Schrödinger'swampside‼︎

巡屋 明日奈

第1話:シュレディンガーのプリン

観測者。それは世界を観測し、事象を確定させる者。簡単に言えば観測者が観たものは全て現実になるということ。夢も、VRも、全て。これは決して妄想なんかじゃない。

ここに道路を走る少女、もとい観測者が一人。仮に「A」としておくことにする。Aは通り慣れた通学路を全力疾走していた。高校の制服がずいぶんと乱れてしまっている。

Aが走る理由はただ一つ。けれどそれを説明する暇などなかった。なぜなら彼女はひたすら一心不乱に走り続けていたからだ。

その顔は真剣で、その目は真っ直ぐ前だけを見つめていた。

一定のリズムを刻むように腕が振られる。足が心地よいテンポで地面を蹴る。たったったっとスニーカーとアスファルトがぶつかる音がする。

たったった。

たったった。

一言も喋らずAは走る。完璧に把握された道を駆け抜けていく。二つ先の角を曲がり、大通りを迂回して横の路地に入り。慣れた様子でAは微塵も迷わず走る。

Aは足を止めず階段を登る。古いアパートの外付け階段が安っぽい音を立てる。かんかんかん。若干ぱらぱらとサビが落ちる音もする。今にも踏み抜いてしまいそうで心許ないが、見かけよりはこの階段が丈夫であることをAは知っていた。

二階の、奥から二つ目の扉。それはぎしぎしとこれも心許ない音を立てて開く。Aは靴を半ば投げるようにして脱ぐ。

ぺしゃんこになったソファに通学鞄を放り投げる。鞄がさらにソファを潰す。

下の階から苦情が来そうな勢いでAが決して広くはない部屋を走って横切る。奥にあるキッチンスペースの横に置かれた小型の冷蔵庫、その扉にAは手をかけた。

すう、と息を吸うと彼女はその扉を開けた。

蓋は開かれた。

冷蔵庫の中の数少ない品物が露わになる。

Aの瞳がその中の一つを捉えた。スーパーの特売で安くなっていた、三つセットのプリンの最後の一つ。Aが人知れず笑う。その口が緩く弧を描く。


「観測完了ッ!」


Aの勝ち誇った声がアパートを揺らす。

観測完了、プリンの存在はそこに確定した。これこそ観測者たる彼女の力。今後食べてしまうまでこのプリンは消えたりしない。「プリンがそこにある」という事象は観測者によって観測されたのだ。

すっ。

Aが掲げたプリンは横から伸びてきた手によって静かに取られた。ぺりぺりと蓋を剥がす音がする。ぎぎぎ、と音がしそうな具合にAが振り向くとそこには不機嫌そうな顔をした友人がいた。

「……うるさい」

さっきまで寝ていたのだろう、この堕落しきった大学生の友人は奪ったプリンを淡々とすくう。おのれ、いつの間にスプーンなんて用意したんだ。Aの殺意が段々と湧いてくる。

あたしは何のために走ってきたんだ!思わずAが叫びそうになる。

「それよりも観測観測、って。いい歳して痛いよー」

揶揄するようにAをチラ見し、黙々とプリンを食べる友人。やがてスプーンは空になった容器に当たり、かつんと虚しい音を立てた。

「ごちそうさま」

無表情ではあるが、さっきとは打って変わって楽しそうな顔。人を小馬鹿にしたようなその顔をAは掴んで引き伸ばす。伸ばされて呂律の回らなくなった声で抵抗する友人の額を軽く叩いてやった。

「きっ……さまぁーッ!」

額を抑える友人に向かってAが全力で叫ぶ。

観測者、それはただ物事を観るだけの存在。事象がどう転ぶかコントロールできるわけではないのだ。決して落ち込んでるわけじゃない。決して。

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