第24話 戸次親次という男



 キングフィッシャーの出翔の時が来た。



 七月も終わりに近づき、ニュースの予想最高気温はどこも真っ赤に染まっている。その日も蝉が忙しくなく泣き続け、朝早くから空気は煮え返り、日光は刺々しく照っていた。



 ………



 俺は、競龍記者の蒲池友治から全てを聞いた。



「……分かりました」



 そう答えて扇山競龍場に向かい、騎手控室に入って時間を潰す。それから前検量で体重を計り、錘で負担重量を百キロになるよう調整して装鞍所に行って皆と会う。



「キングフィッシャーの事、任せたからね」



 葵が力強く言う。十日ぶりに顔を見た三砂さんが心配そうな顔で俺を見てくる。



「……勝つよ」



 号令が掛かる。俺はそれ以上言わずにキングフィッシャーの背中に乗った。三砂さんはその場に残り、葵はどこかに去っていく。俺たちは重連さんに曳かれて本龍場に進んだ。



「珍しいのがいるな」



 重連さんが呟いた。装鞍所の外にでっぷり太った中年の男がいる。周りには不自然な空白ができ、周囲は明らかにその男の動向を注視していた。



 城井国綱。



 自らの手で生産した龍を所有して飛ばせるオーナーブリーダーであり、経営する牧場に繋養する繁殖雌龍の数は日本一を誇る。間違いなく、日本競龍界で最も強い影響力を持つ男だ。日本競龍界を支配していると言っても良い。



 その男が、何故か地方競龍場にいる。



「……どうでも良い」



 俺はこれからのレースに集中した。



 なんて事のないレースだ。平日の午前中に行われる地方競龍の二歳未勝利戦八千メートルの左回り。コーナーが計五回ある長距離戦。開場したばかりとあって競龍場の人気や活気は乏しく、いつの間にか始まっていつの間にか終わっているような地味で平凡なレースだ。



 本龍場に入った。俺が防風ゴーグルを着けると、重連さんが曳き手を放す。俺たちは緩やかに舞い上がり、準備運動で軽く飛んで調子を確かめる。



 真夏の茹だるような熱風にも悠々と飛んでいる。龍自身の能力は別にして、キングフィッシャーの調子は抜群に良い。コースを一周すると、俺たちはスターティングゲートの前に着陸した。



 他龍が続々と集まってくる。全ての龍が揃うとファンファーレが鳴り、スターターが合図を出した。競翔龍は順番にゲートに入っていき、俺たちは大外の十五番枠に収まった。



 このレースの裏で何が動いているか。このレースで何が行われるか。全ては蒲池さんから聞いて分かっている。そして、俺のすべき事も分かっている。



 スタートが切られた。



 飛び出しはまずまず決まった。各龍も揃ってゲートを出ている。ここからの問題はコーナーの入射角だ。角度が緩くなれば旋回の負荷が軽くなって高速で突入しやすくなる。俺はキングフィッシャーをいきなり急かし、一気にスピードを上げさせた。



 考えは他の騎手も同じ、外枠の龍は猛然と駆け、内枠の龍は比較的遅いペースで早くもポジション争いを始めている。それでも、俺たちはまだ追いつけない。発龍機の横幅は二百メートル近くあり、そう簡単に距離を詰められるもんじゃない。



 しかし、全ては第一コーナーで激変する。



「気合い入れろよ!」



 コーナーに差しかかる。龍群が、一斉にばらけた。



 大型龍は下降旋回で速度を得て、小型龍は上昇旋回で高度を得る。さらに内枠の龍は緩やかに最短距離で旋回し、外枠の龍はロスを厭わず高速旋回で突っ込んでいく。そして俺は、真ん中にぽっかりあいた隙間を貫いた。



 左の鐙を踏み込む。キングフィッシャーを左に九十度傾かせる。さらに上手綱を思いっきり引き、水平旋回を試みる。



 過重が全身に伸し掛かった。頭から血が遠のいていく。視界が急に悪くなる。洩れそうになる空気を食いしばって抑え込む。何度体験しても慣れないキツさ、キングフィッシャーも手綱を引っ張り旋回を緩めようとする。しかしこうでもしないと勝てるわけがない。俺は力づくでキングフィッシャーの弱音を抑え込んだ。



 最短距離の高速旋回を決める。あっという間にリードを奪った。俺たちは勢いのままに斜面を上っていく。



 求められるのは純粋なパワー。雄龍と比べても小さいキングフィッシャーには苦手どころの話じゃない。コーナーで奪ったリードは直ぐに消え、上りで遅くなって本格化したポジション争いに巻き込まれる。



 騎手たちは片手で手綱と鞍の取っ手を掴み、もう片方の手で激しく鞭を奮って騎乗龍を叱咤して、より有利な位置を取ろうと躍起になる。俺は動かない右手を鞍に添え、自由な左手は手綱と鞭と鞍の取っ手の三つを同時に握る。



 だから、鞭は振るえない。俺たちはどんどん位置を下げていき、龍群中ほどの大型龍の背後に回った。



 そのまま、レースは膠着した。



 下りに入って第二コーナー、俺たちはまたもや抜群の旋回を見せるが上りで弱さを見せ、別の大型龍の後ろに控える形になる。第三コーナーも第四コーナーも同じ、加来の乗る人気薄の龍が逃げる中、人気龍たちは半ばから後ろほどに固まって追翔している。そして、最後の第五コーナーに突入した。キングフィッシャーが上昇旋回を決める。



 ここだ。



 俺は手綱を口に持っていき、咥える。右手の指を手綱に引っ掛ける。それで、左手は鞭を握るだけになった。



 鞍の取っ手には指一本も触れていない。命綱で龍と繋がってはいるけど、騎乗の邪魔になるから余裕を持たせてある。躰を支えているのはリハビリ中に鍛え上げた足腰だ。最高速度は隼を超える龍の騎乗で掛かる尋常でない圧力を、下半身だけで受け止める強靭さがようやく実についた。



 これが俺の、新しい騎乗スタイルだ。



「見てろよ」



 俺は力の限り鞭を振るった。



 旋回で取った有利なポジションそのままに、キングフィッシャーは斜面をがんがん上っていく。進路は辛うじて動く右手を腕ごと引っ張って指示を出す。レース中は常に大型龍の後ろにつき、理想的なまでに風の抵抗を避けていた。だからこそ、キングフィッシャーの体力は有り余っている。



 上りで弱い小型龍のキングフィッシャーが、上りで他龍を抜いた。後方にいた龍たちも勝負に動いてどんどん前に出てくる。加来の騎乗龍が最内から下りに入ったのを皮切りに、龍たちは次々に最後の直線下りに勝負を掛ける。



 俺は斜面を登り終えるとすぐさま下降を始めた。現在三番手、位置取りは最低最内の最短距離。少し前に一騎、間が開いて加来の騎乗龍が最低最内にいる。俺は鞭を振るうの止め、手綱を左手の指に絡ませて鞍にへばりついた。



 前方の二番手は地上から一メートルの位置を飛んでいる。普通なら、そこに隙間はないと考える。でも、俺は突っ込んだ。手綱の下二本を引いて更なる下降の指示を出す。



 髪に、風とは違う抵抗があった。上を飛ぶ龍の腹に髪が触れている。それがどうした。これで二番手だ。前には加来の駆る龍が一騎だけ、距離もあっという間に詰まっていく。



 眼前に加来の龍、最低最内にいてロスなく交わすのは不可能だ。俺は抜き交わすコースを見極める。周囲に視線を走らせる。そこで、状況に気付いた。



 上、外、後ろ、全ての方向に龍がいる。



「……そうかよ」



 完全に包囲されていた。それもただ進路が消えたわけじゃない。周囲の他龍は一様にキングフィッシャーに詰め寄って、明らかに進路を塞いでいる。それも後ろの龍は、圧倒的一番人気の伊地知が駆る龍だ。



 これが蒲池さんが言っていた事、加来を勝たせる為の作戦か。



 どこにも行き場がなかった。下には地面、内には埒があり、上と外と前後には龍がいる。交わすどころか下がって進路を選び直す事も許されない。普通なら、勝負は決まったも同然だ。



 でも俺の眼には、ちゃんと隙間が見えている。



 前と外の龍の間の、縦に細長い空間。普通に飛んでは通れない隙間とも言えない空間に、俺は狙いを定めた。手綱を引いて進路を示す。キングフィッシャーがそこに向かう、でも、当然通れるわけもいない。



「行くんだよ!」



 瞬間、俺は右の鐙を踏み込んだ。



 キングフィッシャーが傾きを変える。地面から垂直、九十度に傾いたキングフィッシャーが縦に細長い隙間に潜り込む。



 俺は鐙を踏み続ける。回転する視界の加来の背中が見える。横顔が見える。視界が水平に戻った。前方には、何者も飛んでいない。



 俺は叫んだ。



 自分でも訳のわからない雄叫びを上げた。



 八百長がどうした。包囲網がどうした。俺がやるべき事なんて初めから決まり切っている。レースに勝つ。騎乗龍を勝たせる。それだけが俺の使命だ。



「俺は! 復活したぞ!」

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