【二十四】後日談2

 いい時間になったので、鮎葉達は喫茶店を後にした。

 笑顔で手を振りながら消えていく舞花を見ながら、鮎葉は多古島に話しかけた。


「なあ、多古島……。僕はさ、今回の事件、結局何が残ったんだろうってずっと考えてたんだよ」


 死と向き合い続けた人間が集まった。

 森野芽々という一人の人間の命が失われた。

 彼女の死について、じっくりと思考した。

 あれだけのことがあって、たくさんの人間が痛みを共有して、そして最後にはいったい何が残ったのだろうか。

 一人の殺人犯と、一人の共犯者。

 彼女の死が遺した物は、これだけなのだろうか。


「どうしたんですか、先輩。珍しくアンニュイですね」

「茶化すなよ」


 多古島はぺろりと舌を出して、ひっこめた。


「あの場にいた全員が、今回の経験を糧にすると思いますよ。これしきのことでへこむほど、やわな方々ではありません。先輩だって、それくらい分かっているんでしょう?」


 そうかもしれない。

 少なくとも砂金や絵上、霊山にとって、森野は他人だ。本来であれば、彼女の死が、彼らの人生に大きな影響を与えることはなかっただろう。それが、あの事件をきっかけに、彼らの思想が、作品が、少なからず影響を受けたとするならば。それはきっと、意味のあることなのだろう。


「それに舞花さんも、晴れやかな顔をしていたじゃないですか」

「ああ……そうだな」

「なんだか納得していない顔ですね」

「いや、理解はできてるよ」

「納得と理解は、等価ではありませんよ」


 多古島に言われるまでもなく分かっていた。胸の奥がザラついている。煮崩れしたジャガイモが溶け込んだカレーみたいだ。何が引っ掛かっているのか、どうしてこんな気持ちになるのか、理由が分からず、じわりと苛立たしい。

 鮎葉はもどかしい気持ちを振り切るように頭を振って、駅に向かって歩き出した。多古島の小さな影が、ひょこひょこと追随する。


「そういえばさ、まだいくつか気になっていることがあるんだけど、教えてくれるか?」

「ええ、構いませんよ」

「じゃあまず、一つ目。椎菜さんは、部屋にこもってた霊山さんを、どうやって誘拐したんだ?」


 そんなことですか、と言わんばかりに多古島は鼻を鳴らした。


「まず、いくつか整理しましょうか。あのお屋敷の扉は内側から鍵が掛けられる仕様になっていました。椎菜さんのお話では、合鍵はなく、最初に来た時に渡されたもの一本のみということでした。ピッキング技術があれば開けられるかもしれませんが、私が確認した限りでは、そのような痕跡は見つかりませんでした。つまり、霊山さんは自分から部屋の扉を開けたということです。ここまではいいですか?」

「ああ、大丈夫だ」

「では、ここで問題です。あの状況で、霊山さんが一番信頼できるのはどういう人でしょうか?」

「誰だろうな……舞花さんでないことだけは確かだけど」

「二十点くらいですかね。先輩にしてはまあまあです」


 痺れるくらい辛い評価だ。


「正解は、『舞花さんの言葉が嘘であるということに共感してくれる人』です。そして、発言の信ぴょう性が高ければ高い人ほどいい」

「……そうか。椎菜さんは嘘をつけない。そして彼女は『舞花さんの言葉が嘘であると知っている』」

「ですです。『舞花はあなたが嘘に気付いたことに勘付いています。ここから逃げてください』とでも言って部屋から連れ出したのでしょう。正直者が犯人だと、意外とタチが悪いものですね」


 ちなみに霊山は、屋敷の食糧庫の中から発見された。助け出された時の彼女は震えていたものの「生きた心地がしませんでした……。貴重な体験です……」としみじみと言っていた。存外、芯は強いのかもしれない。


「さ。どうせまだ他にもあるんでしょう? さっさと解決しちゃいましょう」

「じゃあ遠慮なく……。あの場ではうやむやになっちゃったけど、椎菜さんが遺体を移動させた理由ってなんだったんだ?」


 多古島は近くの塀の上に乗り、平均台の上を進むように両手を広げた。


「森野さんの遺体の移動には、さして大きな意味合いはありません。しいて言うのであれば、葬儀の際にお花で飾りつけを行うような、そういった類の意向です」

「見た目を華やかにするってことか?」

「おおざっぱに言えばそうなります。ですが真意はもう少し複雑です。先輩は、私があのお屋敷に飾られていた絵画について話したことを覚えていますか?」

「ぼんやりとは。確か、統一感がなくてちぐはぐ、とかなんとか」

「その通りです。ですが実際には明確なテーマがあったんです……あわわ」


 塀の上から落ちてきた多古島を受け止めて、そのまま地面に下ろした。

 多古島は懲りずに再チャレンジを始める。子供みたいなやつだ。


「例えば、ラス・メニーナスはディエゴ・ベラスケスによって製作された絵画。絵と現実の境目がなくなるような構成になっていて、鏡に映っている王と王妃の姿は、まるで絵の外にいるように描かれていました」

「それなら絵上さんに聞いたよ。それがどうしたって言うんだ」

「その他の作品も同じです、狩猟の獲物、野菜、果物のあるボデコン、フォリー=ベルジェールのバー、牛乳を注ぐ女、どれもこれも、絵画と現実の境目を曖昧にしたものばかりなんですよ」

「まだピンと来ない」

「にぶいですねえ」


 塀の上から見下ろしながら、多古島は言った。


「いいですか、絵画の中に描かれているのは虚構の物語です。そして絵画のかかっていない部屋には大きな窓があって、森野さんは必ずその前に座っていた」

「あ……」


 鮎葉はようやく思い至った。

 森野芽々は、自分の人生を物語に例えていた。

 それは例えば、一冊の小説のようであり、一本の映画のようであり、そしてまた、一枚の絵画のようでもあった。

 その象徴となるのが、窓と彼女の座る位置の配置だったのだ。

 ダイニングルームでも、彼女の自室でも、森野は必ず窓の前の座席に座っていた。

 窓を絵画の額縁とし、あたかも自分が、絵画の一部であるかのように振舞うために。


「絵画の中から、客が語らう様子を見る。そうすることで、物語の外側を眺めているような感覚を楽しんでいたのでしょう。つまり森野さんは、ダイニングルームや自室の窓の前に座って死について語らう時、彼女という物語の主人公だったというわけです」


 森野は、窓枠を額縁に見立てていたのだ。現場のカーテンが開いていたのも、額縁の邪魔にならないようにするためなのだろう。


「実際、おかしな発想ではありませんし、理解はできます。大きな窓枠を額縁として、向こう側の風景を絵画とする『生の額絵』を展示している美術館もあるくらいですから」

「あの屋敷全体に、そういう仕掛けが施されていたってことか」

「はい。先輩は時々私の発言に違和感を覚えていたみたいでしたけど……要は私がお屋敷の雰囲気にあてられてしまった、ということなのでしょう」


 私って感受性豊かで、影響を受けやすいですから、と多古島はうそぶいた。


「物語の外から殺された、っていうのも、何かの言い換えだったわけか」

「ええ。あの時受けた印象って、例えば魔法と剣のファンタジーの世界にいて、化学兵器で殺されたようなイメージなんですよ。合理的でなく、妥当性がなく、筋が通っていないということです。ちぐはぐで、噛み合っていない。あの現場を作り上げた人間が二人いたということを、直感的に感じていたのだと思います。図らずも、先輩の助言は当たっていたわけですね」


 多古島の直感はよく当たる。しかし今回は、屋敷全体の間取りや飾りなどの独特な雰囲気にあてられて、その発言自体が謎めいてしまったということなのだろう。


「お前は、本当に全部分かってたんだな」

「当然です。じゃないと推理の前に、先輩に二択を迫ったりしません」


 あらゆる伏線を回収する推理か、あるいは、最速最短で解決に至るハッタリか。


「僕が選ぶ必要はなかったと思うんだけどな」

「そうでしょうか」

「そうだろ」


 鮎葉がどちらを選んだところで、彼女は後者を選択していただろう。

 それほどまでに、あの時の嘘は手が込んでいて、堂に入っていた。

 多古島は言っていた。


『犯人は既に、森野さんを殺しています。殺しに対するハードルが高かったとは思えません。一人目は殺したけど二人目はちょっと……となるような人間は、そもそも一人目を殺しませんよね』


 これが、犯人が二人いるという根拠となる推理だった。

 よくよく考えてみれば、これはロジックとして十全ではない。

 森野を殺した犯人が無差別に人を殺すような嗜好の持ち主ならば、この前提で間違いない。だがあの時はまだ、犯人の動機が明らかになっていなかった。共犯者がいると断言するに至るには、根拠が弱すぎる。

 しかし……あの時はこれでよかったのだろう。

 最短で、最速で、あらゆる伏線をかき捨てて、真実の一端をつかみ取る。

 ただそれだけが目的だったのだから。


「気になることは、これで終わりですか?」

「いや、もう一つある。共犯者がいるかどうかは、どこで気付いたんだ?」


 森野の殺害も、霊山の誘拐も、椎菜一人で行ったと考えてもおかしくはなかったはずだ。多古島が共犯者の存在を確信するに至った根拠が、鮎葉にはまだ分からなかった。


「共犯者がいるかどうかなんて、最後まで確証はありませんでしたよ?」

「は?」

「ただでさえ共犯の証拠をつかむのは難しいんです。ちまちまやってたら時間がいくらあっても足りません。『森野さんを殺しましたか?』って、椎菜さんに直接聞く方が確実でしょう?」


 椎菜さんが自死するタイミングも制御できましたし、と多古島は肩をすくめた。


「……共犯の話を出したのは、単純にあの場を手早く収めるためだったってわけか」

「霊山さんが無事だってことを分かってもらわないと、落ち着いて推理もできなさそうでしたからね。それに――」


 ふらりと、多古島の体が傾いた。あわてて鮎葉は両手を広げる。


「お、おい! ……危ないだろ」


 塀の上から後ろ向きに倒れ込んできた多古島を抱きかかえる。

 華奢な体が、腕の中に納まった。

 鮎葉に背を向けた状態で、多古島はぽつりとつぶやいた。

 ともすれば脇を駆け抜けていく車のエンジン音に、かき消されてしまうほどに。

 小さく、静かに。


「それに、彼女が親同然の人を殺したなんて、信じたくなかったですし」


 はっとした。

 鮎葉は、形の良い後頭部を見つめながら考える。

 色々な理由をつけて、論理とハッタリを組み合わせて、多古島はそれらしい推理を披露してみせたけれど。

 もしかしたら本当は、信じたかっただけなのではないだろうか。

 椎菜は森野を殺していない、と。


「なーんて」


 急に腕の中で百八十度回転したかと思うと、とんと鮎葉の胸を突き飛ばし、多古島は不敵に笑った。


「そんなの嘘に決まってるじゃないですか。確定的な証拠はありませんでしたけど、断片的な情報を組み合わせれば、椎菜さん以外にもう一人犯人がいることは確実でしたし? そんな感情的な理由を、推理に持ち込んだりしませんよ」

「だけど……」

「だけどもへったくれもありません。大体、なーにどさくさに紛れてカワユイ後輩の身体を抱きしめてくれちゃってるんですか。先輩の変態」

「なっ……⁉ お、お前が塀の上から落ちてきたから受け止めてやったんだろうが!」

「えー。後輩のせいにするんだー。さいてー」

「このっ……」


 一瞬握りしめたこぶしを、しかし鮎葉はすぐにほどいた。

 結局、多古島の本心は分からない。

 腕の中にいた彼女が、一体どんな表情をしていたのか。

 そんなのは考えても仕方のないことだった。

 いつだってそうだ。

 彼女の本心は、掴もうとすると消えてしまう。

 ぱっと、霧のように。

 小ばかにしてへらっと笑う生意気な顔。

 けむに巻くような口調。

 珍妙な言動。

 口を開けば飛び出すハッタリや嘘。

 その全てが、彼女の本心を包み隠していて。

 何を考えているのか、分からなくて。

 だから鮎葉は。

 そんな多古島のことが。


「……」

「先輩?」


 ふと、気づいた。天啓のように、するりと降りてきた。

 辺りを照らす夕日の色が、あの日の森野の部屋と重なって、逆光の中、穏やかな表情をした森野の口が動いた。

 ああ……。

 そうか、そういうことか。

 だとしたら、自分は――


「先輩って……呼んでるんですけどお!」

「いっ……てぇええ! お、お前……いくらなんでも脛はダメだろ! 脛は!」

「勝手に夕日を見つめて、勝手に悟った顔して、勝手に悦に入ってる先輩が悪いです。誰に許可貰ったんですか? 私は出した覚えありませんけど」

「なんで許可制なんだよ! 大体お前はいつもいつも――」


 その時だった。

 夕暮れ時の人通りの少ない通り道に、機械的な音楽が鳴り響いた。

 鮎葉のスマホの着信音だった。


「出ていいですよ」

「だからなんで許可制なんだよ……。はい、もしもし」


 通話口越しに聞こえたのは、数日間一緒にいて、随分と聞き慣れた声だった。とはいえ、通話で話すのは初めてだ。

 一体何の用だろうかと訝しく思いつつ、鮎葉はしばらく会話を続け……そっと耳からスマホを離した。

 多古島に視線を向けると、彼女は小首を傾げた。


「どうしたんですか?」

「えーっと、なんて言えばいいのか……」

「浮気ですか?」

「そもそもお前とは付き合ってすらいないだろうが。そうじゃなくて、その――」



「森野さんを殺した犯人から、なんだけど」



 自分の名前は伏せたままで、多古島に正体を推理させろ。

 それが相手の要求だった。

 鮎葉は動揺していた。というより、頭がついていかなかった。

 なぜこのタイミングで? どうして自分たちにコンタクトを?

 まとまらない思考が疑問符と共に頭の中に散らばるのだけれど、しかし多古島は驚いた様子も見せず「ようやくですか」と首を鳴らした。


「えらく反応が薄いな……」

「そろそろかなーとは思ってたので」


 なんで分かったんだ? と、鮎葉が口にする前に、先回りしたように多古島は言った。 


「先輩言ってたじゃないですか。犯人は、他の人たちとは違って物語に入り込めない。物語の外にいる、悲しい存在なんだって。つまりはそういうことです」


 確かに言ったが……それがどう関係しているのかさっぱり分からなかった。

 だけど生意気な後輩は、疑問符を浮かべた鮎葉を置いて、とんとんと話を進めていく。


「それじゃあ、先輩」


 当然のような顔をして。

 予定調和だとでもいうように。

 だけどどこか――寂しげに。


「全ての謎を回収する、最後の推理を始めましょう」


 多古島は語り出した。

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