第6話 AVの話をしましょう 後編

 結局、清美と一緒に帰ることになった。

 トークテーマはアダルトビデオについて。


 ……。


 いや、別にいいんだけどさあ……。

 下ネタは好きだし、なんならその話なら一晩中だって語れる自信あるし?


 でもさあ、なんか、もっとこう……今の状況にふさわしい話の内容があったんじゃないかと思いますよ、俺は。


「征一君は、スラムダンクを読んだらバスケが上手くなると思う?」

「急に何の話だよ」

「いいから答えて」

「うまくなるわけないだろ」

「じゃあ、メジャーを読んだら野球が上手くなると思う? テニスの王子様を読んだらオーラが出せるようになると思う?」

「だから、そんなわけないだろって」


 あとテニプリもちゃんとテニスのくくりに入れて差し上げろ。

 なにさりげなく超人バトルのくくりに入れようとしてるんだ。


「その競技に興味を持つきっかけにはなるけどさ、読んでうまくなるなんてムシが良すぎるだろ。そんなん言い始めたら、ハリーポッター読んだらみんな魔法使いになっちまうしさ」


 そういえば三十歳まで童貞を貫いたら魔法使いになれるらしいけど、ちょっと先が長いと思わん? 魔法少女は十歳でなれるんだから、魔法童貞も二十歳くらいでなれてもいいじゃんねえ。


「そう、その通りよ征一君。例えどれだけリアリティのある作品だって、結局はエンタメに重きを置くから、どうしたってリアルとは乖離かいりする。どれだけ面白くても、どれだけ真に迫っていても、創作物の中の話はあくまでフィクション、ファンタジーでしかないのよ」

「そんなこと分かってるさ。俺ももう高校生なんだぜ。漫画と現実の区別くらい、ちゃんとついてるさ」

「本当に?」

「当たり前だ。あんまり子ども扱いするなよな」

「そう。ならもう一つ付け加えるけれど」



「アダルトビデオもファンタジーよ」

「お前それは言わない約束だろぉおおおぉおおおおお!?」



 やめてくれ、それ以上その話題を深堀りするのはやめてくれよ!

 なんでか分からないけどすげーダメージ入るから!


「マッサージ店に入ってもエッチなイベントは起こらないし、電車に乗って胸を擦り付けてくる美人なお姉さんは存在しないし、旅館の女将さんは仕事で忙しいからお布団を敷くついでにエッチな要求に応えてくれることは絶対にないし、看護師さんは男の人の体なんて見慣れてるからテキパキ仕事をこなすでしょうね」

「やめろ……やめろよお……なんでそんなこと言うんだよお……」

「女の子が初体験から気持ちよくなることもない。下着を付けずに登校してくる子もいない。透明になってイタズラする人間もいなければ、時を止める能力を持つ人もいない」


 はあっ!? 時を止められる人はいるだろ! 八割は嘘だけど、二割はほんとだってネットに書いてあったもん! ほんとだもん!


「初対面の子とあんなに簡単にホテルにしけこむことはできないし、出会って三秒で合体することもない。ましてや、ろくに喋ったことのなかったクラスメイトがいきなり家に尋ねてきて、AV鑑賞をすることなんてあり得ない」

「もうやめてくれ……それ以上は聞きたくないよ……」


 両耳を手で塞いで、俺はその場でうずくまった。


 いったい……いったい俺が何をしたっていうんだよ……。こんな仕打ち、あんまりじゃないか……っ!


「征一君」


 肩に手が乗った。

 優しい手つきで、そのままポンポンと肩を叩く。


 ああ……ようやく許してもらえるのか……。

 もう辛い現実を聞かなくてもいいのか……。


 そう信じて顔をあげると、真剣な表情で清美は言った。


「よく、聞きなさい」

「鬼じゃん」

「あらゆることはファンタジーなの。エンタメのために創作された事象が、都合のいい展開が、現実で起こるわけがないのよ。だからね、征一君――」


 そして清美は言う。

 まるでそれが、はじめから言いたかったみたいに。


「……あ」


 そういう、ことか。


「な、なによ。別に他意はないのよ。私はあくまで下ネタトークの一環として、あなたに残酷な真実を突き付けているだけなのだから」

「……不器用すぎるだろ」

「う、うるさいわね……。しょうがないじゃない、こんなの初めての経験で、なんて言えばいいか分からなかったんだから……」


 そう言うと清美は、長い黒髪に顔を隠した。


「征一君って友達がいなくてボッチで相談相手もいないだろうし、女性経験も貧困な防御力紙っぺらの童貞だし、エッチなことが絡むと残念なくらい頭悪くなるし、あんなにかわいい子に告白されたらあんまり深く考えずに短絡的にOKしそうだし……」


 俺への罵倒のボキャブラリー豊富過ぎるだろ。

 進研ゼミで習ったの?


「だから」


 立ち止まる。


「心配、なのよ」


 俺は清美の隣でため息をついた。てっきりこいつの中では、俺が名も知らぬ美少女に告白されたことよりも、猥談の優先順位の方が高いのかと思っていたが……。


 なんてことはない。そうやって日常の中に紛れ込ませなければ、素直に切り出せなかっただけなのだ。


 そんなことに、そんな事実に。

 ほんの少しだけほっとしている自分がいる。


「大丈夫だよ、清美。変なことに巻き込まれそうだったらすぐ逃げるし、ヤバそうになったら清美に相談もするからさ」

「ほんとに?」

「ああ、安心しろって。ろくに友達付き合いもせずにここまで生きてきたんだ。自分の身を守ることに関しちゃ、ちょっと自信あるぜ」

「それ、ぜんぜん威張れることじゃないと思うわ」


 くすりと笑う。

 無防備な、教室ではあまり見せることのない笑顔だった。


「でもま、心配してくれてありがとな。ちょっと嬉しかったよ」


 感謝の意を込めて、清美の頭に手を乗せる。形の良い頭と驚くほどに滑らかな黒髪の向こうに、じんわりとした温もりを感じた。


「ちょ、ちょっと……こんな道端で頭撫でないでよ、恥ずかしいじゃない……」

「なんだよ。昔は頭撫でてーって言って、そっちから欲しがったくせに」

「何年前の話をしているのかしら。過去にとらわれて現在の成長に目を向けられないセリフ、ちょっと親戚のおじさんっぽいわよ」

「お前のセリフってジャックナイフみたいだよな」


 嫌なら嫌ってちゃんと言ってくれればいいのにさあ……。

 完全に巻き込まれ事故くらった全国のおじさんたちがいたたまれねえぜ。


 そんなことを考えながら、清美の頭から手を離す。


「あ……」

「なんだよ?」

「……なんでもないわよ」


 ぷいっと前を向き、すたすたと歩きだす。

 相変わらず何を考えてるかよく分からんやつだ。

 後を追いかけ、隣に並ぶと、清美は言った。


「ところで、どのAVがファンタジーだったのが一番堪えたのかしら?」

「容赦なく心を殺しに来るのやめろ」


 ブラを付けずにゴミ出しをしにくる美人巨乳のお隣さんだけは絶対に諦めないからな。


 他愛ない会話をしながら、俺はふと、玲愛さんに告白された時のことを思い出した。

 清美が割り込んだことで中断されたセリフ。

 その続きが、ほんのりと耳に残っていた。


『ああ、それと。一つだけ言っておきたいことがあるんです。私は――』



『私はあなたのこと、別に好きでも何でもないんです』



うーん……。あれってどういう意味なのかなあ……?

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