祖母におにぎりを食べさせてあげたいだけなのに……食の概念がない世界で食文化を取り戻そうとしたら国から狙われることになってしまった

旦開野

#1 病院にて

大学の授業を終え、僕は祖母が入院する病院へと向かった。祖母は1週間ほど前、階段でつまづき、右足首の骨を折ってしまった。今年で80歳になる祖母の骨はだいぶスカスカであると担当医師が言っていた。


公園の前を通ると、目の前に野球ボールが転がってきた。


「すみませーん。取ってもらえますか?」


声のする方を見ると、そこにはバットとグローブを持った小学生が3人ほどいた。

俺はその場にしゃがんでボールを取ると、彼らの方に向かってボールを投げた。ちょっと遠くへ投げすぎたかなと思ったが、グローブを持った少年がしっかりとボールをキャッチした。


「ナイスキャッチ。そろそろ日が暮れるからうち帰れよ。」


少年たちに言うと彼らは素直にはーいと返事をした。


ガラスドーム越しに見える太陽はもうすでに地平線と接触していた。








今から200年ほど前、気候変動の影響により、人類は絶滅の危機に直面していた。海面上昇で住む土地が減り、大きな台風が頻繁に直撃、日照りも続き、砂漠化も止まらず、作物が育たなくなり、食糧危機に陥った。人口は一気に減少し、人類はこのまま絶滅の一途を辿るのだとばかり思われた。


そんな中である会社が人類のために立ち上がる。世界的大企業であるノストラダムス株式会社は世界各国に残った人類を集め、街を作り、とてつもない大きなガラスドームで街全体を覆った。ガラスドームの中は人々が過ごしやすい気温が保たれ、大型の台風が襲ってきても守ってくれる。日本では首都東京にその街は築かれた。


人々は安全で快適に過ごせる土地を再び手に入れた。しかしまだ問題は解決していない。食糧の問題だ。作物を十分に育てられる土地は限られており、他の生物もほとんどが数を減らした。今生きている人類の食料すら確保できない状態……この現状を打破したのも、ノストラダムス株式会社だった。彼らは人々が生きていくのに必要な栄養素を0から作り出す極秘技術を開発、錠剤として人々に行き渡らせた。人類は国から支給されるその錠剤で、必要な栄養素を賄った。人々はノストラダムス株式会社の技術力のおかげでしぶとく生き延び、現在に至る。人類は生き延びることはできたが、生活は大きく変化した。特に変わったのは食文化であろう。人々は錠剤から栄養を補給することで食べることの楽しみを失ったのだ。


楽しみを失ったって言っても生まれながらにして液体と錠剤しか口に入れたことがないので、人々が昔行っていた“食べる“と言う行為に対して特別思い入れがあるわけではないし、そもそもどんなことなのか、あまり想像がつかない。まぁ、今こうして食べるということをしなくても生きているのだからいいんじゃね?と言うのが俺の正直な感想だ。


病院の受付口。星宮悟と書かれた学生証を面会用の機械に通し、祖母の病室へと向かう。祖母の病室は角部屋だ。


「おばあちゃん、具合はどう?」


祖母……星宮凛は目の前に設置してあるモニターで何かを見ているようだった。


「悟、またきてくれたの。大したことなんだからそんなに心配しなくてもいいのに。」


祖母はモニターから俺の方に目線を移し、いつもと変わらず、優しい声で答えた。


「俺も暇だからね。おばあちゃんといろいろお話もしたいし。」


お気づきの方もいるだろうが、俺は大のおばあちゃん子だ。入院する前もこんな調子でしょっちゅう祖母の家に遊びに行っていた。


「その気遣いが、お友達にもできればいいんだけどね。」


祖母に言われ、またその話か……と俺は心の中でため息をつく。俺は祖母はもちろん、父や母、妹などの身内に対しては親身になることができるが、学校では基本的に一人でいることが多い。他人に対して、あまり関心がないのだ。


「星宮さん、摂取の時間です。」


看護師がやってきて、祖母の前に2粒の錠剤と水を差し出した。1粒はこの街の人全員に与えられている栄養剤、そしてもう1粒はカルシウムの錠剤だった。骨が弱くなっていることがわかり、追加で病院側から処方されているものだ。祖母は看護師からコップと錠剤をもらうと、手際よく口に運んだ。看護師は祖母からコップを受け取ると、俺の方に軽く会釈して戻っていった。


「いつ見ても愛想のない看護師さんだね。」


大学の授業が終わってから病院に来ることが多い俺は、祖母の摂取の時間と被ることが多い。あの看護師ともよく顔を合わすが、本当に愛想がない。


「働くって言うのは大変なことだからね。みんな疲れているんだよ。」


祖母は相手がどんな人であれ、文句や悪口を言う人ではない。隣にいてとても気持ちの良い人だ。俺も見習いたいところである。


「こんな化学物質じゃなくて、もっとちゃんとしたものを食べれば、みんなイライラしないで済むのかねぇ……」


祖母はボソッと、孫の存在なんか忘れているかのように呟いた。


「それって昔の“食事“ってやつ?」


俺は聞いた。


「そうだね。私たちのご先祖様は、今と違って植物や動物、海に住む生き物から命をいただいて生きていたみたいだね。」


「ご先祖は随分と野蛮だね。」


「生き物なんてみんなそうなんだよ。本来、生き延びるには命をいただかなきゃいけない。それが自然のルールだったはずなんだ。それなのに……どうしてこうなってしまったんだろうね。」


祖母は窓の外からガラスに覆われた街を見渡した。辺りはすっかり暗くなっていた。ガラスを2枚隔てた夜空から見えるのは本当に星なのだろうか。とても怪しいところである。


「おばあちゃんは“食事“ってしたことあるの?」


食文化が失われたのは200年も前のことだ。祖母が食事をしたことがあるはずがなかったが、なんとなく、興味本位で聞いてみた。


「大昔に一度だけ。おじいさんが“おにぎり“ってやつを作って食べさせてくれたことがあったねぇ。」


「え、おじいちゃんが?」


祖母は随分昔、父が生まれてすぐに離婚している。祖母は父を一人で育ててきたのだ。祖母は祖父のことをよく話す。祖母の口振りから、祖父とは仲が悪くて別れたわけではないようだ。父も幼かったので離婚の理由はわからないし、父も俺もそれを聞く勇気がなく、いまだに謎のままだ。


「おじいさんは、よく歴史書を広げて食文化について調べていてね。ある日、どこからか知らないけどお米ってやつを持ってきて、私におにぎりを作ってくれたんだ。私は恐る恐る口に運んだんだけど、これがとてもよくてね。昔の言葉で“おいしい“っていうんだっておじいさんに教えてもらったよ……死ぬ前にもう一度、おにぎりってやつを食べてみたいね。」


祖母は祖父の話をするとき、懐かしくて大事な思い出が壊れないように、とても丁寧に話す。


「そのおにぎり、ってやつを食べれば、おばあちゃんも元気になる?」


「そうかもね。骨の治りも早いかもしれない。」


祖母はまるで少女のように、無邪気に答えた。

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