第4話 消せないおっぱい 後編

 休み時間、教室に向かって歩いていると、清美が階段下のスペースから手招きをしていた。


「よう、どうした」

「なぜ私の胸に向かって話しかけているのかしら。そこは私の本体ではないのだけれど」

「おっと悪い悪い。悪気はないんだ。ただちょっと俺の目が言うことを聞いてくれなくてさ」

「そう、それは大変ね。自分の体の一部が言うことを聞かないなんて、さぞかし不自由でしょう。待ってて、今私が楽にしてあげるわ」

「ごめんなさい俺が俺の意志で俺の欲望の赴くままに胸をがん見していました、だからその手に持ったボールペンを下ろしてください」


 一息に謝罪を述べた俺の誠実な心が通じたのだろう。

 清美はため息をつきながらボールペンを胸ポケットにしまった。


「まったく。あなたがそうやって朝からずっと私の胸を見てるから、くだらないミスをするところだったじゃない」

「え、そうだったのか?」

「そうよ。あれだけ胸に視線が集まったら、私の頭の中もおっぱいでいっぱいになっちゃうに決まってるでしょ」


 なるほど、それは悪いことをしたな。

 ところでどうでもいいけど、おっぱいでいっぱいって素敵な響きだよな。


「……」

「どうした?」

「いえ、とてもどうでもいいことなのだけど……」

「あ、いい。やっぱその先は言わなくていい」

「おっぱいでいっぱいって素敵な響きよね」


 やっぱりね! だから止めたのに!


「とにかく。あんなミス、普段の私なら絶対にしないんだから。何よ、おっぱいcmって。小学生レベルの下ネタじゃない。あんな程度の低い下ネタで周りにバレたら、恥ずかしくて学校来れなくなるわよ」

「程度が低くなかったら大丈夫みたいな言い草はやめろ」


 とはいえ、俺に責任があるのは間違いないようだ。

 そもそも女性の胸に不躾ぶしつけな視線を送るのは、紳士としてあるまじき行為だ。変態は変態でも、周りに迷惑をかけない変態でいたいよな。

 素直に非を認めた俺は、頭を下げて謝ろうとして――


「……いや待て。事の発端はお前が送ってきたブラジャー云々のラインなんだから、俺そんなに悪くなくね?」

「何を言ってるのか全然聞こえないわね。早くその中途半端に下げかけた頭を降ろしなさい、この変態」

「もう理不尽すぎてどこからツッコんだらいいか分かんねえなこれ」


 後頭部を押し込まれ、半ば無理やり頭を下げさせられる。

 結構屈辱的な体勢な気もするんだけど、イマイチ嫌悪感はない。

 後頭部を掴んだ手の力が存外優しかったからなのか、清美の理不尽な行動に俺が慣れてしまっているからなのか、はたまた目の前に広がっている程よく肉付いた太ももに目を奪われているからなのか、どれが理由かは分からないが。


 ちなみに清美のスカートから伸びた太ももは、それはそれは絶景だった。

 日の光を淡く反射して、日本百景も形無しって感じだ。

 美しすぎる太ももとして、そのうちギネスに乗るかもしれないな。


「それと、もう一つ」

「なんだよ、まだなんかあるのか」


 一拍、間を置いて、清美は早口で呟いた。


「……さっきはありがとう。助かったわ」


 え? と顔を上げようとするとぐいっと頭を押さえつけられる。

 その動作が照れ隠してあることに、俺はその時ようやく気付いた。


 ……やれやれ、まったくしょうがないやつだな。


 自分がくだらないミスをしてしまったことも、それを俺に助けられたことも、そのどちらもが恥ずかしくて、素直にお礼が言えないだなんて。


 俺は声を出さずに笑って、返事をする。


「礼なんていらねーよ。俺が悪かったんだしさ。でもま、次からは気を付けろよな」

「い、言われなくても分かってるわよ」


 清美の手が外れたので、顔をあげる。

 ぷいっとそっぽを向いた清美の頬は、わずかに赤く染まっていた。


「そうだ、清美。忘れる前に渡しておくよ。はい、これ」

「これは……絆創膏ばんそうこう? どうして私に? 別に怪我なんてしてないけれど」

「違う違う。ほら、四限目は体育だろ? その時使うかなと思ってさ」


 きょとんと首を傾げしばし考えたのち、清美はあからさまに顔をしかめた。


「気の回し方が絶妙に気持ち悪いわね……」

「な、なんだよ! いらないなら別に……」

「いいえ、もらっておくわ。なんなら、使った後は返してあげましょうか?」

「なにっ!? いいのか!?」


 おいおいおいおい!! お前ってやつはどこまでクレイジーなんだ!

 使い終わった絆創膏なんて、消しカスよりも価値がないと思ってたけど認識を改めなくちゃぁいけないようだな! 汗をすってふやけた絆創膏最高だぜ! 家宝にしようかな!


「もちろん冗談よ。……ちょっと、そんなにあからさまにがっかりしないでちょうだい。なんだかすごく悪いことをした気分になるじゃない」

「お前は……残酷な女だよ……」


 使い終わった絆創膏なんてクソだよクソ。あーあ、はやく地球滅亡しねえかな。

 すっかり心がぐれてしまった俺に、しかし清美は追い打ちをかけた。


「大体、こんなの必要ないわよ」

「は? どういうことだよ」

「そのままの意味よ。だって――」



「私、今日ちゃんと下着付けてるし」

「俺はお前を許さねえ! 絶対にだ!」


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