第36話 間一髪、守るのは俺

 きみからの連絡を車内で確認していると、女子会の裏で俺と逢瀬―――ではなく、食事を楽しんだ矢田部が運転席から外を眺めてボソッと呟く。

「いま降りてきたのは彼女さんのご友人ですかね。後から来た野郎どもが声を掛けてますけど、大丈夫ですか?」

「何だと? それは、マズいだろ。あわよくば紹介をと、この時の為にめっちゃ気合入れて身支度を整えたんだぞ」

「心配するのは、そこですか? 必死の努力が気色悪くて吐く、オェッ」

「うるせー、心象は良いに越したことはないだろ。 どうやら彼女達は見事にあしらってるし、大丈夫じゃねーか? それにしてもトウコが遅―――っ!」

 停車位置から若干距離のある溜まり場に漸く現れたきみが、チャラい出で立ちの男に肩を支えられて裏通りへと続くアーケードを進んでいく。

「矢田部」

「裏にまわします、行ってください」

 歓談中のご友人たちを横目に後を追う。


「お兄さん、送ってくれて有り難うね」

 忍び足できみの隣りに追いつき声を掛け、驚いた隙を狙う。きみと男との間に身を滑り込ませてサッと引き剥がし、肩から腰へと触れた汚らわしい左手首をキュッと締め上げる。

 友人達から見えぬよう死角へと入り、大仰にならぬよう僅かな挙動で、確実に。

 酔いが廻っているのか、凭れ掛かるきみの痛々しく怯えた瞳が安堵の色に変わる。

 が、異常なまでに意識が朦朧としている。

 これは―――只事ではない。

「おい、何しやがるんだよ、おっさん」

 あぁ、非常に残念だ。

 口汚く威嚇するゲス野郎を更に捩じ上げて黙らせるより先に、俺にはやるべき事がある。

「彼女に何をした?」

「くそ、動かねぇ……離しやがれ!」

 声を荒らげて友人に気付かれれば処置が遅れる。

 腹に苛立ちを収め、努めて静かに問い質す。

「何を飲ませたのか、早く言え」

 締めた腕の痛みに負けたらしく、男が睡眠薬だと苦し紛れに白状する。すると、その言葉が耳に届いたきみがのろのろと顔をあげ、混濁する意識の中で男に詰問する。

 まるで薬品に精通するような口ぶりで。

 暫く様子を伺うと、

「なるほど……ならば一時間ほどで効能が切れる……から、心配しないで。少し眠るけど……優しく起こして……ね。……っ…ん」

 確信めいた言葉と強い瞳を俺に向けて柔らかく微笑み、ゆっくりと瞳を閉じる。

 きみを支える我が身に若干の重みを感じると同時に、プツッと切れる心の糸。

「フーー……」

 思わず、天を仰ぐ。


 無理、限界、殺意しか湧いてこない。

 掴んだままのこの左腕を、この指一本ずつをバキバキに折って再起不能にするだけでは収まらない。ありとあらゆる技で以て物理的のみならず精神的にも苦痛を与え、生きる屍とさせねば気が済まない。

 まぁ、いの一番に不甲斐ない己を殴るけどな。


 噴き出しそうな怒りの中にも浮かぶ、悔恨の念。

 どうやら、僅かながらも理性が保たれているらしい。眼前で性懲りもなく反抗する男の姿もこの目に冷静に映っている。

 そうさせたのは、きみが俺の名を呼んだから。

 消え入るような声で〈あっくん〉と呼んだから。


 何はともあれ、きみの救出には成功した。

 あとは、この男をどうするか。

 もがく程に締まる技に苦悶の表情で『離せ』以外の語彙力を持たぬのも、実にウザいったら無い。

 ので、脅しておく。

「友人らを呼んで、その情けない姿を晒してやる―――が、その前に彼女の尊厳を汚そうとした責任をしっかり取りやがれ、犯罪者」

 最後の言葉で打ちのめされたのか、急に大人しくなったところでひと悶着に勘付いた一同がパタパタと集まってきた。

 この顔ぶれでは馴染みのない不審者と化す、俺。

 それに気付いたのか、きみが友人に説明しようと身じろぎする。だが、辿々しい会話で逆に心配を掛けるのは本意では無いはず。

 ならば、ここは得意の先手必勝、だよな?


「トウコを迎えに来ました、柏葉と申します。今日は久し振りに楽しんだと聞きました、ありがとう。

 このお兄さんから詳細を聞いているうちに熱っぽくなってきたので、彼と病院へ連れて行きます。状況は明日にでも連絡を……え、終わり次第? 夜更けになるかも……分かった、必ず連絡させます。

 もし、これでお開きにするならばそこに待たせている俺の後輩に駅まで送らせるけど……おーい、矢田部。お願いするわ。おっと、男子はご自由に。

 では皆さん、気を付けて帰ってね」

 

 何とかうまいことやり過ごせた―――か?


 ◆ ◆ ◆


 友人を後輩に任せる間、眠ったきみを裏通りに停めたクソ野郎の車の後部座席に運び、鍵と運転席を人質に取る。逃走せぬよう、別の型をキメながら。

 観念したように座っているが、果たして?

「ボエェッ……おっさんの手汗がキモ過ぎる」

 少しは反省しろや、コラァ!

 年齢はきみに近いくらいか。

 不釣り合いな程に立派なSUV。誰の持ち物だかは知らんが、本革張りシートに身を預け高級感のある内装をぐるりと見渡す。

 カップホルダーには、飲み棄てたと思しき薬瓶。

 ひょいと摘まむと、記憶のある品名。

 全くもって、節操がない。

 若者はいつの時代もこんなものなのか。

 思わず説教したくなる。

 というか、させてもらおう。


「お前は、毎度こういう事をしてるのか?」

 問い詰めればも初めてだという。

 本当かよ?

「彼女を狙う理由は何だ。引く手あまた、だろ?」

 すると、ゴニョゴニョと言い淀みながら答える。

 前回の飲み会で気になったが自分のような軽い男は相手にされない。少しでもお近づきになりたくて食事会を聞き出し、仕込んだ。何かをする気はさらさらない。二人きりの時間が欲しかっただけ。

 純情に聞こえるクソ野郎の思いなんぞを鵜呑みにするつもりはない。だが、先程から頻りに後部座席を気にする様を鑑みると、その薬効にはいたく動揺しているらしい。

 こんな馬鹿者若者と日本の次代を担わねばならないとは、頼りなさすぎて先が思いやられる。


「知識を得るのは自由だが、責任を持てる行動だけにしておけ。それと、もし悪知恵を吹き込む輩が近くに居て手が切れねーようなら言え。一緒にいた後輩が、どうにかする」

「……はぁ? 偉そうにしゃしゃり出るアンタがやるわけじゃないのかよ!」

「あほか、俺はフツーの会社員だ!」

 求められても無理なものは無理。

 こんな物騒な世界は、管轄外だ。

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