出題編

第2話 三十二歳・在宅勤務・幼馴染で妊活中な妻がエロい

 2021年4月30日金曜日18:00。

 僕の勤め先。阪内駅前にある親会社保有のビル。その関連企業共同ブース。


 定時の鐘が鳴り響くの聞きながら、僕は壁に映し出されるコードを見ていた。


 コードレビュー。

 レビューイは、僕が所属しているチーム――の隣のチームにいる新人くん。

 情報系学科出身ということで、かなり期待されて入った子だ。


 今日はその子が新入社員研修で実装したコードを先輩社員からレビューする日。

 研修最後の大一番だった。


「うん、綺麗にコーディングできてると思うよ。素晴らしい。これなら簡単な仕事ならすぐに任せられるかな」


「ありがとうございます!」


「ただ、社内コーディング規約に関数や変数の命名が沿ってない箇所がいくつかあるね? これはどうしてかな?」


「……えっと、この方が分かりやすいかなと思って」


「それは君にとってわかりやすいのであって、皆にはわかりやすくないからね。僕たちはチームでお仕事しているんだから、チームの共通認識やルールにはちゃんと従おう。それだけしっかりできれば、君は十分チームに貢献できる人材だよ」


 もう一度、ありがとうございますと頭を下げる新人くん。

 彼に、それじゃ終わろうかと声をかけて、僕と僕の隣に座っていた三年目くんが立ち上がる。片付けはやっておきますと元気に返事をした彼に、よろしくと頼んで僕たちは共同ブースを出た。


 少し歩いてエレベータ前。

 定時退社でぞろぞろと帰って行く他の関連企業の社員さんたちと入れ替わって中に入ると、三年目――乙原くんがふぅとため息を吐いた。


 おつかれさま。

 これまでつきっきりであの新人くんをお世話してきた乙原くんだが、今日でようやくそれもお役御免である。


 まぁ、新入社員研修は疲れるよね。

 分かるよ。僕もやったことあるし。


「鈴原主任あざっす! マジで助かりました!」


「いやいや、なんのなんの。ちょっと最後にレビューしただけだから」


「そのレビューがありがたいんすよ! 楠田の奴、俺がどれだけ言っても最後に鈴原さんが指摘した命名を直さなくて! もう、○してやろうかなって!」


「ぶっそうだなぁ」


 情報系の大学出てるとあるある。

 新人なのにイキったコード書いちゃう病。


 典型的なソフトウェア会社の新入社員病だ。


 そんな新入社員に、優しく釘をさすのも僕たちみたいな中堅のお仕事の一つだ。


 そう。

 本日ゴールデンウィーク前の金曜日。

 僕――鈴原篤は、新入社員研修のレビューイの仕事に従事していた。


 実は割り込み業務。

 本来であれば、隣にいる乙原くんの上司がレビューイを担当するのだけれど、彼が所用で休んでいるために僕が代打として起用されたのだ。


 といっても、割と余裕を持っての代打なので、スケジュールの調整はなんとかなったけれど。


 なんにしても、この割り込み業務が入り込んだおかげで、ゴールデンウィーク前の仕事の調整は前倒しで片付いた。よくないことだけれど、ちょっとタスクがつまっている方が、僕は本来のスペックが出るらしい。


 これでゴールデンウィークは、かねてからの計画通りに過ごすことができるよ。

 と、まぁ、前向きに思っておくことにする。


 ふと隣に立っている乙原くんが、少し話題に困ったような顔をした。

 あまり親しくない先輩と、エレベータで一緒するとそうなるよね。

 わかる。


 そういう時は時事ネタを振るんだよ。


「鈴原さんはゴールデンウィークどうするんすか?」


「んー、嫁と一緒にだらだら家で過ごすかなー。流行の映画とかアマプラで見て。積んでたゲームしたり。美味しいものをお取り寄せしたり」


「おー、ラブラブっすね! うらやましい!」


「いいだろー?」


 そしたらこっちも適当に答えるから。

 とまぁ、そんな感じで、僕たちはゴールデンウィークなにするトークを交わしながら、自社のオフィスがある階へと向かう。

 到着し、速攻定時退社組と入れ替わりでエレベータを降りると、入構キーを使ってオフィスの中に入った。


 それじゃまたと乙原くんに別れを告げて自分のデスクに。


 僕と同じくすでに連休前に後顧の憂いなく仕事を片付けていたチームメンバーは、すでに僕のデスクの周りにはいない。ただ一人、この連休中に一回は休出するんだろうなという感じの課長が、うんうんとデスクで唸っている。


 パソコンをデスクに置いて、代わりにその下に潜らせて置いた通勤鞄を取る。

 無駄に革製、中身が入っていないそれを手に取って、おつかれさまでーすと場を去ろうとした僕に、ちょっとちょっとと課長が声をかけてきた。


 なんだろうか。

 なんか急ぎのトラブルだろうか。


 上司の問いかけを無視する訳にはいかず、僕は立ち止まった。


「鈴原ぁ。お前、上司が唸ってるんだから、スルーはないだろぉ?」


「なんですか山下課長? もしかして、急なトラブルですか?」


「うんにゃ、暇だから声かけた」


「えぇ、やめてくださいよそんなの。僕は山下課長の恋人じゃないんだから」


「あれ? もしかしてなんか忙しい? だったらいいよ。ごめんごめん、ちょっと煮詰まっててさ」


 どうやらちょっとした世間話がしたかったらしい。

 しょーもないなと思いつつ、まぁ課長の苦労はよく知ってるので口には出せない。

 しかたないですねぇとぼやきながら、僕はちょっとだけ自分の時間を、彼とのおしゃべりに割くことにした。


 これが社会での出世の秘訣――だったらいいんだけれど、あんまり効果はない。

 だって僕、この通り主任止まりだし。


 よいしょと僕の前で山下課長が背もたれに体重を預ける。

 僕が入社したときには係長だった、この社内のエースにして名物課長は、ちっともそんな有能の爪を覗かせずに、気の抜けた顔を僕に見せた。


「いやー、ありがとね。杉田係長の代打。鈴原が居てくれて助かったよ。君ってばほんとちょうどいい人材だわ」


「はいはい。僕はこの会社におんぶにだっこのお荷物社員でございますから」


「そんなこたねーでしょうよ。ちゃんと利益出してくれてるよ。役職上げるかどうかはまた評価基準が別だけれど」


「忙しくなると嫁と過ごす時間がなくなるんで、今が一番いいんですけどね」


「そういうとこだぞ、鈴原主任。同い年の杉田が係長で、君が主任という悲しい事実の原因。もっと会社に尽くしたまえよ。俺は嫌だけど」


「課長になっておいてどの口が言うんですか?」


「この口」


 にんと変顔をする四十歳後半。

 素敵な歳の取り方だと思う。


 まねはしたくないけれど。


 しかしまぁ、杉田を引き合いに出されるとちょっと心にくるな。

 彼と僕とでは、この会社での在籍期間に違いはあるけれど、技術的な差はそれほどないはずだ。それでも、役職が違うっていうのはちょっと引け目ではある。


 それでなくても杉田とは古い付き合いだからな……。


「高校からの友達なんだろ君たち?」


「そうですね。ただ、この会社も彼の紹介で入ったんで、友達とはいえ彼には頭が上がらないですよ。そりゃ代打くらい喜んでやらせていただくっていうね」


「麗しき友情だなぁ。俺も欲しいわ、そんな同期」


「あはは」


「今回の急な休みにも、甲斐甲斐しくサポートに回ってくれるんだもん。あいつもいい友達持ったわ。ほんと、こういう時に助けてくれる人が、俺も欲しい」


「やっぱトラブってんですか?」


 いいのいいの気にしなくてと山下課長。

 やっぱなにかしらのトラブルを抱えているらしいが、それはどうやら僕に頼んで解決する内容ではないらしい。


 こういう時に、多少無茶と知りながら部下に投げないところが、この人の魅力であり、悪い所である。よく部長から、お前はマネージャーに徹しろと怒られてるのを見るたびに、申し訳なくなったりするものだ。


 まぁ、いいと言うなら、その言葉に僕は従うけれど。


 だってゴールデンウィークだし。

 杉田の仕事もしたばっかりだし。

 そこはそれ、僕は公私はちゃんと分けて考えますよ。


「休み明けには杉田も帰ってくるし、どうとでもなるから。大丈夫」


「あー、杉田係長案件ですか。おつかれさまです」


「ったく、急に穴開けやがってさ。こっちのスケジュールも二ヶ月先までむちゃくちゃだし。あいつ、帰ってきたらただじゃおかねえぞ。こうだ、こう」


 アッパーを空に向かって打つ山下課長。

 体勢を崩してこけそうになったのもご愛敬。

 もう歳なんだから、おとなしくしてくださいよと冗談を言うと、なんだとと彼はまた変顔で食ってかかってきた。


 ほんと愉快な上司である。

 おかげで下につく身としては気は楽だ。


「そうそう、二次会だけど、良いところおさえておいてよ」


「え、それ、僕がやるんすか?」


「あたりまえだろ? 俺はもちろん、野辺部長に何人か社員も参加するんだから。君が適任だよ、鈴原くん」


「……マジかぁ」


「パブがいいなぁ。俺はパブがいいなぁ。あ、やらしいとこじゃないよ。ほら、女性社員もくるから。そういう所は三次会で」


「会社でなに言ってるんですか、もう」


 と、言った所で、ポケットの中でスマホが振動する。

 いけない、そろそろ退社のリミットだ。


 会社から最寄りの阪急電車。

 僕たちが住んでる南茨木に向かう電車が駅に到着する時刻――に徒歩での移動時間を見越してセットしてある――を知らせるそれに、僕は反応する。


 バイブレーションを止めて、それじゃ時間なんでと山下課長に挨拶する。

 こういう時に無理に引き止めないのも彼の人徳。


 僕はそのまま会社を後にした。


「おつかれさまでーす!」


 鈴原篤。

 三十二歳。


 既婚。

 ソフトウェア会社勤務。

 役職は主任。


 勤務態度は可もなく不可もなく。

 新婚なのでいろいろと入り用でちょっと金欠気味だけれど、ちゃんと毎月貯金はできるくらいには稼いでいる。残業はしない派。


 南茨木のUR物件に住む、ごくごく一般的なサラリーマン。

 趣味はゲーム。据え置き派。超大作指向。

 ただ、最近はまとまった時間がとれないので、ネット小説を読んでその渇きを癒やしている。好きなのは「VMMORPG」と「タイムリープモノ」。

 この辺りの嗜好も、ごくごく一般的だと思う。


 そんなごくごく普通の一般人。

 生きてて何か楽しいことがあるのかと言われれば――ある。


「いま会社を出ました。明日の朝のパンを買って帰ります」


 LINEでメッセージを送ればすぐに既読。

 そして、五秒も待たずにおけまるのスタンプを送ってくる嫁だ。


 結婚五年目。

 そろそろ新婚という言葉を使うのに無理が出てくる年数を共に過ごした妻。

 そんな彼女は僕と同い年で子供の頃からの幼馴染だ。

 結婚してからよりも長い時間を共に過ごした、お互いのことをよく知る女性。


 名前は千帆。

 旧姓は西嶋。


 アニメや漫画と違って、幼馴染との結婚や恋愛は現実では珍しいというけれど、僕と彼女はその珍しい方に入っていた。

 しかも、結婚五年目にして、まったく冷めない夫婦の仲から言って、極レアな部類に入るだろう。


 たぶんソシャゲのガチャだとURとかになるんじゃないかな。

 自分で言うのは、ちょっとどうかなって思うけれど。


 夫婦円満の秘訣はよく分からない。

 ただ、スキンシップはたぶん多い方だと思う。


 あと、お互いに飾らずに接することができてるのもいいところかな。

 よく喧嘩もするけれど、仲直りも早い。幼馴染で培った信頼関係が如実に効いているとも言える。

 けど、心の底から相手のことを、可愛いと思えるのがやっぱり大きい気がする。


 モデル体型。

 高身長に出るとこ出ているダイナマイトボディ。

 ちょっぴり最近はお腹周りも怪しいけれど、それもまた僕的にはグッド。

 そんな身体で顔はおっとり系。いやらしさとかわいさが絶妙なバランスで調和した千帆のことが、僕は自分でもちょっとどうかと思うくらい愛おしかった。


 彼女さえいれば、他に女性なんていらないって感じ。

 まぁ、結婚してるんだから当たり前なんだけれど。


 とにかく、そんなかわいい嫁のおかげで、僕の人生は普通だけど充実していた。


「おっと、さらに連投。なになに、ドリンクとゴムが切れているので買……」


 あと夜の生活も充実しております。


 彼女ってば割とそういうのに積極的です。

 結婚五年目なのにレスとか心配ないくらい大丈夫です。

 金曜日の夜はたいていミイラになってます。

 平日我慢してるの一気に解放する感じです。

 なので休出するとすげー不機嫌になります。


 大学二年生。

 付き合い始めた頃はそんなでもなかったんだけれど、どうしてこんなになっちゃんたんだろう。それで千帆のへの愛が冷めるわけでも、嫌な訳でもないんだけれど、人間って変われば変わるものだなってしみじみ思う。

 いやほんと、僕は別にそんなの少しも気にしないんんだけれど。


 むしろうれしいんだけれど。

 こんなこと言っといて、すごくうれしいんだけれど。


 嫁がエロくて困る夫なんて世の中にいますかね。


 いないと思うな。

 僕はいないと思う。


 ただここ最近はちょっとハメを外している感じはある。


 元々、彼女は文具会社で社内デザイナーをしていたんだけれど、ここ数年のコロナショックで仕事が激減。一時会社からの依頼で休業していた時期もあった。

 そんな事情と、僕たちもそろそろ子供が欲しいという思惑もあり、半年ほど前に大学卒業以来勤めていた文具会社を退社。フリーの身になったのだ。


 今は在宅ワーク。クラウドソーシングで仕事をとりながら、月に10万くらい稼いでいる。それと同時に妊活中なのだが――。


「また投稿。えっと、ゴールデンウィークだから買っちゃった……」


 何をと自問するより先に画像が届く。

 そこに映っていたのは、胸元がざっくりと開いた白い縦模様のセーターに、そのたわわな胸を押し込んでいる嫁。


 たぶん下は穿いてないし、上はつけてない。


 うぅん。


「童貞じゃないのに殺される!」


 こんな写真を最近恥ずかしげもなく送ってくるのだ。

 帰宅途中ならまだいいけど、昼休みとかにも送ってくるのだ。

 そしてそのたび、僕はとても気まずい気分になってしまうのだ。


 別に悪いことしている訳じゃないのに。


 外に出られなくて欲求不満なのか。

 それとも家で仕事をするといろいろ溜まるのか。

 はたまた妊活に気合いを入れすぎているのか。


 どれが理由か分からないけれど、とりあえず――。


「だから千帆、はしたないからそういうの止めようよ。家で二人きりの時、いくらでも見るからさ」


 うちの嫁が最近エロくって僕は困っていた。

 いや、困りつつうれしいんだけれどさ。やっぱりさ。


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