第33話 自国からの書簡

王妃様とのお茶をしてから一週間経った。その間は、特にこれといった大きな事件もなく、穏やかな日々が続いていた。


そんなある日のこと、アーロンが何やら楽しそうな顔で私を誘いに来た。


「エレーヌ、今日の午後、遠出しないか?」


気分転換に行こうと彼は言う。そして、彼に続くと、馬が二頭用意されていた。


「アーロン、どこへ行くの?」

「まあ、ついてくればわかるさ」


アーロンの口の端にうっすらと笑みが浮かんでいるのを見ると、きっと楽しい所だろうと思う。行先は着いてからのお楽しみということで教えてくれなかった。


そこにいたのは、従僕やら護衛など、総勢十名。みんなで馬を走らせ森を抜けると大きく広がっている場所に出た。


海の近くに来ていたのだ。


潮の香がする。海風特有のふんわりとのんびりした空気を感じて、地下牢でアーロンが言っていたことを思い出した。


── 馬を走らせると、きれいな海岸に出る。そこで、物思いに沈む時、気分を変えたい時、アーロンはずっと砂浜の石の上に座って、じっと波が押し寄せては引くのを眺めると、ささくれだった気持ちが和らいでいくのがわかるんだ。


そういえば、地下牢にいた時、私もその光景を見てみたいと彼に言っていたことを思い出す。薄暗く日のささない地下牢の中で、そんな日が来るのかしらと思ったことが嘘みたいだ。


「ほら、ついたぞ。約束した通り、きれいな場所だろ」


アーロンは、その約束を覚えていてくれたのだ。


彼は得意げな顔している。


「本当にきれいな所ね」


海は青く広く、水は抜けるように澄んでいる。真っ白な砂浜が続く海岸は、今は、私たち以外には誰もいない。アーロンの説明によれば、王族の領地であり、誰も立ち入ることが許されないんだと。


こんなきれいなビーチで貸し切り! 


まだ水に入るのは寒い時期だから、泳ぐことはできないが、私はドレスを少し持ち上げて、波うち際で澄んだ水に足を浸す。


遠くを見つめれば、カモメが飛び交い、水面はキラキラと青い光を反射している。


ああ、なんてきれいなんだろう。


波打ち際にはヤシの木が気持ちよさそうな木陰を作っている。従者たちはその木陰に敷布を置いて、お茶の準備をしてくれていた。


これこそ、私が心に描いていたリゾートライフ!


私たちは楽しそうに波打ち際で水をかけ合いっこしたり、砂に文字を書いてみたり、貝殻を拾ったり、二人ではしゃいでいると、お茶の準備ができたという。


敷布に二人で腰掛け、冷たいお茶やお菓子を堪能する。


あの地下牢で二人で過ごした時とは大違いだ。


ふと、アーロンが黙りこんだので彼の顔を見ると、彼も同じようなことを考えていたらしい。


「太陽の光が、こんなにうれしいものだとは思ってもみなかったよ」

「……ええ、そうね。私も本当にそう思うわ」


そう話していると、突然、アーロンが黙り込み、私の顔をじっと見た。嬉しそうな、そして、熱のこもった視線を向けられて、ドキドキと胸が音を立てて打つ。


「エレーヌ……」

「な、なに? アーロン」


「ほら、頬に砂が……」


波打ち際で遊んでいるうちに頬に砂がついたのだろう。彼がそれを指で払ってくれたけど、なぜか頬に手をあてられている。


護衛や従者は赤くなりながら、慌てて視線を他の所に向けている。遠くの水平線に目を向けている者もいれば、空に飛ぶ鳥を一生懸命に見つめている者もいた。


今にもキスされそうな勢いに、ついドギマギしてしまった。


「こんなに護衛がいなきゃ、口づけくらいするんだけどな」


アーロンが忌々し気につぶやく。次は二人きりの時にゆっくりと……と、アーロンが何やらぶつぶつと呟いているが、何をする気でいるのかが、すごく気になる。


「まあ、今日はあきらめとくか」


何をあきらめたのかも謎であるが、思わず、彼の視線にどぎまぎしてしまった。ううむ、不覚だ。


そして、なぜか、ちょっとがっかりしたような気になって、手持無沙汰に砂の上に指で文字を書く。


「なんだ、何拗ねてるんだ?」

「……秘密、教えてあげない」

「いいじゃないか、ほら話してみろよ」

「だから、秘密だって言ってるでしょ」


私が少し切れるとアーロンは面白そうに笑った。

目じりにちょっと皺がよるアーロンの笑顔が可愛くて、また、少しへそを曲げたくなる。


……全く、アーロンのくせに生意気よ。


そうして、波打ち際でもう少し遊んでから、私たちはアーロンの宮殿へと向かった。そして、王宮の門をくぐり、長い通路を通ってから、もうすぐアーロンの宮殿へと到着する頃、建物の入口で彼の秘書官が何かの親書をもって佇んでいた。


その様子を見た瞬間、私とアーロンの胸の中で、何か嫌な予感が湧いた。


思った通り、その書記官が差し出してきたのは隣国からの急ぎの手紙である。


そう、私とアーロンが逃げ出した国からの書簡であった。


差出人は、国王。そう、あの元婚約者の父親でった。


「それと、エレーヌ様にもう一通ございます」


書記官が私に差し出してきたのはもう一通の手紙。手紙をひっくり返すと、見慣れた蜜蝋の印が目に入る。


マクナレン家の家紋である。そう、それは、私の兄からの手紙であった。





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