涙腺と変化

 試合は始まった。派手な金属音が鳴り響き、その度に応援や歓声が上がる。それは決勝戦の名に恥じない接戦を繰り広げた。双方の学校の応援も負けていない。まさに一進一退の勝負だった。選手の集中力も最高潮、風も吹いて選手を後押ししてくれている。だが、それは相手の選手にも言える事。そして勝負の分かれ目は待ち望もうと望まないと来てしまう。実力差がない時ほどにこういう時は悔しさを感じさせる。

 八回の裏相手の高校の八番打者の打った高く、深め外野フライ。いい当たりだが、フェンスを超えるほどの当たりではない。その証拠にセンターは手を挙げ、余裕を持ってボールを追っている。ボールにも力がない。

 しかし、無慈悲にもここで自然の後押しが発生した。先程から吹いていた風。ボールからして向かい風の位置付けとなっていた先程迄とは打って変わり、この瞬間だけ風向きが変わった。追い風になり、力を失ったボールの助力をした。その結果ボールを追っていたセンターは行く手をフェンスに遮られ、ボールは電光掲示板手前の芝生に埋もれた。

 それを確認すると同時に塁審が大きく手を振りホームランを宣言した。結局その運に恵まれた一打が決勝点となり、甲子園への切符を目前で見失う結果で終わった。

 納得は出来なかった。俺も選手も他のみんなも。それでもこの結果が覆る事はない。風に押されようが押されまいがフェンスを越えればホームラン。ルールなのだから納得せざるを得ない。

 だからどうしようもない。

 試合前も中もあれだけ自己満足に応援したのに後悔してしまった。後悔しない為の言い訳だったはずなのに、無力なのに、悔いてしまう。

 だが、教師は大人だ。現実を受け止めて導かなければならない。

「帰るぞ、荷物を直せ。体調が悪い奴は俺のもとに来い」

 そう言って球場端の階段に姿を隠す。

 そんな俺を追ってか、吹奏楽部顧問兼ピアニストのシオンちゃんこと中田詩音先生が歩み寄って来た。

「東雲先生はもっと冷酷な人だと思ってた」

「俺もそのつもりだったんですけど、なんか愛着が湧いてしまったみたい」

「そう……。変わったね、本当に。随分昔より丸くなった。いや、元に戻ってるのかな、優しいつーくんに」

「現状から逃げないと人生なんてやっていけない。でも、一番長く見てきた詩音が言うなら本当に変わったんだろうな。あと、つーくんはやめろ」

 そう言うと二人で苦笑しながら自分の持ち場に戻る。あの電話以来会話もしていなかった。なんて答えればいいか分からず、切られた電話を折り返す事もできずにいた。でも、彼女はいつも通りだった。

 だから俺もいつも通りでいれた。俺の幼馴染は強いと再確認した。

 試合が終われば集中力が切れて疲れが一気に来る。それに加えて“敗北”という二文字が悔しさや哀しさになり、涙となる。そうすれば過呼吸になるし、脱水症状にもなるかもしれない。だから俺は選手の下に向かう。気の利いた言葉を考えながら。

 選手の所に行くと予想通りこの炎天下の中、哀しみに駆られて泣いている。俺に勝利宣言をしていた生徒は俺の顔を見るなり涙腺の緩みが過剰になった様に泣いた。二年連続甲子園出場の夢は途絶え、敗者である我が校は沈黙のまま学校に戻った。

 その後全生徒に報告し、頭を下げて謝罪し、泣きながら帰路に着く。

 きっと彼らの感じる悔しさは俺なんかが知り得ないものなのだろう。

 努力は実る。結果としてではなく、記憶として。生涯忘れない価値ある記憶として。

 運動部で俺の担当だった管轄は全て試合を終え、今年は結果に恵まれなかった。それでも俺は彼らの評価を下げるなどせず、寧ろ上げている。俺の知る彼らは誰よりも努力を重ねて来た。それに報われなかっただけだ。

 努力は報われるなんて綺麗事だ。でも、俺は知っている。結果を出し続ける人間は必ず惜しみない努力をしている。だから彼らは俺の中の最強だ。

 そして翌日。運動部は部活動を終了し、本格的に勉学に励むようになる。プロからのスカウトが来ている者も例外なく、進学系統と同じ量の課外を今から受けさせられる。これには在学中も去年も可哀想と思っていたが、それは違う。彼らの努力を正当に評価する為にするのだ。野球は頑張れて勉学は……なんて事はあってはならない。

 だから教師は慈悲の心を持って厳しく指導するのだ。

 そんなこんなで今この時間は全学年全クラスで僅かな例外を除いた全生徒が課外授業を受けている。

 そんな状況で俺は何処で何をしているか。決まっている。

 保健室でボーッとしている。

 暇なのだ。連日の忙しさが嘘のように消えてしまった。それはとても嬉しい事だが、こうも忙しさの幅に差が生じると疲れに負けて眠ってしまう。気温の変化で体調崩してしまう的な? ね?

 毎日四時間。それが今日から俺の仮眠時間だ。そもそも課外は体調が優れなければ来なくてもいい。出席に数えられない為、無理を強要されることがないから体調不良で保健室を訪ねる者は殆ど居ない。

 だから授業の終わりを知らせるチャイムが俺を一時間毎に起こすアラームと今はなっている。だが、課外が終われば仕事は山の様に雪崩れてくる。部活動生の熱中症や不健康な生活による体調不良。それらに順応する為に氷水と冷えピタの準備に簡易ベッド、シーツを洗う洗濯機の確保。

 だから今のうちに体力回復をしないといけない。事実部活動の時間帯以外で来るのなんて殆ど居ない。それでも他の教師と同じ時間帯に出勤しないとならない決まりだからここに居る。そして暇で眠たいから寝る。

 そして今日、五〇分の授業×四コマの仮眠時間を経て、再び忙しい時間が始まろうとしていた。

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