13.「普通」の手当て(1)

 デニス・フォン・ケストナーは、自慢の金髪を振りかざし、狂ったように全身に香水を擦りつけていた。


「ああ、もう! 臭い! 臭い! 臭い!」


 そこそこ整った顔立ちは、男らしさには欠けるものの品があり、贅肉の付いていない若い体は、力強さはないが清潔さがある。

 その、貴族らしく美しく整えられた自身の身体が、下品で鼻の曲がりそうな悪臭に蝕まれかけているのを、デニスは必死で防ごうとしていた。


「なんで、この僕が! 栄えあるケストナー家の一員にして、聖医導師としての将来を嘱望されるこの僕が! 馬の糞やら男の汗やらにまみれて働かなくてはならないんだ!」


 高価な香水を惜しみなく使って、忌まわしい臭いを打ち消してから、デニスはようやく呼吸を落ち着けた。

 そうして、寮の自室で、ほかに人目がないのをいいことに、恐れ多くも神の名を吐き捨てるように唱え、悪態をつきつづけた。


「なんなんだ、あの者たちは。騎士だとか言って、要は荒くれ者の集まりじゃないか。臭いし、汚いし、礼儀もなってない。せっかくこの僕が! 聖なる癒術を使ってやったというのに、それを崇め称えもしないだなんて。聖医導師の尊さがわかってないのじゃないか」


 聖医導師。

 それは、神の恩寵と呼ばれる聖なる力で、医療を行う者のことである。


 この大陸では、多くの人間がアウレールを主神とするアウル教を信奉し、そのうちのごく一部が「聖力」とも呼ばれる神の恩寵を授かる。

 その内容や強弱は様々だが、傷を癒したり、植物の生育を早めたり、雨を呼んだりと、総じて生を守り育むためのものだ。


 聖力はそれこそ奇跡のように、平民にもある日突然発現することもあるが、基本的には血統によって受け継がれる。


 ケストナー家も、数多くの高位導師や聖女を輩出してきた名家のひとつであり、爵位こそ男爵ではあるものの、司教を兼任するロットナー侯爵家とも懇意な、由緒正しい家系であった。


 なかでも、デニスが持つのは、ケストナー家の始祖と同じと言われる、癒しの力。

 切断された手足を復元するといった、始祖が持っていたものの威力よりはだいぶ劣るが、それでも、そこらの医師の技量を遥かに凌駕する力だ。


 結果デニスは、成人もせぬ十五のうちから聖医導師として正式に宮廷勤めを許され、王城内の中心にほど近い場所に部屋も与えられている。


「侯爵閣下の後見も得て、ゆくゆくはルーデンの宗教界で実権も握りうるだろう僕が! なぜ、こんな、忌々しい下積みを!」


 だというのに、デニスはここ数週間というもの、騎士団員の治療や、使用人たちの世話に追われていた。

 それというのも、彼の敬愛するクレメンス・フォン・ロットナー侯爵が、「癒術を高めるには、多くの場数をこなし、見聞を広めることが重要ですよ」と、彼に実地研修インターンを命じたからだ。


「そりゃあ、退治すべき魔族も滅びた今日日、尊き方が大けがをなさることなんてないけれど……。だからといって、下々の者の怪我まで治してやることなんか、ないではないか」


 デニスは、手入れの行き届いた爪をがじりと噛んだ。


 癒術は、選ばれし人間にのみ与えられた聖なる力だ。

 それを、貴族でもない、神の寵愛を受けたのでもない、凡百の人間に施してやるなど、あまりに勿体ないように思えた。

 百姓上がりの人間にはそのへんの薬草でも渡しておけばよいのだ。どうせ彼らは頑丈なのだから。


「あまつさえ、治療しておいてもらって、ろくに感謝の言葉すら言えないのだから……」


 先ほどの場面を思い出してしまい、デニスは歯ぎしりした。


 今日は騎士団の診療の日だった。

 模擬戦訓練とやらに付き合わされ、東屋で待機していたところ、次々に負傷者が運び込まれてきたのだ。


 その多くは、打撲や捻挫、裂傷。

 軽傷でない者もいたが、重傷というほどではない。

 ついでにいえば、運び込まれてきたのは下級騎士ばかりで、見たところは単に薄汚れたごろつきと変わらない。


 そのような状態で貴族の御前に出るのも不遜であるのに、と思いながら、デニスは泥で汚れた汗臭い体に触れ、祈りの言葉を呟いてやったのだ。


 にもかかわらず、癒術を受けた騎士たちは、「なんだ」と一様に物足りなそうな顔をしたのである。


「一瞬で傷が消えるとでも? ふん、ひとりひとりにそんな膨大な聖力を注いでいられるか、馬鹿め」


 なにぶん、あと何人治療すべきかわからない中での施術である。

 余力を残しながら治療した結果、せいぜい各人の傷を申し訳程度に塞ぎ、痛みを和らげるくらいのことしかできなかった。

 ただ言っておくと、それでも通常の手技を施すよりは数倍早く癒えるし、術者のこちらには結構な負担なのだが。


「なのに、『これくらいなら、侍女殿の手当てと変わらないじゃないか』だって……!?」


 最も許せないのは、帰り際に騎士のひとりが首をすくめてぼやいたその言葉だった。

 大層小声の独白であったが、地獄耳のデニスはばっちりと聞き取ってしまったのである。


 噂によれば、騎士団には最近、エルマとかいう名前の侍女が出入りし、負傷者の治療に当たっているのだという。

 その手際は素晴らしく、彼女に手当てしてもらった者は、そうでない者より三倍以上早く快癒するとのことだ。


(だが、侍女。貴族でもない、医導師でもない。男ですらない! ふん、おおかた、女相手に脂下がった騎士どもの思い込みだろう)


 エルマという名前は、以前、前妃のお気に入りだとか、料理上手な女という文脈で噂を聞いたことがある。

 きっと、美丈夫の第二王子か騎士団の恋人の座を狙う、女の魅力を過剰に押し出した野心家なのだろう。でしゃばりなのだ。


 だが、侍女の分際で医療行為に手を出すのはやりすぎである。

 実態としては、せいぜいおまじないに毛が生えた程度の手技なのだろうが、だとしたらなおさら、治療を武器に男どもの歓心を買うのはやめてもらいたいものだ――デニスは高慢な少年だが、治療行為そのものは、神聖なものだと考えていた。


「ああ、早くこんな日々を終えて、侯爵閣下みたいに、高貴なるお方の専属医導師になりたいものだ」


 実地研修が始まる前までは、デニスはロットナーのかばん持ちとして、彼が支持する第一王子フェリクスの部屋に訪れたりもしていた。

 ロットナーは侯爵であり、司教であり、癒術はなくとも心をほぐす能力を持っているため、王子のカウンセラーとしても活躍しているのである。


 フェリクス自体は、噂通りぼんやりとした、凡愚な人間のようだったが、それでもやはり第一王子。

 部屋は贅を凝らされ、趣味であるらしい馬具や宝石のコレクションは素晴らしかった。


 デニスは侯爵を通じてそれらを鑑賞する栄誉を許され、いたくご満悦だったのである。

 彼が望むのは、そちら側の世界だ。


「早く、僕にふさわしい世界に戻りたい……」


 奇跡の力である癒術を、もっときちんと称賛してもらえて、周りには清潔で高貴な人々しかいない世界。

 騎士どもは、せいぜい侍女の治療とかいう民間療法でもありがたがっておけばいい。


 デニスはほう、とため息を漏らして、壁に掛けた祈祷布をぼんやりと見つめた。

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