第2話
「どうしようね?」
高木はまるで他人事のように言った。
「どうしようって……どうする気なんだよ」
「わかんない。わかってるのは尊君に助けて貰えたから、とりあえず野宿は避けられたって事だけ」
「野宿って、もしかして」
「うん。私、家出しちゃった」
ぺろりと舌を出す高木に、俺は絶句した。
「家出? 家出ってつまり……」
「しー」
人差し指を口に押し当てる高木に、俺は慌てて自分の口を両手で覆った。無言で手招きする彼女に誘われ、にじるようにして距離を詰める。
「しばらくここに居させて欲しいの。雨だし、私、お金も持ってないし。駄目かな?」
吐息すら感じられそうなぐらいの至近距離で彼女の大きな瞳に見つめられると、胸が詰まって返事どころではなかった。誤魔化すように視線を逸らし、俺は逆に問い返した。
「何かあったの?」
俺が聞くと、高木愛里はそれまでのはしゃぎっぷりが嘘のように、悲しげに目を伏せるばかりで答えようとはしなかった。
俺はなんて馬鹿な質問をしたのかと、自分の愚かさに後悔した。ああして冷たい雨に打たれ続けても平気なぐらい、彼女には何か辛い出来事があったのだろう。それはきっと、俺なんかには簡単に打ち明けられるようなものではない。
「わかった」
「え?」
「何とかするよ。その代わり、絶対に見つからないように協力して欲しい。見つかったらここには置いておけなくなると思うから」
「本当に?」
高木愛里はパッと顔を輝かせた。これまで幾度となく俺達の胸を打ってきた、愛らしい笑顔だった。
「尊君がいてくれて良かった。ありがとう」
そうして礼を言われると、全身をくすぐったいような感覚が駆け巡った。
夕食後、シュークリームを二個と引き出しスナック菓子、さらにココアを携えて部屋に戻ろうとする俺に、母親は怪訝そうな目を向けた。
「どうするのそれ? これから食べるの? ご飯、足りなかった?」
「ううん。ちょっと宿題多くてさ。時間かかりそうだから食べながらやろうかと思って」
「大変ねぇ。テスト終わったばかりなのに」
「全体的に点数が低かったらしいよ。そのせいだと思う」
口から出まかせを言いながら、俺は逃げるように二階へと舞い戻った。
俺だけ食事をする事に後ろめたさを感じていたのだけど、高木愛里は毛布にくるまり、呑気に漫画に読みふけっていた。
「高木、ごめん。こんなのしか持ってこれなかったけど」
「嘘? シュークリームじゃない。嬉しい、ありがとう」
よっぽどお腹を空かしていたのだろう。高木は目を輝かせてシュークリームにかぶりついた。と言っても俺の目から見れば、まるで小動物が木の実を啄んでいるようにしか見えない。
唇を汚す事もなく、ちょこちょこと削るようにしてあっという間に一つ目のシュークリームを平らげた高木は、すぐさま二つ目に手を伸ばした。高木がそんな風に無心に食べている様子を見ているとなんだか幸せな気分になった。ずっと見ていられるというのは、こういう事を言うのだろう。
「米とか食いたくならない?」
「全然。私、家でもご飯よりお菓子ばっかり食べてるもん。いつもお母さんにあんたの身体はお菓子でできてるって呆れられてるし」
あっけらかんと笑う高木。給食の時の凛と整った姿勢で箸を動かす高木の姿しか知らなかったから、お菓子ばかり貪り食う高木の姿を想像するのはとても新鮮だった。
と同時に、彼女の口からお母さんという言葉が出て来た事に、引っ掛かりを覚える。口ぶりから察するに、どうやら家出の原因は母親とは関係がなさそうだ。
高木はまるで自分の部屋にでもいるみたいにリラックスして、押入れでの時間を楽しんでいた。読んでいる漫画がツボに入ったのか、時折押し殺した笑い声が聞こえてくる事すらある。
俺は俺で、あまり彼女に干渉し過ぎるのも悪い気がして、スマホを見たりして時間を潰した。でも部屋の片隅に高木愛里がいると思うとどうにも落ち着かなくて、まるで俺の方が高木の部屋にお邪魔しているような肩身の狭い思いに囚われていた。
「尊ー、尊―!」
突然母親から名前を呼ばれて、俺は飛び上がる程驚いた。ドアから顔を出すと、階段の下から母親が手招きしている。
「あんたのクラスの高木愛里ちゃんっていう子、知ってる?」
「ああ、学年一位のね。どうかした?」
バクバクと心臓が波打つのを悟られないように、俺は極力平然とした顔で聞き返した。
「今、連絡網が回って来て。朝家を出たまま、帰ってないんだって。学校にも来なかったんでしょ? いなくなったって騒いでるみたいよ」
「へぇー、高木が」
母親が上がって来ないようにと先手を打ち、途中まで階段を下りる。
「それで? 手がかりとか見つかったの?」
「それがないから騒いでるんじゃない。愛里ちゃんって、確か可愛らしい子だったわよね? 変な人に連れ去られたりしてなければいいんだけど。あんた、どこ行ったか知らないわよね?」
「し、知らないよ。知るはずないじゃん」
俺は無関心を装い、つっけんどんに言い返した。わざとらしくないだろうか。背中が冷やっとする。
「怖いわねぇ。この雨の中だし、どこか知っている人の所にでもいるならいいんだけど」
口ぶりとは裏腹に、母親の表情は素っ気ないものだった。母親達の繋がりは、子ども達の交友関係に準じたものになりがちだ。従って男子は男子、女子は女子の親同士で固まりやすい。我が家の母親は男子グループの方に属しているから、高木愛里に対しては名前と顔ぐらいは知っていても、さほど思い入れもないに違いない。
「尊君、隠しごとするの上手だねー」
母親とのやり取りを聞いていたのか、部屋へ戻った俺に高木は感心したように言った。その手の中にあるスマホに見覚えがある気がして、ふと見れば、ベッドの上に置いてあったはずの俺のスマホがない。高木は「ふふっ」といたずらっ子のような笑顔を浮かべて俺のスマホを突き出した。
「ごめん、見ちゃった。クラスのグループライン、すごい盛り上がってるね」
彼女に言われて初めて、俺はグループラインが高木の話でもちきりになっている事を知った。クラスのグループラインなんて女子が中心で、彼女達はひっきりなしにしょうもない話題やスタンプを投稿しまくるから、通知をオフにしていたのだ。
風呂に入って戻って来ても、高木は俺のスマホを占有したまま、グループラインで交わされる噂や憶測、真贋入り混じった情報を他人事のように楽しんでいた。
一方で高木の両親や担任をはじめ、大人達はかなり必死に捜索活動を進めている事もわかってきた。
「どうする気?」
「どうするも何も……まだ帰るわけにはいかないし」
高木には大して罪悪感を負っている様子もない。大人達を翻弄させても尚、家に帰りたくないと思わせる何かが彼女にはあるのだろう。
「うちの親が寝てる間に、こっそり家を出ようか?」
「夜中に追い出す気? 意外と冷たいんだなぁ、尊君」
彼女を気遣って言ったつもりが藪蛇だった。確かにこの雨の中、この家を出ろと言うのは非情と言われても仕方無い。
「じゃあ……やっぱり泊まってくつもり?」
「迷惑?」
念のための確認のつもりだったけれど、かえって恥ずかしさが込み上げた。だってまさか、高木愛里が自分の部屋に泊まるなんてにわかには信じがたい。
「じゃあさ、寝るとき俺のベッド使いなよ。そこじゃ身体痛いだろ?」
「何それ? 一緒に寝ようって事?」
「ま、まさか! じゃなくて、俺は床とかで適当に寝るよ。俺、キャンプとかで地べたに寝るのとか慣れてるし」
せいぜい三回ぐらいしか行った事はないけれど。
「ありがとう。尊君、優しいんだね。でもやっぱり私は押入れでいいかなぁ」
「どうして? 高木にそんなところで寝ろなんて、申し訳ないよ」
「だって、間違えてお母さん入って来たらどうする気? 朝、起こしに来たりしない? 尊君じゃなくて私が寝てたら、お母さんびっくりすると思うな」
「あ……」
高木の言う通り、寝起きの悪い俺は、毎朝母親が部屋まで来て叩き起こされるのが通例になっていた。万が一そこに行方不明になっている高木愛里が、しかも俺の服を着て寝ていたりしたら卒倒しかねない。
「だからありがとう、おやすみ。私、こっちで寝させてもらうから」
「……なんか悪いな」
「そんな事無い。尊君の毛布、尊君の匂いがしてとっても寝心地がいいよ」
高木は「おやすみ」と言い残して、そっと押入れの戸を閉めた。高木が変な事を言うから、俺はすっかり目が冴えて眠れなくなってしまった。
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