! 胸を覆っていた緊張感が和らぐ……。



 「どこもかしこも嫌なことだらけの世の中、もうお先真っ暗……私の小粋なジョークも響きゃあしない……。ぅワぁ~寒い寒いって感じですか……」


 チョコッと小首を傾けると、前足を揃え、後ろ脚を曲げ、腰を下ろす黒猫。


 「まあ、いいでしょ……これも何かのご縁」


 「ここはおひとつ、せめて、この後からは、目を開いて生きていらっしゃられるように、この世の理を、お教えしましょう……そうですね、いわば『金言』ってヤツを…ねえ」


 

 つかの間の静寂。



 饒舌な舞台役者……ここは役猫と言うべきか……とは対照的に、こちら、ポジション的に、まさに観客はひたすら無言、何も言葉にならない。

 「……」



 ネコはニコリと微笑んだ。冗談ではなく。


 『お金こそすべて!』



 「はいっ、もう一度言いますよ。この世の中、全てはお金なのです。誰が何と言おうとも、結局のところ……」


 「そう! マネーがあれば、何でも手に入る!」



 相も変わらず、ただ見つめ、ただ佇む。

 「……」


 一息、黒猫もこちらと波長を合わせ、キョトンと真顔で見つめ返す。

 「……」



 やがて、あからさまに首をかしげて

 「おや?」


 「おやおや? ご感銘も……納得もされてない…………ご様子」




 いやいやこっちは混乱の極み真っ只中。

 なんだかよく分からないが? これは夢か? 夢なのか? 妙にリアルに感じる部分もあり、極めて奇妙な感覚……。

 支離滅裂な夢、夢なら夢でいいけれど、ちょっとまって。いきなりそんな事を言われても……、し、しかもしゃべるネコに…。



 だけど……、反射的に呟き答えた。

 「そんな事…知ってる」


 知っている? そんな事、当たり前な事、……ホントに?


 悲しいかな、それは日々感じる事実、この世を支配する巨大な力、パワー、そいつは金、マネー。


 『お金こそすべて』



 「……でも」


 考えさせて……。


 「…でも……」


 ただの奇麗事? いやそうじゃない…きっと…。


 お金じゃ手に入らない物が…ある、もっと大事なモノも……。




 黒猫は気持ちよく、くすぐられたみたいにキュッっと肩をすくませ、前足を伸ばすとゴロゴロ鳴いた。


 ニャ~アァオ。


 身体をリラックスさせ満足したのか、警戒心を解いたのか? すくっと腰を上げると、こちらを穏やかに見つめつつ、一歩一歩、忍ぶように歩む。


 「まさか…、まさか? そのお顔……まさか! 『お金より大切なものがある!』…なんて思ったりしたり、しちゃったりしてませんよねぇ……」



 フワッ、…スタっ!

 重力になど囚われぬかのように! 優雅に舞台を飛び降りる。


 一気に距離を縮め、上半身をぐっと上げ、においを確かめられる近さで、小さな愛くるしい顔をくっつけてきた。


 「あなたは知っているくせに、十分…嫌という程……」


 内緒話を囁くように、そう言うと、また素早く離れ距離を取った。あたかもシーン全体を逆再生したと見まごうスムーズさで。



 そう、知っている。私は身をもって知っている。


 格好のおもちゃを見つけたと、楽しそうに勝ち誇って見せる黒猫、いや、数百年を生きた後、ついに喋るスキルを身につけた様な、この黒くちっちゃな化け猫を見つめるうちに、自分の恐怖の中に僅かに光る破片、苛立ちから持ち揚げられた反抗的エネルギーを感じた。



 「……ええ、そうよ」


 「お気軽な飼い猫のミーちゃんの仰るとおり……え? 名前が違った? まあいいじゃない、なんて呼んだって」


 黒猫はちょいとばかり不服そうな表情と、それ以上にワクワクした証拠の身震いをブルっとさせて、やっと反応を見せ始めた観客からの台詞を楽しみだした。


 「どんな奇麗ごとを並べても、最終的には、お金がモノをいう世の中。こっちは、もう! 十分に承知してる」


 思わず両手の握りこぶしに力が入る。


 「…でもね……逆に、……お聞きしますけれど……その金言、どこかの誰かに聞いたような……そうね、『俺ってホント、クールだぜ』って感じの、人生を達観されたお方からの受け売りの様な…お言葉を…」


 「偉そうに、教えてくださった化け猫ちゃんは、本当に分かっているのかな?」


 ニャオ?

 少し面食らったキョトンとした顔で、小さく鳴いた。

 切り取れば、まるでかわいい子猫のキャラクタースタンプの出来上がり。


 「あなたの飼い主のお坊ちゃん? お嬢ちゃんは、さぞお金持ちなんでしょうね」


 まさかとは思うが、自分ではめたのでなければ、首輪をしている事から飼い猫だと推測できたが、どんな人物が主人なのかは分からない。年老いた老夫婦かもしれないし、ナイスミドルな学者先生かもしれない。

 だけど、可愛らしい小さなリボンの意匠の付いた首輪から、自然と頭に浮かんで来たそのままを決め付けて言った。


 「餌の時間になると……開ける音を聞けば…まっしぐらに飛んで行っちゃう、そ~んな高級猫缶をいつも用意してくれるのかな~?」


 「ときには、人様用より値の張る、高いおもちゃであそんでもらったり? ヒラヒラした、お洋服なんて買ってもらったりして?」


 「そうね、住んでる場所は……郊外の広い一軒家で、家じゅう自由に行き来できるキャットウォークを備え付けてあるのかしら。まあ素敵なお家ねぇ」


 「フフフ…」

 作り笑いと言うより、いろいろ想像が膨らんで、本当の笑い声が出てしまった。



 対照的に黒猫は冷めた眼差しの真顔になって行く。


 「アハハハハッ…ああ、可笑しい」


 「そんなものよね。所詮、猫が見る世界って? それがお金持ちの姿。想像の限界。でしょ? 飼い主が最高……頂点。きっとあなたは幸せね。そんなリッチな飼い主に飼われて」


 「……きっと理解できないだろうけど、言っちゃうわ」


 「そんなもの金持ちの資産家でもなんでもない。その程度じゃ、お金の力なんて無いに等しいの」


 猫は遠くを見つめた。



 ふと誰に話しているのか分からない感覚を持ちつつ、思うがまま言葉を続ける。


 「お抱えシェフに作らせたお弁当。使う食材、何もかもがブランド品種でお取り寄せ」


 「クローゼットには同じ服が並ぶ……同じシーズンの服よ、制服……それが並んでいるの何着もズラリと……何それ? 必要? 笑っちゃう……」


 「一軒家? いいじゃない。素晴らしいわ。でもね……わたしの知る…………ふぅ……本当のお金持ちはね、都の有り得ない場所に、公園のように広い庭付きの豪邸を立てて住んだり、一等地の高層マンションの最上階を丸ごとお家にしてるの……」



 登場した際に見せた、恐ろしいまでの威厳は全く消え失せ。今や魔猫は、首を垂れシュンとした様子で縮こまって見えた。



 「ごめんねネコちゃん。あなたのご主人とは、『桁』違いなのよ……」


 それは謝るつもりの無い、意味の無い枕詞の「ごめんね」だったけれど。口をつぐんだ後に後悔の念、みじめさ、なんとも言えない悲しさがあふれてきた。



 何を言ってるのだろう。


 まったくもって最低だ。


 自分の力でもない、全く、これっぽっちも関係の無い、赤の他人のステータスをいけしゃあしゃあとまくし立てて、弱い物を攻撃して……。


 ごめん、お金になんてはなから見放された貧乏人が何言ってんだか……ほんとに。



 誰かが笑っている。



 笑われて当然か……。


 体育館が笑っている。


 いや違う。そんな可笑しなことは無い。


 ……ドッ……ドッ…ド…。


 「……フフフ……ハハハ……」



 ドドドドッ、ドドドドドッドッ!!


 「想像の限界……桁違いですか……」


 息を呑む。次の息が吸えない!


 とてつもない激震と轟音が鳴り響く感覚に圧倒され、一瞬にして身が縮み、肺が圧迫され、戦慄でギュッと締め付けられる。



 さっきまでの、最愛の飼い主に見放された風の装い、捨て猫の姿はかき消えていた。


 スフィンクスのような姿勢で、やや俯き加減の顔に輝きが! アメコミヒーローのレーザービームかの様な赤い光線がスプラッシュする。


 気が付けば、視界は、すべてを真っ赤に染める、鮮血のレッドライト。


 黒猫が首を振り、怒鳴る。


 「いや、いや、いや! まったく! ったく……!!」


 グッ、グググ…筋肉質な体躯が膨張しはじめ……その姿、もはや可愛い猫ではなく黒豹、さらに輪郭が揺らぎ……メラメラ揺れる炎を漆黒の影にした四足の魔獣。


 大音量の咆哮、耳に入る声の質も違う!

 ざらざらと耳障りな振動で、重低音が体全身の細胞を引き裂くように揺さぶる。


 「無 知 と は 恐 ろ し い」



 殺される! そう…死んで無になる。何もかもが無くなる、何とも言い難い恐怖だったが、紛れもなく、微かに安堵の気持ちもあった。


 記憶を揺さぶる何かの音色が鳴った。

 注意を引く音なのに、良く分からない。矛盾している。

 水深何十メートルの底で聞いているみたいだ。



 き~  ん


 こ~んんん



 か~ん  こ~ん



 チャイムの音だ。


 何を知らせる?


 地獄の恐怖の始まりか? 何もかもの終焉か?


 

 今にも破裂しそうに膨らんだ巨大風船の空気が、シュッと抜け、一気にしぼむように、あれよという間に、元の小柄なネコに姿かたちが戻ると、何事もなかったと錯覚するような、おなじみの落ち着くような低音で詫びた。


 「…おやおや失礼、もうこんな時間」



 黒猫は、あのヒトっぽい笑顔を見せて話し出した。


 「仰る通り。わたくしのご主人様は、それはもう素敵でキュートなお嬢様でございます」


 この上ない幸せを噛みしめるかのニッコリ顔。


 「あなたのおっしゃる、お知り合い? お友達でしょうか? 超お金持ちの皆さま方からすると、ふぅ…残念ながら桁違いなのかもしれません」


 シュンとした仕草、ちょっと演技過多な……。

 さっきのことがある……騙されてはいけない。


 けれども、そのいたいけな雰囲気を十二分に醸し出す仔猫を見れば、自分の吐いた嫌味な攻撃的な言葉の数々を振り返ると心が痛い。


 ゆっくりと小首を振りながら黒猫が続ける。


 「桁違い……桁違い? 桁、違いですか……いやはや! そんな言葉では……言い表せてはいませんねぇ」



 「?」



 「だって……」


 一瞬ルビーの瞳がギラリと怪しく光るのを見逃さなかった。



 「我がご主人様は……次元違いのお金持ちなんですから」



 「フフフ、ハハハハハッ さぁさぁ!! 阿呆でも分かるように、もう一度言いましょうか? あなたの言うちっぽけな、お金持ちカッコ笑いみたいなクソどもとは、次元違いなのです!! 至高の御方、言うなればビヨンドリッチガール! フフフ、想像の彼方へただ一人立つお金持ちそれが、あのお方、フフフ、ああ素晴らしい」


 まるで嬉々として遊ぶ猫の幸せ感を、全身から溢れさせ悦に入る、奇妙なしもべの語りの前に、キョトンとしてしまう。



 「想像外でしょう。仕方ありません」


 黒猫はゆっくり体を寄せ、目の前にぶら下げられた愉快な玩具に興味津々とでも言いたげに、顔を揺らし、近づけて、クリクリっとした目をキラキラ輝かせる。


 「まっ、いいでしょ。あまりここで油を、いや…この状況で、ちょいとうまく言うならば『クリーム』を売ってると、私が主に叱られてしまいます」


 「さあ、そろそろ、その重たい腰を上げて……」


 「命題の答えを見つけに行きましょう!」


 「なにとぞ、まがい物などで判断することなかれ君……真なるマネーパワーの御業を、その眼でしかと見て……」


 ボッ、ボッ、ボッ!

 前触れなく舞台上で並ぶロウソクの炎が、両端から順に消えていく。


 舞台が暗くなり、黒猫の姿が刹那、すべてを覆うほど大きくなったかと思うと闇に溶け込む。


 荘厳な声だけが残る。


 「では開幕」

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