第21話 その頃、王宮では

エレーヌたちが脱獄を決意する数週間前のこと。


「来月には国王が戻ってくる。これから支払うものの財源は決められたか?」


マリエルは焦りながら、自分の側近たちと向かい合っていた。エマのために使い込んだ金が累積して、随分と膨れ上がっていたのだ。その資金の工面をどうするか、マリエルは、財務官、商務官などを集め今後の対応を協議していた。


「殿下、エマ様の宝飾品、ドレスなど、もう支払える財源がありません。すでに、あちこちの予算を削られるだけ削っていますが、もう限界で……」


青い顔をして青息吐息の様子で告げる財務官にマリエルは手元にあった書類を投げつけ、怒鳴り声をあげる。


「そのくらいなんとかできんのか!」


財務官は書類にまみれながらも、俯いたままだ。 本当に、もうどうにもならないほど、財政が悪化している。今年は天候の不順のせいで農作物も思ったように取れなかったことも原因の一つではあったが、例年通りの予算通りであれば、なんとか帳尻があったはずなのだ。


そこに来て、王太子の愛人への貢ぎ物と、愛人が浪費をしたせいで、予算編成も崩れ、手元の資金が枯渇しそうになっていた。


「陛下がお戻りになられた時に、私は、陛下にどう説明すればよろしいのでしょうか?」


「国王陛下も、もうすぐお戻りになられます。この金額の欠損を他の財源で穴埋めしておかなければ、陛下の目にも今の状況が明らかになります」


狼狽えながらも言うべきことを言わねばと、商務官も口を揃えて言う。王太子がエマのために買い求めた宝飾品などは、全て商務省を経由しているためだ。


「なんとかならないのか?」


マリエルはイライラした調子で、責めるような口調で言う。


「だから、最初に、そう申し上げたではありませんか!」

「黙れ!」


執務室には緊張した空気が張り巡らされている。それはまるでパンパンに膨らんだ風船のようで、ほんの少しの刺激でも、ぱんっと破裂してしまいそうだ。


全員の間に気まずい雰囲気が流れ、皆が一様に俯いたまま顔を上げようとするものは一人もいない。


さすがにマリエルもやりすぎたようだと気が付いた。所詮、彼らの協力が得られなければ、何も解決しないのだ。そして、国王が戻ってきた時に、エマへの貢ぎ物の金を国家予算から工面したとしれれば、当然、マリエルにも叱責が下るだろう。


「とにかく、国王が戻って来るまでになんとか帳尻をあわせないとなりません」


そういう配下の発言を耳にしていて、側近の一人がつと顔を上げた。エマの取り巻きの一人であるエリックだった。


「そういえば、エレーヌの支度金はまだほとんど手つかずのままでしたよね?」


「ああ、エリック、よく気が付いたな。その手があったか」


ホクホク顔のマリエルの横で別の財務官が怪訝そうな顔をする。


「まさか、エレーヌ様の支度金でエマ様の支払いをなさるおつもりですか?」


「ああ、もちろんだ。エマの支払いは全部エレーヌが使ったことにすればいい」


「そんなことをなされば、エレーヌ様がお怒りになられます。公聴会で証言されたらら、エレーヌ様の一言で全てが明るみにさらされるますぞ」


そう言った文官をマリエルはぎりっと歯を食いしばりながら睨みつける。


「明るみにさらされるとは、俺がまるで悪事を働いているようないい方だな」


「いえ、めっそうもございません。そのような意図はありませんでしたので、どうかお許しを」


「今日だけは大目に見てやる。発言に以後気を付けるんだな」


きまりが悪そうに俯く文官をさらっと無視して、マリエルはその場にいた全員を睨みつけた。


「俺の方針に文句があるやつはいるか?」


部屋の中は静まり返り、声を上げる者は一人もいない。気まずい沈黙が続いた後、おそるおそる手を挙げたのは、見るからに気が弱そうな文官である。


「殿下、おそれながら、先ほどの財務官の言うことにも一理あるかと。エレーヌ様とて、投獄され、支度金の用途が身に覚えのないものばかりでは、抗議の一つもされて当然かと思います。ここはエレーヌ様の支度金以外の財源を探すべきかと」


「馬鹿を言うな。これ以上、国庫金からの費用を工面などできるか。ただでさえ、民の生活は困窮しておるのだぞ」


そう憤った別の文官の顔を眺めながら、マリエルはじっと考えていた。

椅子の上で膝を組みながら、机をコツコツと叩いている。


文官たちの議論が一通り済んだ後で、マリエルは会議にいる参加者を全員見据えた。


「…エマに関する費用で足が出た分は、エレーヌの支度金から工面する。いいな」


誰がどう反論できると言うのだろう。相手は、次期国王である王太子だ。全員が黙した所で、マリエルは信じられない言葉を放つ。


「エレーヌは国庫を使い込んだ罪で死罪にする。他にもエマが使い込んで未払いになっているものはエレーヌが使ったことにしろ」


死人に口なしと言うではないか。


ショックのあまり青ざめている配下を前にして、マリエルは会議を終わらせようと口を開く。


「これで、会議は終わりだ。今日、話した内容は誰も一切口にしないように。俺の命を破ったものは、どうなるかわかっているよな」


彼はそう言い終えると、相手の反応も待たずにくるりと背を向け、配下を残したまま、執務室を後にする。そして、向かった先は王宮のサロンだ。


贅を凝らしたサロンには、一人でお茶を楽しんでいるエマがいた。周囲には美しい花々が飾られており、その中に座っているエマは天使のようだとマリエルは思う。


「殿下、お仕事はもうよろしいの?」


マリエルを見つけて、腰を折る侍女たちに向けて、マリエルは手をひらひらと振る。ここから去ってよいという合図をうけて、そそくさと立ち去る侍女を見送りながら、マリエルは、エマの後ろから手をまわして彼女の腰を抱いた。


やわらかな彼女のうなじの感触と、甘い匂いをたっぷりと楽しんでいると、そっとマリエルの頬にエマが手を添えた。


「なんだか、お気持ちが荒ぶっているようですわね。殿下」


優しいエマ。彼女を守るためなら、マリエルはこの世の全てを犠牲にしても構わないと思った。


「エマ、お前が気にすることは何もないよ」


そう言うとエマは嬉しそうな微笑みを浮かべる。


「ねえ、殿下、私、欲しいものがあるのですけど、お願いを聞いてくださる?」


またか、とマリエルは思った。つい先日は、ルビーとダイヤをちりばめたネックレスを買ってやったばかりなのに。


エマは上目遣いに甘えるにようにマリエルの前に滑り込み、その頬を彼の胸に寄せた。


「アレドール地方に素敵なお屋敷を見つけましたの。殿下とわたくしが共に過ごすにはぴったりの場所なの。素敵な森に囲まれているのよ。ねえ、こんど、一緒に見に行きましょうよ」


マリエルはエレーヌの支度金を思い出し、その中から工面できるだろうかと考えた。もし、それが難しければ、来年の小麦の苗に税をかければいいだろうと思う。


来年の予算から、エマのためにどれくらい算出できるのか。そろばんを頭の中ではじきながらも、マリエルは胸の中にいるエマをぎゅっと抱きしめ、柔らかい感触を堪能していた。


「そうだな。春になったら行こうか。君が気に入ったのなら買えばいい」


「まあ、本当に?わたくしのために買ってくださるの?」


にっこりと微笑むエマのおねだりに困りながらも、マリエルは、まあ、なんとかなるだろうと思った。文官たちを締め上げて、財源を出させればいいだけのことだ。それで、足りなければ、また税を課そう。


それにエレーヌの支度金も膨大な金額に及ぶ。あれがあれば、当面、エマのおねだりにも応じてやれるはずだ。


どうせ、あの女はこの世からいなくなるんだ。ちょうどいいタイミングで、判事も地方に出張中だ。判事代理の青二才を脅せばいい。


死人に口なし。これからも、全て、自分に都合がよいように事が運ぶと信じて、マリエルはエマに微笑みかけた。王宮のサロンは相変わらず美しく、これからエマと素晴らしい未来が開けていくのだと、マリエルは無邪気に信じていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る