第2話 SNS消防隊②




 とりあえずこれを着ておけ、と渡された活動服を身に着けて、一階のガレージへと降りる。そこにはたった一台だけの消防車があり、既に一人の女性隊員が運転席に乗っていた。


 茶色の長い髪を高い位置で一つに結んでいる、その鋭い目の彼女は、


「あんたら遅い……ってその子! どうしたのよ!」


 俺を見るなり、目を丸くしてイノヤマに説明を求めた。その問いにはいつの間に俺が意識を取りも戻したのか、なぜ俺が活動服を着て共に消防車に乗り込もうとしているのか、という疑問が隠れているようだったが。イノヤマの答えは至極適当だった。


「一緒に行くことになった。挨拶だけしておいてくれ」

「はあ?」


 と言いつつも、驚いているだけで俺が同行することを疎ましく思っているわけではなさそうだ。


「初めまして。速水流です。よろしくお願いします」

「サイトウよ。よろしく」


 俺が差し出した手を彼女は軽く握り返し、手軽に挨拶を済ませる。


 そうこうしている内にイノヤマとヨシオカも乗り終えた。イノヤマが助手席。ヨシオカと俺が並んで後部座席だ。


そしてハンドルを握るのはサイトウ。


「それじゃあ行くよ!」


 アクセルが踏まれると同時にサイレンが鳴り響き、消防車はネットワークの町へ飛び出した。


 町並みは俺たちが想像しているような世界で、OZの雰囲気にも似ていた。アイコンが屋根の上に浮かぶ家々―いわゆるアカウントだ―が並んでおり、様々な色の『0』と『1』が木々などを構成していた。


「すごい……」


 俺が感嘆の声を漏らしていると、イノヤマが俺の名前を呼んだ。


「俺とヨシオカは現場につき次第消火作業に当たるが、お前はひとまず車内でサイトウの仕事を見てろ」

「わかりました」

「別に見る価値あるもんじゃないけどね……」

「またまたサイトウは。本当は自分の仕事に誇り持ってるくせに」

「ヨシオカ黙って」

「イノヤマさん、いつもこんな感じなんですか」

「……こんな感じだ」


 現場のアカウントに辿り着くと、赤や朱色の『0』や『1』が炎のようにそのアカウントを包んでいた。さらに、その上空には俺が受けたような誹謗中傷のコメントが広がっていた。


『自分でそれ上手いと思ってるの?w』

『てかトレスじゃね?』

『構図もどこかのイラストレーターさんが描いてた構図と一緒だしねw』


 それらのコメントを見て、あの時の悔しさが蘇ってきた。


絶対に誹謗中傷を許してはおけない。


俺たち四人はすぐさま車から降り、イノヤマ が状況を説明する。


「今回の被害者は@illsu1227さん! 十六歳女性。フォロワー数300! まだ未成年だ。速く救出するぞ。ヨシオカはブロック作業。サイトウはいつものやってくれ」

「「了解!」」


 二人はイノヤマの指示に従い、それぞれのパソコンを取り出して起動させた。


 一方、その隊長は家の玄関を開き、炎の中に入り込んでいった。


「イノヤマ隊長!」


 彼の名を呼ぶも届かない。何をすればよいのかわからなくなった俺を見たヨシオカは、パソコンの画面を見たまま、


「隊長は大丈夫。君はまずサイトウの仕事見ておくんだ。こいつがいなきゃ仕事が始まらないからな」


 確かに、現場に着く前にイノヤマも言っていた。


 はい! と返事をし、サイトウの横に並ぶ。


「じゃあ見てなよ。……アクセス」


彼女の頭上に一瞬だけ『0』と『1』が複数浮かぶ。

パソコンの画面をのぞき込むと、大量の英数字が動き回っていた。


 そして、彼女の指がエンターキーを強く叩く。


「アカウントネットワークにアクセス完了! 消火開始!」

「彼女のハッキング能力はこれだけじゃないぜ」


 ヨシオカがニヤリと笑みを浮かべるや否や、アカウントの上空にあった誹謗中傷のコメントが一つずつ消えていく。それはまるでシャボン玉が弾けるようだった。


「すごい……」

「こうやって、ハッキングしてアカウントを削除する。大体が捨て垢なんだけどね。でも、これを繰り返せば……」


 サイトウが目をやった方に俺も目を向けると、なんと炎が少しずつ収まって来ていた。


「現実と違って、水は必要無いんだ。これがネット炎上の鎮火のやり方だよ。よーし、俺もやりますかね。本業じゃないんだけど」


 と、ヨシオカもタイピングを始める。


「ヨシオカさんは何を?」


 視線の先を彼の画面に移すと、


「俺がやるのは本業じゃない。誰だってできるやつだよ。だから、多分少し学べば君もできる。これ以上誹謗中傷のコメントが増えないように、あらかじめブロックをしておくんだ。被害者は今傷ついているから、そこまで気が回らないことがあるんだ」


 なるほど……。さすが鎮火・救出後のセラピー担当だ。被害者の心情をちゃんと考えているんだ。


 二人の見事な連携プレーにより、誹謗中傷のコメントと共に炎はみるみるうちに小さくあり、ほぼ鎮火が終了していた。


「それにしても……今回もまたやけに量が多いわね。これって……」

「間違いない。HKMだね」

「え、どうして」


 それはね、とサイトウがHKMの特徴を話してくれる。


「炎上の規模にもよるけど、素人の絵描きや音楽家の炎上は一時間で数十件あるかないか。でも、HKMは犯行だと、三十分で百は超える」


 たったの三十分で……? ましてや、ただSNSを楽しんでいるような素人たちまでを狙うなんて、本当に悪質だ。


「私たちがここに到着したのは通報があってから五分もたってない。それなのに既に削除アカウント数は七十もいってる。捨て垢の規模も尋常じゃない」


 しかし、そう言うサイトウの処理スピードは尋常じゃなかった。みるみるうちにコメントが減っていく。ヨシオカがブロックを進めているのもあるだろうが、異常なタイピングスピードだ。


 その減りつつあるコメントにまた一つ誹謗中傷コメントが現れる。


「ちょっと、ヨシオカ、ブロックやってるんじゃないの?」

「やってる。数が多いんだ……おい、待て」


 何かに気がついたヨシオカがタイピングの指を止める。そしてその指がそのままアカウントの近くにいる灰色の物体を指差す。


 絵にかいたようなロボットだった。古めかしい無機質なロボット。


 ヨシオカはそいつをこう呼んだ。


「……botだ」


 botと呼ばれたそいつもこちらの存在に気づくやいなや、走り出した。


「追え! 流!」

「え、サイトウさんが削除すれば……」

「botは訳が違う! 理由は後で話すからすぐに行け!」

「……っはい!」


 彼の語気からも、逃してはならない感じがする。


 俺はヨシオカの指示に従い、botが逃げた方に向かって全力疾走した。


 距離は離れたが、まだ背中が見える。頑張れば追いつけそうだ。


「逃さがねえぞ!」


『0』と『1』で出来た街中を駆け抜ける。防火服のせいで少し走りにくいが、現実

世界と違い、生身の体ではないからか、軽やかに走ることはできていた。


 だんだんと距離が縮まってくる。


 ロボットと言ってもたいしたことないな、と思った。


 botの背中に手を伸ばす。指先と背中の距離は数センチに迫っている。


 俺は出来る限りの加速をし、さらに詰めた。


 ついに中指が―――



 触れなかった。

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