第8話 怪物の取材



 早速、戸次親次に取材を申し込んだ。取材と言っても地方競龍での初勝利を記念する飲み会のようなもので、以外にもあっさり了承が返ってきた。



 翌日の夜、厩舎街の外にある大衆居酒屋に二人きりで集まると、親次は酒を頼まずいきなり夕食を注文した。



「飲まないんですか」



「翌日に酒が残ると危険なんで」



 そういう理由で酒を飲まない競龍騎手は多い。命綱があるとは言っても、レースはおろか調教でさえ墜落すれば死にかねない。一度墜落して大怪我を負った親次なら当然の予防だ。



「それは良かった。私も酒は飲まないので気楽にいられます」



 嘘だった。友治はそれなりに酒を飲む。しかし今日は親次を強請る為の場だ。気楽に酔っている余裕はない。友治はただでさえ寂しい懐を痛めないよう軽めの料理を頼み、名目上の取材を始めた。



「地方競龍での初勝利、おめでとうございます。と言っても戸次騎手ともなれば造作もない事でしょう。どうですか、中央競龍と地方競龍の違いは?」



 競龍は旋回時に掛かる強烈な荷重に耐える為、屈強な躰が求められる。親次は料理を旺盛に食べる合間に口を開いた。



「基本は同じです。ただ、コースが小さくてコーナーが多い分、龍の能力より旋回の上手さや騎手の能力が求められる気がします」



 そんな事はどうでも良い。友治は起動させただけの録音機の様子を確かめるふりをする。



「つまり、騎手としては地方の方がやりがいがあるという事ですか?」



「どうですかね。騎手の判断を龍が聞くとも限りませんし、結局中央とそう変わらないんじゃないですか。それより、中央はどうですか」



 ずっと料理に向いていた親次の眼が、その時だけは友治に向いた。それで、親次があっさり取材を受けた理由が分かった。



「やはり中央の事が気になりますか」



「いずれ中央に戻るつもりですから」



 その表情は真面目そのもの。まだ足を引きずり、利き手は一生動かないと診断された騎手がどうやって競龍騎手を続けるのか。初勝利こそあげたものの、そんなものは偶然に決まっている。



「……そうですね。特に大きな動きはないですね。強いて言えば、知っていると思いますが戸次騎手の同期の角隈騎手が、またG1を勝ちましたよ。これで今年三勝目です。凄いですね」



「あいつは俺と違って天才ですから」



「謙遜を。戸次騎手も負けず劣らずの天才じゃないですか」



「別物ですよ。あいつは、クリーンに乗って俺と同じぐらい勝ってましたから」



 確かに、角隈頼安は天才だ。



 一年目から最高峰の格付けであるG1レースに勝利し、その年の新人最多勝利賞を手に入れる。二年目は数多くの実力者を押さえて最多勝利賞を取り、弱冠二十歳にしてトップジョッキーの仲間入りを果たした。そして三年目の今年は、若きスタージョッキーとして競龍界の枠を飛び越えて活躍している。



 まさに、天才騎手だ。友治はまだ取材をした事はないが、角隈頼安という騎手には遠目から見ても分かるほどの華があった。



 それと比較すると、戸次親次という騎手は平凡だ。



 デビュー年は例年なら新人最多勝利賞を取れる活躍こそしたものの、騎乗は堅実だが地味。人気なりに飛翔はするが、波乱は起こさない。こうして喋っていても年齢より落ち着いている印象を受けるだけで、大器の片鱗は感じない。



 だからこそ、二年目の変貌は衝撃的だった。



 通常の競龍において、他龍を躱すのはコーナーでの旋回から上りにかけてがほとんどになる。それは大きく龍群がばらけて速度が落ちるのが理由だ。逆に速度の上がる下降では接触の危険から大きな動きはない。精々が上空からの急速落下か大外からのぶんまわし、どちらにしろ進路が大きく開けている場合に限られる。



 しかし親次は、それを壊した。



 特に圧巻だったのは躰の小さい雄龍に騎乗した時だ。道中は大型龍の後ろについて風の抵抗を抑えて体力を温存し、最後の最後で狭い隙間で縫って強引に前に出る。あまりの危険騎乗に何度も騎乗停止を受け、ダーティな騎乗を嫌った大口の龍主は騎乗依頼を止めて騎乗龍の質は下がり、しかしそれでも勝ちまくった。



 墜落するまでの騎乗した期間は計三か月、勝利数は百余り。一年換算なら四百勝。それは、年間最多勝利記録の二倍に当たる勝利数だ。だからこそ、人は戸次親次を怪物と呼んだ。



 怪物と天才。



 しかし方や地方に流れ落ち、方や中央でスターとして輝いている。角隈頼安という騎手は聞くまでもなく賞賛が聞こえてきて、戸次親次という騎手は聞くまでもなく侮蔑が聞こえてくる。同期であり実力者の二人は共通点を持ちながら、今や正反対の立場に置かれていた。



「ライバルとして、角隈騎手を意識していますか」



「いえ、全く。特に意識している騎手もいません。乗った龍を勝たせる。それが俺の仕事ですから」



 金が欲しいからだろ。友治は心の中で笑い、話に一段落がついたところで料理に箸を伸ばし、世間話の体で自然に切り出した。



「中央と地方の違いと言えば賞金の額というのがありますけど、それがモチベーションに影響は与えませんか。ああ、これは個人的な疑問なので記事にするつもりはありません」



 友治は起動させただけの録音機の録音を止める仕草をする。



「モチベーションは……上がりませんね。ほとんどのレースが中央の新龍戦以下の賞金ですから。正直、勝っても負けてもどうでも良いです」



 平静で、冗談めかしてもいない話し方だった。



「……騎乗する理由は、本当にリハビリだけですか」



「本当にそれだけです」



 やはり、金に汚い。



 戸次親次は金の為に龍に乗り、金の為に危険騎乗を繰り返す。仕方なく地方競龍に身を移したが、稼げない地方競龍の騎乗などリハビリでしかない。だから賞金の高い中央競龍への返り咲きを目論んでいる。



「仕方がないとは言え、税金大変じゃないですか」



「まあ、今年の収入だけじゃ払えませんね」



 中央競龍の騎手の平均収入は一千万円を超える。対して地方競龍の平均収入は、その競龍場によって差はあるが、フリーターよりマシという程度だ。



 一度上がった生活レベルを下げるのは難しい。親次は中央時代の貯えがあったとしても、他の地方競龍騎手以上に金に困っている筈だ。



「金を稼げる方法があると言ったら、どうします?」



 箸を持つ親次の手が、止まった。



「……どういう意味ですか?」



 食いついたか。いや、慌てるな。友治は自分に言い聞かせる。



「例えばの話です。リハビリが目的と言っても、地方競龍だけではお金が厳しいでしょう? もし副業で金を稼げるとしたら、手を出しますか」



 親次は、真面目に考えているようだった。箸を置いて食事を中断し、視線を明後日の方向に向けてしばし、ようやく口を開いた。



「額によりますね」



「それがもし、法に触れる事なら。ああいや、例えばですよ。酒の席の例え話です。まあ、酒は飲んでませんけど」



 雰囲気を和らげようと友治は笑う。親次はぴくりとも笑わなかった。



「それも、額によります」



 心の中で、友治はガッツポーズをした。親次は金欲しさに命を顧みらず危険騎乗を繰り返していた男だ。そう言うと思っていた。



 いける。戸次親次はとんでもなく黒い人間だ。問題はどうやって強請るか。友治は追加の料理を注文をして考える時間を稼いだ。注文に悩んでいるふりをして、話の切り出し方の候補を挙げていく。



 その時、電話が掛かってきた。



「ちょっとすみません」



 親次に断って相手を確認する。スマホの画面に表示されていた名前は、遠藤だ。



 浮ついていた心が叩き落された。あれ以来、遠藤とは連絡を取っていない。実質、遠藤から逃げてこの街に来たようなものだ。



 追われている。遠藤がこの街まで追ってくる。



 友治はスマホをマナーモードに変え、自分でも引きつっているのが分かる笑みを浮かべた。



「すみません。編集長から記事をせっつかれてて。支払いは先に済ませておくので、戸次騎手はゆっくりしていってください。取材ありがとうございました」



 返事も待たず、友治は会計を済ませて雨空に飛び出した。



 また、電話が掛かってきた。遠藤ではない。一萬田厩舎からだ。安堵して電話に出ると、美女の孫娘が相手だった。



「お時間大丈夫ですか」



 あんな美女が自分に何の用だ。先程の危機感もどこへやら、友治は浮ついた声で返事をした。



「勿論、大丈夫です」



「良かった。蒲池さんを訪ねてきた人がいたので電話したんです。遠藤と言えば分かると。見た目は」



 そこから、美女の声は耳に入らなかった。



 遠藤が、もうこの街に来ている。見つかるのは時間の問題だ。まずどうして逃げたのかを問い詰められ、前のように殴られる。いや、見つかったが最期かもしれない。



 もうこの街にはいられない。ここで街を離れるのは惜しいが、命の方が大事だ。



 だが諦めはしない。東京に逃げ帰ったら親次の知人を当たって親次の弱み、強請りの決定的なネタを集めよう。



 友治はその日の内に電車に乗り、東京に逃げ帰った。

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