第一幕第二場:コン・アモーレ『愛情をもって』(前編)

 

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 朝早く婆やに起こされた後、机の上に置かれていた洋紙をふと見ると、そこにはあたしの筆跡で、手紙のようなものが書かれていた。


『親愛なる未来のジルダへ


 あなたの記憶は日々おぼろげとなり、徐々に失われていくわ。だからここに大事な事を記しておきます。これらをしっかりと心に留めた上で、今後の行動における指針としてください。──』



 その後には、要点らしきものが列挙されており、特に重要そうなものには★印が付けられていた。そして最後には、『過去のジルダより、希望と愛を込めて』で締めくくっていたのだ。



 寝起きでボーっとしていて、まるで仕事をしていない頭でこの手紙の内容を吟味してみたけど、記憶がボヤっとしていて今いちよく分からない。昨日あった事は何となく覚えているのに……。


 確か、珍しく朝早く起きてお父様を見送った後、日曜の礼拝に出かけた? ところで約十年ぶりに従妹のマリアンナと偶然出会った。そのマリアンナことマリーからは、あたしも狙われているから急いで街を出るよに別れ際に言われた。その時に、ガル様と呼んでいたシルバーグレイの髪をした顔に傷のあるイケメンは、彼女の恋人なのだろうか?


 そして昨日は帰宅してから、街を出るために必要な荷造りをしていると──。


 あ、そう言えば。昨晩遅くに帰宅したお父様に、従妹のマリーと出会った事を伝えたら、急に青ざめて『その事は忘れなさい』と言われたわ。そしてお父様の考えでは、街を出るなら生まれ故郷のアミアータ渓谷にある教皇都に行こうと強く推された。


 その後もあたしが幾ら必死に思い起こしても、それ以前の事は頭の中が霧がかかっているようで、まるでそれらが漠然とした夢の中の出来事のように感じる。


 そして昨日、夢の中で見たはずの大好きな母の顔も、今はおぼろげでハッキリと思い出せることができない。でも手紙の締めの言葉の後に、描かれている年を取った女性の似顔絵がなんとなく母のような気がした。

 (お母さん……)


 とりあえず、手紙の中でも★印で記された箇所をもう一度読み直してみる。


『前世の記憶は日々おぼろげになり、やがては消え去るので、バラの香りで記憶を鮮明にすること。場合によっては忘れていた記憶が蘇る。』──と。


 何故バラの香りなのかは分からないけれども、今こうして記憶がボヤけつつあるのは、過去からの手紙で危惧している通りの兆候らしいわね。つまり糖分補給をしたからといって、どうにかなるものでは無いらしい。あとで栗の砂糖漬けでも摘まもうと思ったけど無意味というのならば、今日は一つまみだけ(?)で我慢しておこうかしら。



 それに続けて、『従妹のマリーについては婆やが知っている』、『マリーの父である司法長官のモンテローネ伯爵とお父様は何かあったらしい』、『シルバーグレイの髪をしたイケメンはガルガーノ、マリーの恋人かも? でも頼りになる殿方』、『グラティエールと名乗る仮面の騎士様はガルガーノかも? 声と歌が同じテノール声だから』と書かれていた。


 そしてその後にある下線付きの文が非常に気になった。


『川下の村ボルゲット、その外れにある宿で!!』


『そこの宿の、女主人はを使う? 提供される! もし村で泊まるなら宿にする』


なので夜明けまで待つ』


 これは何だろう? 街を出る場合は、川下に向かう事が前提なのだろうか? ちなみにお父様が推す教皇都コルシニャーノは、逆に川上に向かうとある美しい田園風景が広がるアミアータ渓谷の古い街らしい。なんでも赤ワインとチーズと生ハムの名産地で、毎年夏になるとチーズ転がしの祭りがあるとか。ちょっと興味をそそる話だった。


 それにしても宿の女主人と猫娘の下りは一体どこ情報なの? これの書き主には、その辺りの情報ソースの開示を求めたいと思う。ちょっと過去のジルダさん、しっかりして!


 夜中の川下りは危険なのは素人でも予測は出来るけど、そういう状況に追い込まれるなって事なのかしら?


 うーん、しかしながらただ一点。 『可哀想な猫娘(みはく)を必ず救う!!』がとても、とても気になるのだ。あたしの性格を考慮すると、この書き様からは『退』感じられる。


 これはもう、あたしの行くべき未来を明示しているのかもしれない。


 それならば──。



 その後、せっかく昨日に続いて早起きをしたにも関わらず、今朝はお父様を見送る事ができなかった。何故なら婆やの話では、今朝は朝食も摂らず、化粧もせずに平服で朝早くから出掛けたらしい。何か解せないわね……。


 仕方ないので、眠気を我慢しながら婆やと二人で、いつもの美味しい朝食を頂く事にと相成ったのだ。


 そして朝食の合間に、従妹のマリーについて婆やに尋ねると忘れていた事が色々と判明した。彼女の父は王国の司法長官であるモンテローネ伯爵。彼女は伯爵の一人娘で、あたしよりも六つ(も)年下。あたしたちの母親が姉妹だったらしく、かつてはよくこの屋敷を親子で訪れていたらしい。そして現在は王都に住んでいるとか。



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 あたしが食後のお茶を頂いている横で、全ての洗い物を終えた婆やは、必要な買い出しと用事があると告げて屋敷を出て行った。


 そして厨房に一人取り残された時、あたしはふと思った。



 うん、今日の自分の身の回りの世話は、ご自分でという事よね?



 そのすぐ後に、ミランダが屋敷にやってきたけど、流石に家政婦として雇っている彼女に、家事以外の身の回りの世話を頼むわけにはいかなかった。


 よって今日は冷たい水で顔と髪を洗い、それから一人で髪の手入れをしたのだ。それもいつもの半分以下の時間でね。


 やはり冷たい水は無理! だから今日はとても恋しかったわ、便利な婆やの火魔法が。



 ちなみにミランダは雷魔法しか使えないので、湯沸かしを魔法で頼る事はできない。彼女の魔法はバチバチって痺れる護身用で使うためのスタン魔法らしい。つまり不用意に言い寄る不埒な輩もそれでイチコロよね? これには流石のあたしも、ちょっと気をつけようかしら……。



 それから自室に籠って、あたしは旅の荷造りを真面目に始めた。ミランダからあたしを訪ねてきた客が来たと知らせるまでは。


 後々気づいたけど、この時の彼女のエプロン姿はいつもの首からひざ下まである色気の無いロングエプロンではなく、彼女の豊かな胸を胸下から吊り上げるタイプだった。何かあったのかしら? あと素敵な金の髪飾りも身に着けていた。



「それにしても誰だろう? あたしにとって友達と呼べる子は、近所の白猫ミミちゃんくらいだし──。知り合いなんて──、川辺のサンタクローチェ教会の司祭様とか?」


とにかく会ってみるしかないかぁ。まさか昨日の今日で、マリーと言う訳でもあるまいしね……。

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