22.「普通」のダンス(3)

「お美しいですよ、母上。瞳と同じ藍色のドレスが映えて、古の神話に登場する海の精霊のようです」

「ありがとう。ずいぶん不機嫌なのね?」


 即位式前夜の舞踏会場。

 メインホールへと繋がる大階段で、エスコート役として手を差し出してきた息子に、ユリアーナは眉を上げてそう答えた。


 せっかくの誉め言葉も、わざわざ「古の」なんて付けては、遠回しに相手を年増だと批判しているようなものだし、そもそも海の精霊セイレーンというのは、ほかの妖精とは違って怪物の扱いだ。


 女性に対してはいつもそつなく対応するのに、と、不機嫌になるより心配になって首を傾げると、ルーカスはばつが悪そうに顔を顰めた。


「――失礼。どうも、ここ数日気が立っていたもので」

「珍しいこと。強力な敵でも現れたの?」

「そうですね。手ごわくて粘着質な敵でした」


 滑らかな動きで階段を進みつつ、そんな答えを返す。

 興味を惹かれてユリアーナが追及すると、ルーカスはあまり乗り気ではなさそうに「毎夜襲撃されたのです」と説明を始めた。


 ルーカス・フォン・ルーデンドルフは、男らしく端正な容姿と長躯に恵まれた、武芸に秀でた青年である。

 貴族として求められる教養にも優れ、恵まれすぎた者に特有の冷淡さはときどきあるものの、誰とでも気さくに接して人望も厚い。

 しかも「第二」王子なので、結婚したとしても厄介な公務はなく、それでいてそこらの貴族と結婚するよりも高い地位が保証されるとなれば、女性が群がらないはずがなかった。


 ルーカス自身、愛らしい女性との時間は大いに満喫するほうなので、これまでは大人の遊びと割り切れる相手に限って渡り歩いていたのだが、ここにきて、女性たちが急に目の色を変えてきたのである。


「……まあ、王宮内の全員や国内貴族が揃い踏みする舞踏会で相手を務めれば、事実上の婚約者も同然ですものね」

「おっしゃるとおりで」


 そう。

 これまでのらりくらりとこの手のイベントを躱してきたルーカスが、とうとう舞踏会に出るとあって、令嬢――どころか、平民出身の侍女までもが、一斉に着火してしまったのである。


 遠回しな誘いや、手紙での嘆願くらいなら可愛いものだ。

 しかし、待ち伏せに夜這い、ときに媚薬付き、それも連日となると、さすがのルーカスも難儀しだした。

 結局、舞踏会では誰とも踊らず母親のエスコートに徹すると宣言して、なんとか切り抜けたのだ。


 未亡人の母を、未婚の息子がエスコートすることはなんら恥ずべきことではないが、十九にもなって親の力を借りねば女性を退けられないのかと、ルーカスは忸怩たる思いをしたのである。


「言って聞くような相手でもなし、かといって手を上げるわけにもいかない。これなら、魔獣の退治でもしていたほうがよほど楽なものだ」


 ぼやいた息子に、ユリアーナはちらりと視線を向けた。


「さっさと特定の誰かを作ってしまわないからよ。あなたなら、貴族令嬢だろうと他国の姫だろうと、いっそ平民上がりの娘だろうと、皆納得するでしょうに」


 王族としては異例だが、ルーカスの場合、すでに騎士団に身を置いている以上、平民とのロマンスがあっても「物語みたい!」と歓迎されるだろうことは想像に難くなかった。


「さては母上、数年前に婚約を進めようとして、俺が拒否したことを根に持っているんでしょう。よしてください。俺にだって、一応考えはあるんですから」

「青臭い理想じゃないでしょうね? もしそうなら、もっと現実を直視なさい。母親としては、たとえ身分が低くても、紅茶を淹れるのが上手くて、語学堪能で、手先が器用で、意外性があって、毎日を刺激的にしてくれるような女性を推すわね」

「……誰だそれは、とは聞きませんよ?」


 ルーカスは表情に悩みながら答えた。

 以前ならば一刀両断していた類の妄言だが、先日「彼女」の素顔と、思いもよらない頼りなげな様子を見てしまってからは、少々その心が揺らいでいる。


 我ながら安直な、と嘆かわしく思うのと同時に、彼が長年抱いてきた「方針」もあって、ルーカスはなかなかエルマへの好意を認められないでいた。


「義兄上よりも先に、俺が特定の相手を作るわけにもいきませんからね」


 冗談めかして、その方針を口にしてみると、ユリアーナは「なんですって」と一瞬目を見開いた。


「嘘でしょう。まさかあなた、フェリクス王子殿下に義理立てしているというの? 凡愚王子と評判の、あの方に?」


 徐々に階下の人だかりが近づいてきたため、あくまで表面上はにこやかな顔をキープしたまま、小声で問いただす。

 ちょうどそのとき、「ユリアーナ前妃殿下、ならびにルーカス王子殿下のおなり」と使用人の一人が高らかに告げたため、方々から歓声が上がり、それ以上の会話は困難になってしまった。


「――あの人が凡愚王子だと、母上は思われますか?」


 ルーカスの小さな呟きは、シャンデリアからこぼれる光の粒や、女性がまとった美しいドレスや香水の波に紛れて、誰の耳にも届かなかった。





***




 神に愛されたと評判のヴァイオリニスト、ヨーラン・スヴァルドの機嫌は最悪であった。


 頭上には粒ぞろいのシャンデリア、向かいのテーブルには趣向を凝らされた料理、視線の先には美しく装った貴婦人たちが行き交うが、そんなもの、彼の慰めにもならない。


 いつだって彼が真に望むのは、己の技量を磨くこと、そして美しく研磨された音楽をぞんぶんに奏でることであって、無才のオーケストラと眠くなるような背景曲をなぞりつづけることではないのだ。


 隣に座るルーデン人の奏者が、またも音程を外したのを聞き取って、ヨーランはうんざりと顔を顰めた。


(あまりにレベルが低すぎる。やはりこんな話、受けるべきではなかったのだ)


 もう何度目になるかわからない後悔を、胸のうちでそっと吐き出す。

 三か国での音楽活動を支援する、との甘言に乗せられ、うかうかと舞踏会での演奏を承諾してしまった自分を、ヨーランは呪った。


(つまらない。最悪だ。こんなの、音楽への冒涜だ)


 ヨーランは若い。技量への自信もある。

 そのぶん、至らない他者を馬鹿にしてしまうような、才気走ったところがあった。

 ただしそれは、信仰ともいえる音楽への愛と裏返しでもあるのだ。


(音楽とは、言語や信じる神の違いすら乗り越えて人を跪かせる、絶対の美。けしてこんなふうに、へたくそな演芸の付け合わせのように、消費されてよいものではないのに)


 決まり切ったステップを、ただ練習したとおりに踏むことのなにが楽しいのだ。

 音楽とは、ダンスとかいう猿芸の添え物ではない。

 もっと堪能され、讃えられてしかるべきものだ。


 だというのに、音楽家としてヨーランが本懐を遂げられそうな機会は、この舞踏会ではなさそうだ。

 いや、この誘いを寄越したルーデンの侯爵から、彼の合図に合わせて「至高のトリル」を披露してくれと言われているから、せいぜいそのときくらいか。


 常人の何倍もの速さで素早く音階を駆け上がるヨーランのトリルは、神の恩寵すら感じると評判で、彼の「売り」でもあるのだった。穏やかなワルツには必要のない技法だが、注目度はすさまじいものがあるだろう。

 こんな退屈な楽団との付き合いなどいつ捨て去っても構わないので、ヨーランは合図さえもらったら――ロットナー侯爵からは、もっとも注目が集まるタイミングで合図をくれると約束されている――即座にトリルを披露してやるつもりだった。


(だが……それにしても、つまらない)


 ともに音楽の頂点を競い合うライバルか、さもなければ音楽を捧げたくなるミューズでも現れればよいのにと、ヨーランは思った。


 会はつつがなく進行している。

 きれいどころの貴族令嬢たちや、主役であるフェリクス次期王はとうに登場を済ませ――意外なほどに存在感の薄い男で、これなら少し前に登場した第二王子のほうが、よほど王にふさわしいと思われた――、一度目の挨拶を済ませた後、これからは王宮の使用人たちが続々と登場するという運びである。


 貴族以外を招くなど珍しいとは思うものの、使用人の中からミューズが現れる可能性などますますない。


 ヨーランはあきらめの溜息とともに、背景曲の最後のフレーズとなる音に手をかけたのだが――


 ――ざわっ

 そのとき、場内の空気が大きく揺れた。


 人々が一斉に大階段の先を注視する。

 ヨーランもとっさにそれに倣い、赤絨毯の敷かれた階段の先を見やった。


「――……!」


 そして、思わず息を呑んだ。

 大階段の先には、天使が佇んでいたのだから。


 生成り色のドレスをまとった少女は、ほっそりとした肢体をまっすぐに伸ばして、静かにこちらを見下ろしていた。


 その、遠くからでも人をくぎ付けにする、夜明けの空のような瞳。

 肌はミルクのように滑らかで、品よく結われた髪も、ほんのりと色づいた唇も、控えめな鼻筋、影を落とす睫毛までも、そのすべてが繊細な美に満ち溢れていた。


 胸のすぐ下で宝石付きのベルトで絞られ、あとは広がらずに足を覆うような控えめな裾のデザインも、彼女をとにかく無垢な存在に見せている。


 穢れなく、はかなげで、この世の者とは思われないような美貌の少女。

 彼女がゆっくりと階段を下りていくのに、誰もが目を離せない。

 ヨーランもまた、曲の最後の音を必要以上に長く弾きつづけてしまった。

 いや、楽団の全員がそうだ。最後のフレーズだけがスローになっている。


 彼女が、まるで洗練しつくされた旋律のように滑らかに移動するのを、ヨーランはしばし、呆然として見守った。

 そして彼女が視界から消えたのち、ようやく我に返った。


(なんてことだ……)


 弓を下ろしながら、ぼんやりと思う。

 この僕が、音楽以外のものに気を取られるだなんて、と。




***





 恋の駆け引きにおいて、ルーカスはいつも勝者の側だった。


 じらすのも、引き寄せるのも、彼のほう。

 女性は向こうから近づいてくるのが常であって、自分は優雅に足を組んでそれを待っていればよい。

 甘えた声ですり寄ってくる女性を選び取り、抱き上げて口寄せて。

 飽きたら互いに肩をすくめて、笑顔で別れる。その繰り返し。


 だから、佇む女性のもとに慌てて駆け寄るなどというのは、考えてみればこれが初めてのことだった。


「――おい」


 少々焦りを含んだ声で話しかければ、相手はふ、と顔を上げて振り向く。

 夜明けの色を瞳に宿した少女は、長い睫毛を伏せ、優雅に裾を摘まんで礼を取った。


「ルーカス王子殿下におかれては、ご機嫌麗しく」


 その仕草には、一国の王女のように品がありながら、同時に、ごく淡い色香がある。

 礼の瞬間、ほっそりとした肩や、むき出しになったうなじに周囲がごくりと喉を鳴らしたのに気づき、ルーカスは無意識に少女を囲い込むように腕を回した。


「なんだって、今日はそんな出で立ちなんだ。いつもの眼鏡はどうした、エルマ」

「おかしいでしょうか?」

「――いや……とても美しい、が」


 つい歯切れが悪くなる。


 美少女を前にして、それを称える言葉がすらりと出てこないなど、実に自分らしくなかった。

 ついでに言えば、エスコートすべき母親も放り出し、付き合いのあった女性や貴族令嬢を差し置いて一介の侍女に話しかけるなど、まったく理性を欠いているとしか思えなかった。


 しかも、先ほど自分が彼女の名前を呼んでしまったことで、周囲がざわつきはじめている。

 噂になりつつある「なんかすんごい侍女」と、目の前の美少女が同一人物だと気付いてしまったのだろう。

 ルーカスは己の失態を悟って歯噛みしそうになった。


「美しいが、……美しすぎる。先ほどから、周囲が義兄上すら差し置いておまえに注目しているではないか。目立つのは嫌いなのではなかったのか?」

「厳密には、目立つのが嫌なのではなく、普通でなくなるのが嫌なのです」

「……なんだと?」


 淡々と返されて、ルーカスは思わず目を細める。

 が、目の前の少女は、彼の疑問など歯牙にもかけない様子だった。


「勝負を挑まれたら、全力でそれに応える。拳を交わし合うようにして両者の共通する土俵で戦い合い、やがて理解と友情を深めていく――。それが、殿下もよく知る『王道』ですよね?」

「…………は?」

「正直なところ、ディルク様にお貸しいただいた教本・・までもが、この舞踏会への参加を示唆するものになるとは思っておりませんでした。が、女性ゲルダの教本と殿方の教本、両者から『全力で晴れの場に臨め』と読み取れた以上、全力装備でこの場に参じるのが常識かと判断した次第です」

「さっきからおまえはなにを言っているんだ?」


 エルマの言っていることがわからない。

 が、なんとなく、――不穏な予感に満ちていることだけは、まざまざと理解できた。


 腕を取ろうとすると、可憐な妖精のごとき姿をした少女はひらりとそれを躱す。


「おっと。敵の出方がわからないので、いたずらに刺激するようなことはお控えください。ただし、戦いの火蓋が切られましたら――そのときは、力をお貸しくださいますと幸いです」

「だからおまえは、いったいなんの話をしているんだ!?」

「友情と努力と勝利の話です」


 そこが意味不明だというのに。

 エルマはさっさと踵を返してしまう。


 ふわりと控えめに揺れる裾を、周囲の視線が追った。


『ねえ……! 今のが、エルマだというの!? すごい、素晴らしいわ! 想像以上よ!』


 とそこに、興奮のあまりラトランド語で母ユリアーナが話しかけてくる。

 彼女は人の波を優雅かつ大胆に捌いていくエルマの後ろ姿を、うっとりと見守った。


『ああ……! きれいな子だろうとは思っていたけれど、まさかこれほどだなんて。ゲルダにドレスや化粧道具を融通した甲斐があったというものだわ!』

「まさか母上が一枚噛んでいたのですか?」


 ルーカスがぎょっとして振り向くと、さらにそこに声が掛かった。


「おう、ルーカス。あれ、エルマなのか。凄まじいな。騎士団の若い連中が色めき立ってるぞ」


 騎士団副中隊長・ディルクである。

 いかめしい顔と巨躯を、めずらしくかっちりとした正規の衣装に包んだ彼は、ちょっと戸惑ったように頬を掻いていた。


「ずいぶん、なんつーか……れっきとした『女』じゃないか。俺なんかつい、弟に接するような気持ちで、この前俺の愛読書を貸したんだが、ちょっと早まったかもしれんなあ」

「……なんだと?」


 嫌な予感を覚えて、思わず剣呑な声で問いただす。

 するとディルクは、あっけらかんと答えた。


「いや、エルマは、自分が教本としているものをおまえに否定されたのが、気になっていたらしくてな。一般教養となる、または全員の共有知のような書物を貸してくれと言われたので、俺的大ベストセラーを貸したんだ」

「…………」


 そのベストセラーとやらの正体を聞くまでもなく、ルーカスは天を仰ぎそうになった。

 ディルクは、努力家の主人公が天才系ライバルに全力で挑んで勝利したり、仲間と力を合わせて強敵を倒したりする「熱血もの」が好きだ。


(もし、「敵は全力で倒せ」が常識だと思われたら……まさかこの場で、決闘やら戦闘やら戦争やら、……起こったりしないだろうな?)


 いっそエルマには、少なくとも戦闘シーンとは無縁のロマンス小説のほうを、「常識」と思わせておいたほうがよかったのではないか。

 そんな思いがちらりと頭をかすめる。


 そしてそれを証明するかのようなタイミングで、人波の向こう、令嬢たちの集っているあたりでちょっとした事件が勃発した。


「エルマと言ったわね。あなた、侍女の分際で、少々調子に乗りすぎなのではなくって!?」


 甲高い声とともに、カシャーン! と、薄いガラスの割れる音が響いたのである。


 さほど推理力を働かせなくてもわかる。

 男の視線をかすめ取られてしまうという脅威を抱いた、高慢なタイプの貴族令嬢が癇癪を起したのだ。


 そして、このような場で良識も弁えずに、容易にグラスを投げつけるような気性の持ち主に、ルーカスは残念ながら心当たりがあった。


 ファイネン伯爵家の娘、カロリーネ。

 媚薬を使ってまで、ルーカスに近づこうとした少女だ。


「あらあ、手が滑ってしまったわ。生成りのドレスなんて、あなたにとっては大切な宝物でしょうに、ごめんなさいねえ。でも、侍女なら洗濯も得意でしょう? ワインが一張羅の奥まで染み込まないうちに、持ち場にお帰りになったらよいのではないかしら?」


 近づくにつれ、高慢を絵に描いたようなカロリーネの顔がよく見えてくる。

 彼女はこちらを視界に入れたとたん、ぱっと態度を翻し、甘えるような表情になった。


「まあ、ルーカス王子殿下! どうされたのです? もしや、わたくしをファーストダンスのお相手としてお誘いに?」


 変わり身の早さには、いっそ芸としての風格すらあるが、あいにく今のルーカスにそれを楽しむ余裕はなかった。

 彼は心配だったのである。


「淑女同士の会話にはふさわしくない音が聞こえたようだったが。いったいなにが――」

「あん、お優しくていらっしゃるわ。このとおり、わたくしがうっかり・・・・彼女にワインを浴びせてしまったのです。でも、悪いのは彼女ですのよ」


 カロリーネはこちらを遮らんばかりにすり寄ってくる。

 だがそれよりも、白いドレスを赤く染めて立ち尽くしている少女を見て、ルーカスはますます心配の度合いを深めた。


「彼女、出会い頭に詫びを要求してきたりするものだから、わたくし、すっかり怖くなってしまっていたのですが、殿下が来てくださったのならもう安心ですわ」

「おい」

「一曲踊ってくださいますでしょ? わたくし、この日のために、得意のダンスに磨きをかけて――」

「おい、カロリーネ・フォン・ファイネン」

うきうきと世迷言を続ける伯爵令嬢を、げんなりとした声で遮る。

「おまえ……自分がなにに着火してしまったか、理解しているか?」

「…………は?」


 カロリーネがぽかんとしているが、ルーカスが解説するよりも早く、


 ――ぱしゃっ


 軽やかな、水が弾けるような音が辺りに響いた。


 ぎょっとして振り向けば、エルマがやはり無言で佇んでいる。

 美貌の少女は、ほっそりとした手に空のワイングラスを持ち、その中身を、自身の白い・・・・・ドレスに・・・・浴びせていたところだった。


「…………!? あ、あなた、なにを――」

「カロリーネ・フォン・ファイネン様におかれましては、口でのお話合いよりも、拳での語り合いがお好みとお見受けしましたので、紅白試合・・・・でも、と思いまして」


 ようやく、エルマは静かに口を開くが、その言葉の意味がカロリーネにはわからない。

 伯爵令嬢はうっすらと冷や汗を浮かべながら、厚塗りした唇をぱくぱくと動かした。


「こ、こうはくじあい……?」

「ええ。僭越ながら、わたくしエルマ、先攻の赤を務めさせていただきます」

「へ…………?」


 絶句するカロリーネの前で、エルマはなんのためらいもなく、裾の一部を持ち上げ、右足の腿の辺りまで引き裂いてみせた。


「ええ……っ!?」


 一瞬垣間見えた太ももの眩しさに、男性だけでなく、周囲の女性までもが赤面する。

 しかしエルマはそれだけにとどまらず、清楚に結い上げていた髪に手を差し入れ、それを大胆に乱してみせた。


「――…………っ!」


 次の瞬間現れたのは、妖艶な赤の女王。

 ゆるく波打つ黒髪をむき出しの肩に這わせ、物憂げな夜明け色の瞳で微笑む、とびきり華やかで、大胆で、蠱惑的な――魔性の美少女だった。


「ご協力を、お願いできますか?」


 小首を傾げながら、ルーカスに向かってすっと右手を持ち上げるその仕草。

 囁く声までもが、まるで蜜のように、甘い。


 まるで傾国の娼婦のごとき、噎せ返らんばかりの色香。


(勘弁してくれ……)


 それに脳を溶かされるような錯覚すら抱きつつ、ルーカスは条件反射でその手を取ってしまった自分の腕を、絶望の思いで見つめた。


 そうとも、彼は心配していた。

 これから徹底的に鼻っ柱を折られるであろうカロリーネ嬢と、――それに付き合わされる自分自身を。


(なんて顔をしているんだ……)


 今の少女の顔は、あらゆる男を陥落させる、煽情的な美しさに満ちている。

 満ちているが、それ以上に、


 ――よろしい。ならば戦争だ。


 そう言わんばかりの、青年誌の主人公的戦闘意欲に満ち溢れていた。

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