第1章「私の事象」その7


一限目は物理の授業だった。


「え~、じゃあ今日は問題集45ページの大問3から解いていくぞ」


問題集の紙をめくる音が教室中から聞こえてくる。


担当の山形先生はたとえ目線をらしたとしても、当ててくる人なので事前に解いておかないと、


みんなの前で笑いものになってしまう。


でも私は大丈夫、ちゃんと予習もしている。


「小林、ここのtanθはいくつだ?」


「えっ…、分かりません」


「ハァ、ちゃんと問題解いてこいよ」


私の前の座席の人が当てられた。


「佐々木、ここに入る数式は何だ?」


来た。みんなが私に視線を集めてる。でも大丈夫、昨日解いてきたから。


「tanθ=1-μμ´/2μです」


答えると、先生はしばらく黙って手に持っているノートを見ている。


5秒くらい経ったかな、この間が嫌いだ。


合っているのか、それだけを言えばいいだけなのに。


5秒ほどしか経っていないのに、体感的には10分くらいに感じた。


ドクッ、ドクッ、私の鼓動が加速していく。


「正解だ」


ホッとして、息を大きく吐いた。


山形先生が黒板に解答を書いて、みんなの視線が黒板に戻った。



こんなことに一喜一憂いっきいちゆうするなんて、どうかしている。


でも他人の顔色をうかがって生きてきた私には、


恥をかくことは死ぬことと同じくらい怖くて、分からないものだった。


それから、最後の6限まで私が当てられることはなかった。


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