第三幕:一人寂しく、捨てられた(後編)

 

 あたし達は街に入ると、先ずは新市街の宿で部屋を(あたしは二部屋を希望したけどお父様の強い要望で)一つ取り、荷物と婆やをそこに残してきた。


 お父様は今後の事を考えて、新しく住む場所を探しに行く、と告げてから一人で出かけたのだ。


 その一方で、あたしは慣れない旅で体調が思わしくない婆やを介抱するために残るとお父様に言っておいたにも関わらず、婆やにはちょっと街を見てくると言い、懐の書状をそのままに街へ繰り出した。


 それからあたしは観光と称して、新市街にあるアンブロジウス聖堂へとやってきたのだ。 


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 聖堂に入るとすぐ目の前に、石膏で出来た大きな女神像が一つだけあった。


 これはタントゥム教が崇拝する女神ソーナの像である。教会の聖書では、この世界は女神が歌う事で生まれたとあるらしい。

 毎週の礼拝を欠かしたことのないあたしだけども、残念ながら世情調査に忙しく、司祭様のありがたいお話を聞き流してしまっていたので、創世の伝承について詳細は分からない。


 唯一知っている事と言えば、一神教ではある上に王国の国教ではあるけれども、別段強制されるわけでもない。

 そしてこの王国の王様に対し、女神に代わって教皇様が王権を授けるという事。その教皇様は十二人からなる高位の枢機卿から選ばれるとか。


 つまりこの教皇都コルシニャーノは、教皇様が住まうタントゥム教の総本山なのだ。

 ちなみにこれはお父様に聞いた内容だけれど、教皇様の住む宮殿は大聖堂と同じく旧市街にあるらしく、その旧市街も通行証を持つ信者のみがしか入ることはできないらしい。


 ただし信者以外の者がそこに立ち入る事ができるのは、毎年夏に教皇宮殿前の大聖堂広場で開催されるチーズ転がし祭りの時だけとか。



 そして宿の主人の話では、こちらのアンブロジウス聖堂は行政機関も兼ねており、ここには地方司法官も務める大司教猊下であるフランチェスコ枢機卿が詰めているらしい。だからあたしは例の書状を携えて、この聖堂を訪問する事にしたのだ。


 件の枢機卿にはすんなりと面会できる事になった。司法長官宛の書状を持参していると伝えると、意外と簡単に面会が許可されたのだった。


 そして今あたしの目の前には、その地方司法官たるフランチェスコ大司教枢機卿猊下がいる。



 真っ白い法衣を着た長い髭をたくわえた白髪の老人。穏やかで柔らかく親しみのある皺だらけの顔だが、その一挙一動からはとてつもない威厳を感じる。


 それからあたしは書状を手渡し、これまでの事を順を追って大司教猊下に説明したのだ。



「――ふむ、騎士グアルティエールとなぁ……。寡聞にして存じぬが……。

 しかし、この封蝋にあるこの印章は、王国の北方を治める辺境伯グリュー家のものじゃな」

「そのグリュー家の家中に、グアルティエールというお方がいらっしゃるのでしょうか?」


 しばし考え込む猊下。


「おぉ、そうじゃ、そうじゃ。確か先代の当主はグアルティエールと言う名で、立派な武人であったと聞き及ぶ」

「では今の当主様のお名前はなんと?」

「今代の名は何と申したかなぁ……、ただあまりいい噂は聞かぬな。武人の家系に連なる者だけはあって腕は立つらしいが、若い頃から乱行三昧で方々に迷惑をかけておったと聞いた事があるわい」


 はぁ、いつの世にもありそうな話だ。


「こちらの書状はどうすれば、よいのでしょうか?」

「拙僧がつらつらと思うに、おそらくは辺境伯の家中の者が王に訴えるために、この書状用意したものかもしれんな。

 然るに地方法官でもある拙僧が直々に、王都へこの書状を届け、お上に裁いて頂くとしよう」

「大司教猊下にお願い出来るのであれば助かります。宜しくお願い致します」

「よい、よい。拙僧は教会だけではなく、王国にも公僕として仕えておる。これしきの事は造作ないものよ。ホッホッホッ」


 一先ずこの件はこれで解決したと思い、それからあたしはお礼を述べてから、その場を辞するとした。


「しかしながら、むすめごよ。この件は、決して他言無用じゃぞ。下手に漏れでもたら、そなたの命を危うくするかもしれぬからな」


 もちろん承知している旨を伝えると、猊下は大きく頷き、満足されたようだった。


 最後に部屋を出る間際、場合によっては使いの者を送ると言われたので、宿の名を告げてからあたしは立ち去った。


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 大司教猊下に書状を渡してから一週間後。

 あたし達は猊下のご厚意で、近隣の村の外れに一軒家をもらい受け、そこで暮らす事になった。


 最初は訝しんだお父様も、件の誘拐犯について窮状を訴えると助けて下さったのだと、あたしが超意訳わかりやすくして話すと、一応は納得してくれた。


 そして今の私はこうして一人で水くみをしている。

 なぜならこんな辺鄙な場所には家政婦はいないし、都では気軽に手に入った便利魔石もないし、挙句にあたしは魔法が使えない。

 だからこうして体を動かすしかないのである。流石にこういう境遇に置かれたら、真面目に魔法について勉強してみるのも悪くはないかも?元々は歌は好きだしね。


 それにしてもお父様は昨夜から戻ってこない。

 もうすぐお昼になると言うのに何をしているのだろうか?


 毎日のように方々に出かけているらしいけど、女手だけでは大変なので何とかならないのかしら?

 ちなみに婆やは村に食材と油を買うために、少し前に出かけている。


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「うん、しょっ……と。これでやっと八割ってところかしら?」


 そう独り言を言いながら、あたしは桶から水瓶へと水を移した。

 もう両手にマメが出来て痛いので、これは何とか楽できるよう改善したいと、その場で考え込んでいると。


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 いきなり背後から、あたしは首を左右から掴まれ、一気に締め上げられた……。


 く、苦しい。

 思わず、手に持っていた水桶を自分の背後に力一杯ぶつけてみた。


 ガコンッ!!


 手ごたえあり! 

 締め上げていた手が緩んだ隙に、振りほどいて振り返った。

 そして――――驚くあたしがいた。


「あんたは……誰!?」


 そこには四角い顔の老人がいた。

 特徴ある四角いあご顔と鼻の下にある大きなホクロ、何よりも驕り高ぶったようなそのイヤな目つきは、とてもとても印象深く、生理的な嫌悪を感じる。


 そして私の心と五感を激しく揺さぶるのだ。

 この悪寒のような震えは何だろうか?

 

 あたしの頭の片隅、心の何処かに引っかかる何かを感じる。

 (また、なのね……)


「下賤の小娘が! あの男から受け取った品をだせ! 証拠はお前が持ってるのじゃろう!」


 何を言っているのだろう、このダミ声の老人は? 唯一心当たりがあるのはアレだけだった。


「な、なによ!? あの書状の事なら、もう既に地方司法官の大司教猊下に直接手渡したわよ!!」


 それを聞いた老人は、突然高笑いを上げ始めた。

 そして笑う事に満足すると、あたしの方を向いてこう告げたのだ。


「あの忌々しい道化は既に始末済みじゃ。親子共ども仲良く地獄へと送ってやろう!!」


 そして……、突如唱え始める古代語の歌。


『まずはじまりに ひかりあり

 わがはいごにも ひかりあれ』


 その一度の歌で、老人の背後から強烈な光が放たれた。

 そしてそれを真正面から見据えたあたしの目は一瞬でくらみ、視界は閉ざされてしまったのだ。


「あぁ、目が、目がぁ~!」


 思わずとっさに両手で目元を抑えるあたしの首を老人は掴み、そのまま水瓶の中に押し入れた。


 次々と水が鼻や口や耳に入ってくる。苦しい、息ができない。


 あぁ、あたしはこのまま……。


 **********************


 先生のピアノに合わせて、わたしは歌い始める。


<ジャコモ・プッチーニ作、オペラ『マノン・レスコー』、アリア『一人寂しく、捨てられた』(原題:Sola, perduta, abbandonata)>



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『一人寂しく、捨てられた……


 荒野の中でたった一人!


 恐ろしい! この空は暗くなり……


 あぁ、私はただ一人きり!


 この広い砂漠の奥で 私は倒れている


 残酷に痛めつけられ、あぁ! 一人捨てられた


 私は 荒野に捨てられた女!




 あぁ! 死にたくはない!


 いや! 死にたくないの!


 死んだら 全てが終わるのよ。


 私にはここが 安息の地のように見える……




 あぁ! 私の死をもたらす美貌が


 新たに不幸を呼ぶのね……


 涙は私を彼から 引き離すでしょう


 私の過ぎ去りし 全ての恐ろしい記憶が 再びこみ上げてきた


 そして私の目の前に よみがえる。


 あぁ! それは血に染まった。


 あぁ! 全ては終わった。




 安息の家を 私は死に場所と求めるわ……


 いいえ! 死にたくないの……愛する人よ、助けて! 』



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 パチパチパチ、と母が拍手をする。

 先生はいつものように、ニコニコと微笑んでいる。


 あぁ、なんて幸せな……ひと時だ。


 でもわたしは気づいている。


 それが今はもうない、過ぎ去りし日々の……素敵な思い出である事を。



 そしてあたしは、再び歌い始めるのだ。

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