第三幕:皆眠ることなかれ(第二編)


 あたしは何とか苦労の末に、部屋にある唯一の小さな木枠の窓から抜け出す。


 もちろん宿の二階から身を躍らせたので、あたしの体は宙に舞い、そのまま草むらの上に尻もちを着いてしまった。痛~い……。


 それでもどうやら無事に、怪我もなく外に脱出する事ができたようだ。

 正直、冬を前にして腰から太ももにかけて肉付きを良くしていたので、これはちょっと無理かなぁと思いながらも、結果的にその脂肪クッションに助けられたみたいな?



 そしてあたしは月明かりの元、見つからぬようにそっと小走りでその場を立ち去る。

 これも全て、あの猫娘のルチアが逃がしてくれたからだ。感謝している。


 でもね。あたしは必ず戻って、二人と彼女を助けたいと思っている。

 だから今は待っていてね。


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 宿を抜け出した後、あたしは彼を探すために村の他の宿へ向かおうと、村の中央付近まで走ってみた。


 すると、教会の前でうずくまるように座り込んでいる男が見える。 

 ん? あのシルバーグレイの髪は!?


 その姿を見たあたしは思わず駆け寄り、彼に抱きついてしまった。


「ご婦人……、この村にジルダと言……」

「あたしよ、ジルダよ! あなたを待っていたの! 大変なの、助けて!!」


 無我夢中で彼にすがり付き、必死で助けを乞う。 


 なに? あたしの左手が何かヌルっとする。月明かりに照らすと、それは赤い液体だった。まだ生暖かく、まるで彼の命の温もりをはだで感じられているようだった。


「これ、どうしたの!?」


 彼の漆黒色のマントをめくると、騎士服の左わき腹が真っ赤に染まっていた。そこを押さえている彼の指の間からは、少しずつ命の証が次々とあふれ出てきている。

 (ああ、何てことなのかしら!?)


 あたしは躊躇せずに、自らのスカートを縦に割くと、そこから何本かの布切れを確保した。


 そして彼の両脇をぐるっと回すようにして、それらを使ってきつく縛り上げる。うぅっ、っと彼は一瞬うめき声を上げたが、ここは「ご馳走さまです」と脳内で呟くだけにとどめておいた。


「すまない、助かった。これで……、もうしばらくは、動けそうだ……」

「本当に大丈夫なの? 顔が真っ青よ」


 彼の顔は月明かりで、より一層青白く染まっているようだった。


「問題ない。それよりもお嬢さん……、君の方が、切羽詰まっているのだろう? 

 私の方は王都までもたせてみせるよ」


 そう言うと、両ひざに手を当てながら、鬼気迫る表情で立ち上がる。


 彼が大丈夫と言うのであれば、これ以上の心配は殿方の誇りをないがしろにするものと考え、あたしはその事については黙った。


 そして、今置かれている状況をつぶさに伝えた。


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「もうこちらまで手を回していたと言うのか……、だが私の存在は知るまい。それで……、魔法を使ったのは女主人だけだったのか?」

「えぇ、もう一人は眼帯をした大柄な男。二人は兄妹みたいだったけどね」

「ならば不意打ちを仕掛けて、先に女を片付ければ……勝機はある」


 普段のあたしならどん引きするような事を、目の前でサラリと言われたけど、彼の覚悟を決めたその横顔を見ると、ここはもう全てを託そうと思った。


 ・

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「中に入ったら、私が二人を足止めする。その間にジルダ嬢は階段を上って、その三人を宿から連れ出してくれ。川辺の船着き場で落ち合おう」


 そう言うと彼は音もなく、腰の剣を抜き放つ。月明かりにその細身の剣の白刃が一瞬煌めく。


「ジルダでいいわ。あたしもあなたの事を名前で呼ぶから。えーと……、グラ「ガルガーノだ」」

「私の名はガルガーノだ。憶えておいてくれ……」


 あたしに微笑みかけながらそう言う彼の顔は、まるで別れを告げる死人のようだった。



 そして勢いよく中へ踏み込む彼と、それに続くあたし。


「なんだ!? お前たちは!?」と素早く立ち上がる赤毛の男。


「なんだい? もう店仕舞いを……」


 酔っ払い気味の女主人が喋り終える前に、彼は無言でその女の背中へと素早く一突きを入れた。うわぁ、これが心の臓に一突きって言うのかしら? 

 こっちまで彼の殺気に身がすくみそうになる。でもそこは耐えた。



 彼が剣を引くと、女は口から吐血して、テーブル上に突っ伏す。


 すると酒の入ったジョッキがこっちに飛んできた。難なく彼が身をそらすと、それは壁にぶつかり床に転がる。


「妹を! マッダレーナをよくも……、よくもやりやがったな!!」と叫びながら、顔を真っ赤にし激高する赤毛の大男は、腰に下げていた剣を素早く抜き、それを頭上で水平に構える。


「行けっ!」と彼はあたしに声をかけると、左手でマントを脱ぎ、右手で細身の剣を水平に構え、大男と正面から対峙していた。


 これは男同士の互いの命と誇りを賭けた戦いである。そこに無力なあたしが立ち入る事はできない。

 だからこの場は彼に任せ、あたしは隙を見計らって階段で二階へと一気に駆け上がった。


 ・

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 部屋の前まで来ると、そこには扉の前で膝を抱えて座り込んでいるルチアが居た。


「行くわよ、ルチア! あたしと一緒に逃げるの! 今、仲間が下で足止めをしてくれているから、二人を連れて逃げるわよ!」


 そう言って、彼女の手を取り、あたしは強引に立ち上がらせた。


「デモ、うちニハ、イクトコロガ、ナイにゃ……」

「あなたはあたしと一緒に行くの! 今日からあなたはあたしの家族、だからついて来なさい」

「デモ、デモ……。うち……」

「でもじゃない。しかしも違う。いい? これからは嬉しい事も、楽しい事も、美味しいものもあたしと一緒に分かち合うのよ!」


 あたしはそう告げると、力いっぱい彼女を抱きしめた。こんな可愛い子を独りにさせるものですか。


 すると、彼女はふぇーんと泣き出した。そんな彼女の頭をそっと優しく撫でて、ヨシヨシと慰める。



 ひとしきり泣くと落ち着いたのか、力強く頷いてみせて、「うちモ、イキマスにゃ」と応えてくれた。


 そしてこれからが本題になるのよね……。どうやって麻痺毒にやられて動けない大人二人を連れて行くのかと。


「二人を外に連れ出したいのだけど、ルチアも手伝ってくれる? 

 力を合わせて、一人ずつ運んでみましょうか。先ずは婆やの──」


 あたしが具体的な指示を出す前に、なんと彼女は軽々と右肩にお父様を載せて担ぐと、今度は左肩にヒョイと婆やを担いで見せたのだ!?


 ひゅー、流石はルチア

 これにはあたしもメロメロですわ!


 二人を両肩に載せた彼女は、あたしに向かって頷くと、ゆっくりと慎重に部屋を出て廊下を歩きだした。

 それに遅れじとあたしもササッと彼女の脇を抜けて、先導するように彼女の先に立って歩く。



ここを切り抜けられたら、いよいよハッピーエンドよね……。

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