第10話 束の間の安心



 東京に帰ってくるだけで、蒲池友治の財布はすっからかんになった。



「追加の取材費が欲しいんですけど……」



 できるだけ下手に出ると、編集長の田北は電話越しに大げさな溜息を吐いた。



「取材は進んでるんだろうな?」



「それは……その……でも! 地方競龍への意気込みやらの取材は出来ました。とりあえずそっちの方で記事は書けると思います」



 大した取材などしていないが、話を膨らませれば一本の記事ぐらいならなんとかなる。決して嘘は言っていない。



「で、次はどんな取材するつもりだ?」



「本人の口は堅そうなんで、周りから崩していこうかと」



 沈黙が流れる。



「二万だな」



 少ない。思わず口を突きそうになる不満を、なんとか堪えた。



「……ありがとうございます」



 スマホを持つ手が震える。それでもなんとか、余計な事をせずに電話を切った。大声で毒吐く。構内の視線が集まったが無視して駅を出た。



 雨を突っ走ってネットカフェに入った。個室に入ってPCで戸次親次の経歴を検索しながら、最初の取材相手に電話を掛ける。



 一萬田好連。親次が中央競龍で所属していた厩舎の調教師だ。



 戸次親次と一萬田好連の関係は、なかなかに複雑なようだった。通常、騎手とその騎手が所属する厩舎の調教師は、師弟と呼ばれるほど親密だ。二人も当然、師弟として良好な関係を築いていたらしい。



 それが親次が危険騎乗を繰り返すようになって関係が悪化したという。



 弟子の管理不足を責められて一萬田好連の立場は悪くなり、数騎の管理龍が別の厩舎に移っている。また、関係が深かった龍主との縁も切れたらしい。何度諫めても危険騎乗をやめない親次に業を煮やした結果、ある事件が起きた。



 それが、あの墜落だ。



 命綱が外れたのは整備不足による事故、それが公式の見解だ。整備を怠った好連には制裁が下され、一件に片が付いた。しかし噂では、好連が故意に命綱を緩めたのではないかと言われていた。



 理由は勿論、繰り返される親次の危険騎乗だ。親次は地方競龍でリハビリをしているのも、実際は手に負えないから地方に島流しにしたのではないかと言われている。



 噂が本当なら、好連は一筋縄ではいかない相手だ。



 電話が繋がる。友治は気を引き締めた。移動中にアポイントは取ってある。挨拶もそこそこに本題に入った。



「戸次騎手はどんな方でしたか」



「親次は良い騎手ですよ」



 好連は穏やかに言った。写真に映る優しそうなサラリーマンといった感じのイメージと違わず、しかしどこか陰のある気弱さが声に表れていた。



「同期の角隈君を天才とするなら、親次は秀才です。欠点らしい欠点はなく、どの龍でもそれなりの結果を残す。逆に言えば、武器となるものがないのが欠点になります」



「しかし、二年目から急に変わった」



「……そうですね。確かにあれは凄かった」



 他人事な言い方だ。



「急にと言いましたが、前触れはあったでしょう。何か特訓をしたとか、そもそもあんな騎乗をするようになった理由とか、何かご存じありませんか」



「今まで何度か取材を受けましたが、答えはその時と同じです。私も何も知りません。本当にある日突然、あんな無茶な騎乗をするようになったんです」



 その陰のあるような気弱な喋り方が、本当の事を言っているようにも隠し事をしているようにも思わせた。



「……話を変えましょう。戸次騎手とは前々からお知り合いだったんですか」



「いえ。競龍学校ではトレセンの厩舎で実習を行う過程があるんですが、その時同郷の人間という事で引き受けたのが縁です。それ以前は面識もありません」



「その時はどんな方でした」



「普通の子ですよ。この世界に入ってくる人と同じく、競龍に魅せられた普通の十代の子でした」



 普通のわけがない。



 普通の人間は危険騎乗を繰り返さない。大レースに限ってならまだしも、うだつの上がらない未勝利戦ですら危険騎乗をする奴が、普通の人間なわけがない。



「つまり、元々は普通の青年だったのが、ある日豹変した、そう言う事ですか」



「そうなります」



 これでは表に出ている情報と何一つ変わらない。それでは意味がない。戸次親次の弱み。強請りのネタが欲しい。



 だが、これ以上聞き出せそうになかった。口が堅いのか真実を言っているのか、何にせよ時間の無駄だ。友治は適当に取材を終わらせ、次の人間に電話を掛ける。



 親次の同期の騎手、角隈頼安だ。



「おはようございます、角隈です。今日は電話越しになりますがよろしくお願いします」



 飛びぬけて明るい声が、スマホのスピーカーから飛び出してきた。



「……こちらこそお願いします」



 少し耳がキンキンする。友治はスマホを逆の耳に当て、PCの画面に表示させた頼安の経歴を眺めた。



「それで親次の件ですよね」



「はい。角隈騎手から見た、戸次騎手の本当の姿を知りたいんです」



「地味ですね」



 頼安は爽やかに、辛辣な事を即答した。



「蒲池さんは、あいつが競龍学校を主席で卒業したのは知ってますか」



 それはつい先ほど知り、大いに驚いた。てっきり頼安が主席かと思っていたが、親次が主席の証であるアラブ首長国連邦大使特別賞を受賞している。



「俺たちの代には優秀なのが三人いたんです。実践派の俺と厩務員過程に移った技術派の奴、それと両方が上手かった親次です。パラメーターで言うなら俺が実践五、技術三で、厩務員過程に移った奴が実践三、技術五。それで親次が両方四。だから地味なんです」



 この辺りは、好連が言っていた事と一致する。



「だからこそ、覚醒すると凄かったという事ですか」



 友治が言った途端、鼻で笑ったような声が聞こえた。



「……覚醒?」



 それは、心底馬鹿にしたような声だった。スターと呼ばれて持てはやされる底抜けに明るい頼安とは真逆の、負の感情の詰まった声音だ。



「あれはですね、蒲池さん。高速道路を逆走してるようなもんなんですよ。危険すぎて近寄りたくないから仕方なく道を開ける。つまり恐喝です。あれは勝ってるんじゃなくて、勝たせてもらってるんですよ、あんなもの」



 最後は吐き捨てるような言い方だった。マスコミ向けの作られた態度とは違う、鋭い本音をいきなりぶつけられ、友治は思わず唾を飲み込んだ。



「……何故戸次騎手がそんな騎乗をするようになったのか、角隈騎手はご存じですか」



「分かりません!」



 豹変した。そう思えるほどに、頼安の声が元の明るさに戻った。



「学校を出た後はそんなに会ってないんで。一萬田厩舎の人には聞きましたか? 良ければ紹介しますよ」



「先ほど取材しました。一萬田先生も分からないそうです」



「……ふうん。ま、結局は本人に聞くしかないですね!」



 それでは意味がない。しかし、悪い事ばかりでもない。頼安の表の顔も裏の顔も、揃ってどんな質問にも答えてくれそうだ。



「競龍学校時代の戸次騎手はどんな様子でしたか。例えばそう、お金遣いだとか」



「金遣い? 変な事聞きますね。山奥にある競龍学校の寮生活ですよ、察してくださいって。性格についてはそっちも地味ですよ。あいつと同じぐらい競龍や龍好きの人間はいましたし、競龍界に関係ない家の奴もまあまあいましたし」



 成果無し、か。分かったのは頼安が親次を極度に嫌っているという事ぐらいだ。友治は頃合いを見て取材を終わらせ、電話を切って息を吐いた。



 二人の話を総合すると、戸次親次は急変した。ある日突然、前触れもなく、人が変わったかのように無茶な騎乗をするようになった。



 何かがあったのだ。普通の青年を急変させるだけの大事件が、誰も知らないところであったのだ。それが青年を急変させ、自殺行為を繰り返し、殺人未遂を繰り返し、金次第で触法行為も辞さないと言わせるまでになった。



 その何かが強請りの決定的なネタになる。



「あと一歩だな……」



 そう、あと一歩だ。だが、そこからが遠い。他に知っているとすれば家族だが、簡単に分かるなら他のメディアがとっくの昔に明らかにしているだろう。



「……どうするかな」



 その時、友治のいる個室の扉を叩く音がした。最初は無視したが、またノックされて仕方なく応答する。



「入ってます」



 ややあって、スマホに着信があった。相手を確認する。



 遠藤。



 血の気が引いた。また、扉がノックされる。スマホの画面には闇金業者の遠藤の名前が表示されている。



 逃げられない。視界が霞む。背筋が寒くなる。汗がじわっと滲み出す。友治は、震えた手で遠藤からの電話に出た。



「あっ、蒲池君? ノックしたの俺なんだけど、なんで出ないの?」



 世間話でもするような声。それが余計に友治の緊張を強くさせる。



「その……部屋間違いかと思いまして」



「あっそ。まあいいや、話したいから開けてくれる?」



 まずい。開けたら最後だ。個室で二人きりになれば、何をされても誰も助けに来れない。死んでも誰にも気づいてもらえない。



「その、まだ臭うんで。遠藤さんも俺の嗅ぎたくないでしょう?」



「お前マジでそう言うの止めろよ。まあいいよ。で、なんで俺から逃げた?」



 考えろ。返済期日には時間がある。言い訳は出来る筈だ。



「し、仕事ですよ。競龍記者なんですから地方競龍にもいかないと……」



「何で俺から逃げた?」



「ですから」



「何で逃げた?」



 声が出なくなった。



「答えろよ」



 喉が絞まる。声を出そうとしても舌が動かない。息が、苦しくなってきた。



「……なんてな」



 遠藤の笑い声が、電話と扉越しに響いた。



「驚いた? 冗談だよ冗談。俺がここに来たのはな、借金返さなくて良いって言いに来ただけなんだよ」



 息が漏れていく。思考回路が急展開に追いつかない。



「ど……ういう事ですか」



「そのまんま。お前は金を返さなくて良いんだよ。良かったな。もう俺みたいな奴から金借りるなよ。言っても意味ないだろうけどな」



 そして、電話が切れた。革靴の乾いた足音が離れていく。



 意味が分からなかった。借金を返さなくて良い。つまり、借金が無くなった。勿論、自分で返した覚えはない。家族や知人、代わりに返してくれそうな人はもういない。



 いや、一人だけいる。



 編集長の田北だ。未だ一人だけ金を融通してくれている編集長が、代わりに借金を返してくれたのだ。友治は急いで田北に電話を掛けた。



「編集長、ありがとうございます!」



 とにかく何度も礼を言い、勢い任せに電話を切った。非礼なんて気にしない。友治はネットカフェを飛び出して、ATMに向かって田北からの取材費全てを下ろした。



 そして、全額をギャンブルにつぎ込む。



 思った通り調子の良い日だった。揃いも揃って大当たりし、久々に大手を振って歓楽街で散財した。



 その夜は、最高の気分だった。

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