【二】 到着

 三月四日、土曜日。十七時ちょうど。

 多古島と鮎葉は、「死を見る会」の開かれる森野芽々の屋敷に足を運んだ。

 森野邸は都心から電車で二時間、その後バスで三十分という、極めて立地の悪いところにあった。バスに揺られるほどに周囲から人の住んでいる気配はなくなっていき、最終的には山の中腹辺りまで来てしまった。


「一日に三本しかバスが通ってないって……不便にも程があるだろ」


 錆びて汚れている時刻表に目を通した鮎葉は、その空白の多さに愕然とした。バスが来るのは、朝八時と昼の十三時、そして夕方の十七時のみ。今日日、どこかの離島とかの方が頻繁に運行しているのではないだろうか。

 嫌な予感がしてスマホをつけると、当然のように電波は入らなかった。

 役満だった。

 こうなってくると、目指す別荘が急に現れた谷の向こうにあって、アクセスするためには古いつり橋一本しかなかったとしても驚かないし、突然の嵐に見舞われて別荘から脱出できなくなったとしても平然と受け止めることができそうだ。


「わー! おっきなお屋敷ですねー!」


 しかし鮎葉の予想に反して、空には気持ちのいい夕焼けが広がっていたし、屋敷はバス停から地続きのところにあった。この調子で、あらゆる心配が杞憂で終わってくれればいいと心から思った。

 屋敷の傍には駐車場があって、既に何台かの車が止まっていた。バスではなく車でやってきた人もいるようだ。

 門をくぐると、メイド姿の女性が恭しくお辞儀をした。


「ようこそいらっしゃいました。お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「多古島彩絵です。ついでに、こっちのちょっと頼りなさそうなのが鮎葉弘嗣です」


 余計な情報を付け加えるな。


「多古島さんと、鮎葉さんですね。ようこそお越しくださいました。私はこのお屋敷で働いております、勅使河原椎菜(てしがわら・しいな)と申します。なんでもお気軽に、お申し付けください。それと、本日は私の妹も屋敷で働いておりますので、どうぞ下の名前でお呼びください」


 歳は二十前後くらいだろうか。若いのにしっかりしている。高校生が年を食っただけの多古島とは大違いだと、鮎葉は感心した。


「今なんか、すんごい失礼なこと考えませんでした?」

「いや別に」


 勘が鋭すぎるのも考え物だ。


「ふふ、仲がよろしいんですね」

「いえいえ、ただの腐れ縁です」


 鮎葉と多古島の声が揃ったのを見て、椎菜はまたくすくすと笑った。鈴を転がしたような笑い声で、急に年相応に幼くなったように感じた。


「それでは簡単に、屋敷の中をご案内しますね」


 促されるままに、屋敷に足を踏み入れる。

 玄関をまたぐと、最初に大きなホールに出た。床は大理石が敷かれていて、ぴかぴかに磨き上げられている。どうやら二階まで吹き抜けになっているようで、天井にある大きなシャンデリアが、窓から差し込んだ夕日を反射していた。壁には大きな絵画が飾られていて、荘厳な雰囲気を後押ししている。


「一階は、お客様用のお部屋が右手に二部屋、左手に一部屋あります。左手奥に、お手洗いと浴室がございます。どちらも共用となっております」


 ホールの中央には、二階に続く大きな階段があった。ちょうど、玄関からまっすぐ進んだところにあたる。


「階段奥にある扉は、ダイニングルームにつながっております。十八時からお夕飯を兼ねた顔合わせがありますので、そちらにお越しください。時間に関しては、三十分毎に振り子時計が合図してくれます」


 右手の壁際には大きな振り子時計が置かれていた。ホールは吹き抜けになっているので、客室全体によく響きそうだ。


「お料理も、椎菜さんが作ってるんですか?」


 振り子時計よりも夕飯に興味が湧いたようで、多古島が問いかけた。


「はい。私と、妹の舞花の二人でお作りします。普段は私一人で用意しているのですが、今日はお客様の数が多いので、急遽、舞花にヘルプとして来てもらっています」


 妹さんも、きっと椎菜に似てしっかりした子なのだろう。

 今日は自分たちも含めて六人が呼ばれているはずだが、食住の点で不便をすることはなさそうだと、鮎葉は少しほっとした。周りにコンビニも何もない場所だけに、少し心配していたのだ。


「二階は吹き抜けを囲うようにコの字型に廊下が通っていまして、一階と同様、左右にお客様用のお部屋が二つずつございます。また、階段正面にも一本、まっすぐ廊下が通っていて、左右に一つずつ部屋があります。私と舞花はそちらに待機しています。そして廊下の奥は、芽々さんのお部屋につながっております」


 二階の廊下の奥に、さらに部屋があるのか。少し変わった構造をしているなと鮎葉は思った。増築か何かで、部屋を足したのかもしれない。


「やっぱり大きいですねー。お掃除大変そう」

「慣れると意外と早く終わりますよ」

「あは、確かに慣れって大切ですよね。私、お掃除苦手なんですけど、最近ようやくコツみたいなものが分かってきた気がするんですよ」


 多古島の口から「掃除」という言葉が出てきて、思わず鮎葉はツッコみを入れた。


「嘘つけ。あの部屋のどこに掃除された要素があるんだ」

「失礼な! ちゃんと掃除してますよ! ルンバア君が!」


 ルンバアと言えば、有名な自動掃除ロボットだ。部屋の中を周回し、ゴミやほこりを吸い取った後、所定の場所に戻る便利なロボット。しかし――


「あんな部屋じゃルンバアも身動き取れないだろ。大体、掃除ロボットに任せっきりで、何が掃除のコツだよ。お前は何もしてないじゃないか」

「そ、そんなことありませんよ! ねえ、椎菜さん?」


 なんでそこで椎菜さんに話題を振るんだ。案の定、椎菜さんはきれいな眉をハの字にして、困惑した表情を見せていた。鮎葉はあわててフォローを入れる。


「すみません、気にしないでください。こいつ何も考えてないので」

「あ、いえ。そういうことではなくて……私、多古島さんが仰っていた『ルンバア』というものが何か分からなくて」

「え?」


 ルンバアは最近発売になったとはいえ、かなり有名な掃除ロボットだ。テレビでCMも打たれていた。もしかしたら椎菜は、あまりテレビを見ないのかもしれない。


「ですが、きっとお掃除の道具……なんですよね? だったら、使う時のコツというのもあると思います。私もモップとか剪定鋏とか、慣れるのに結構時間がかかりましたから」


 そう言って椎菜は小さく微笑んだ。分からないなりにも、ちゃんと対応してくれる椎菜さん、なんて健気でいい人なんだろうか。


「先輩……私、椎菜さん連れて帰りたいです……」

「ダメだ、お前にはもったいない」

「部屋の掃除をしてもらうんです……」

「失礼極まりないな。ていうかやっぱり、部屋が汚いって自覚はあるんじゃねえか」


 鮎葉たちが他愛も中身もない話をしていると、椎菜は耳に手を当てて、小さく


「分かった、すぐ行くね」と呟いた。

「すみません、舞花に呼ばれたので、一旦失礼します」

「それってもしかして、インカムですか?」


 見れば、確かに椎菜の右耳にはイヤホンが、襟元には小さなマイクがついていた。


「はい。お屋敷が広いので、これで連絡を取り合っているんです。普段は芽々さんのお部屋に備え付けの電話から、指示をもらうことが多いですね」

「おー。かっこいいですね、SPみたいで。私もやってみたいなー」

「ふふ。室内の電話で九番を押すと、私か舞花、どちらかにつながるようになってます。何かあったら、いつでも連絡してくださいね」


 ちょっと嫌な予感がして、「何の用もないのに押したりするなよ」と鮎葉が釘をさすと、多古島は「そんなことしませんよ」と唇を尖らせて答えた。


「多古島さんのお部屋は一階の玄関側。鮎葉さんのお部屋は、食堂側です。鍵はこちらになります」


 それなりの重量感がある金属板がくっついた鍵を渡される。ディスクシリンダータイプの錠に合う形状の鍵だった。


「こちら、合鍵の用意がありませんので、紛失などにはご注意ください。オートロックではありませんので、インキーの心配はありません。ベッドメイクを行う際にはお声掛けをさせていただきますので、お手数ですがお部屋を開けておいてください」

「分かりました」

「それではお夕飯までの間、ごゆっくりおくつろぎください」


 鮎葉が礼を言うと、椎菜はまた一つお辞儀をして、ダイニングルームの方へと消えていった。下手なホテルよりもよっぽど整った設備と待遇に、鮎葉は内心舌を巻く思いだった。これだけの設備を整えた森野芽々という人は、いったいどんな人物なのだろうか。


「それじゃあ先輩、私はこっちの部屋みたいなので。いつでも遊びに来てくださいね?」

「多分行かないと思う……って、もういないし」


 返事も聞かずに自室に消えていった多古島に嘆息しつつ、鮎葉は自室の扉を開いた。

 シングルベッドに洋服ダンス、小さな作業机と姿鏡。壁にかけられた絵画が部屋全体の格調を上げているように思えた。

 窓から見える庭には、スイセンの花が咲いていた。屋敷内同様に、庭も綺麗に整えられている。そういえばさっき椎菜は剪定鋏の話をしていた。庭師の才能もあるのではないだろうか。

 美しい屋敷に、好待遇。ここまでは驚くほどに順調で、平和そのものだった。


「このまま何事もなければいいんだけどな……」


 そう独り言ちて、鮎葉はベッドに体を横たえた。

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