第2話 慧一の悩み

 慧一は木崎家のリビングで、愛美の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、今日の古賀の言葉を思い出していた。

――学園の常識からすると、俺は正当な人類の進化から外れた亜種ということか。

 普段の正文の話からそうなることは、十分に理解していた。それでもその事実に直面すると、さすがにへこむものがある。

 入学式という二人にとって記念すべきイベントの後で、無口になって考え込んでしまった慧一に、愛美が心配そうな視線を向けてくる。


「心配かけて申し訳ない。自分が亜種だという現実に直面して、考えすぎてしまった」

「慧一が気に病むことは何もないわ。どう言われようと、力自体はとても強いのだから」

 懸命に励ます愛美の姿に慧一の心が温まってくる。

「亜種がどうしたって」

 戸口からの声に振り向くと、そこには三冊の書籍を手にした上杉隆生うえすぎたかおの姿があった。

「上杉さん、いらっしゃい。お父さんなら書斎に籠ってますよ」

「今、お伺いしたとこだ。本を返しに来たのに、またお土産を貰っちゃってね」


 上杉は正文の研究室で講師をしているのだが、まだ二八才の若さが、彼の優秀さをよく示している。

 最初に木崎家に顔を出したのが八年前で、まだ愛美は小学生だった。その後何度も顔を合わすうちに、二人は年の離れた兄弟のような関係になった。

 慧一にとっても、初めて木崎家に来た日から、気軽に相談できる兄のような存在だった。


「もしかしたら、学園内で力を披露したのかい」

「はい、止むをえない事情が起きて……」

 上杉からはむやみに力を使わないように注意されていたが、今日の場合は止むをえないと言えるだろう。

「慧一のファントムを見て、在校生に亜種と言われたんだね」

「はい」

 慧一の落ち込みをよそに上杉は笑っている。

「まあ、面と向かって亜種なんて言われたら、落ち込むよな。でも僕から言わせたら、通常種と亜種の違いは、わざわざ区別するほどの違いはない。逆に教授が正当とする白いファントムが、本当に人類の目指すべき最終形なのかについては疑問を持っている」

 最近上杉が正文の研究に異を唱えていることは薄々知っていたが、ここまではっきりと言葉で聞くのは初めてだった。

「僕の立場でこれ以上話すのは支障があるので、明日の教授の講義を君自身の耳で聞いて、自分で判断すればいい。いいかい、鵜呑みは決してしちゃあ駄目だよ」

 念を押して、上杉は帰って行った。

「私も明日、お父さんの話を真剣に聞く。上杉さんの言う通り、お父さんだからと言って、鵜呑みにすることはよしましょう」

 たとえ父の言葉であっても、真偽をちゃんと判断すると言い切った愛美の美しい顔には、慧一のためなら過酷な結果になっても辞さない、という壮絶な覚悟が現れていた。


 翌日は登校するとすぐに大学の大教室に集められた。全新入生百五十人が入れる教室で、大学らしく階段教室になっている。

 まだクラス割は発表されない。どうやらこの理念の講義がクラス割と関係していそうだ。

 席は決められてなかったので、愛美と並んで席に着く。しばらくするとコータがやってきて、慧一の隣に座った。後ろの席には忍とランコが座った。


 正文が入ってくる。この授業には講師紹介はなかった。この学園では正文の名前は紹介の必要がないくらい有名らしい。

「新入生のみなさん、聖ラクスター学園への入学おめでとうございます。これから三年間皆さんと理念教育で共に学ぶ気持ちで臨まさせていただきます」

 挨拶はいつもの温厚な正文そのものだった。


「中等部で皆さんが学ばれた本校の建学の精神は、人類をより高みに導く人材を育てるでしたね。皆さんはその基礎力を養うために、中等部で多くのことを学ばれたと思います。高等部では、それを実現するために、具体的な道筋を学んでいきます」

 ここで隆文はいったん口を閉じて周囲を見渡し、誰もが自分に集中していることを確認して、話を再開した。


「皆さんはダーウィンの進化論を当然ご存じですね。興味のある方なら『種の起源』を直接読まれていると思います。ダーウィンは、子が親の遺伝子を完全にコピーするわけではなく、少しずつ違った形質を持ち、その中で環境変化により適応しやすい者だけが残る『自然淘汰』を打ち出しました。一方、ヒトに関して言うと、ほぼ全てのヒトが長生きできて子孫を残せるため、自然淘汰の必要は無くなったと言われています。ですが、本当にそうでしょうか?」

 周りがざわついている。ここまでの話はこの学院の生徒なら常識として知っている。今正文はその常識を覆す投げかけをしたのだ。


「ヒトの進化の歴史を紐解くと、最初の人類『ホモ・エレクトス』が現れたのが、約二百万年前。その後進化した『ホモ・ハイデルベルゲンシス』が現れたのが、約八十万年前。そして現代の人類の原型『ホモ・サピエンス』が現れたのが約二十万年前と、進化に要する時間は加速度的に早まっています。人類が地球を埋め尽くし、素粒子のことわり迄解明した今、人類は再度進化の時期を迎えようとしていると考えても不思議ではありません。では次の進化はどのような形で行われるのでしょうか?」

 ざわめきが落ち着き、周囲が静寂化した。いよいよ話の本質が始まる。


「それは意識の実体化です。意識の実体化はこの二千年の歴史の中でも、様々な形で表出し、記録されています。例えばキリスト最大の奇跡となる復活、様々な地にある幽霊伝承、中世ヨーロッパの魔法、そして現代軍事利用も進められている超能力の類です。これらは全て意識の実体化がなせる業なのです」

 周囲は再びざわめき始めたが、慧一と愛美は既に理解している話なので、動揺はない。隣のコータも表情を見る限り、既に知っている話のようだ。


「話だけだと要領を掴めないと思います。今ここで意識の実体化をお見せしましょう。有坂君、お願いします」

 正文に呼ばれ有坂麗がステージに出て来た。制服のスカート丈がやけに短い。

「みなさん、こんにちは。それではよく見てください」

 麗の身体から真っ白なファントムが出て来た、そしてみるみるうちに形を変え、麗と同じ姿に成った。もうどこから見ても二人の区別がつかない。

 驚くべきことに、そのファントムは言葉を発した。

「こんにちは、みなさん。有坂麗コピーです。今日はみなさんにお会いできてうれしい」

 挨拶の次に本物と一緒に、アイドルソングを歌いだした。

 歌い終わると、一部の生徒から拍手が巻き起こった。

「と、こんなところです」

 麗のコピーが消え、本物の麗も退場した。


「我々はこの実態化する意識をファントムと呼びます。ファントムは様々な能力を持ちます。今の有坂君のように自分のコピーとなって、授業を受けたり仕事をすることもできます。槍や刀に変わって武器として使用することもできます。その能力は全て、持ち主の精神力に影響を受けるのです」

 つまり、麗のようなナルシスト的な傾向の強い人間は、自分のコピーを作ることが簡単にできるということか。


「さて、ファントムが使えるように成ると、人類は様々な特典を得ることができます。ここでそのいくつかをご紹介します」

 ここで正文は話を中断し、水差しの水をグイと飲んだ。聴衆オーディエンスはその動作にさえ注目する。


「まず、ファントムは意識なので、ファントム通しが触れ合うことで、持ち主が何を考えているか知ることができます。もちろん意思疎通をシャッタアウトすることはできますが、解放した状態で偽りを伝えることはできません。これは人類にとって大きな進歩といえます。分かりますか? 社会から嘘が消えるのです。人類は最大の課題であった信頼できる社会を作ることが可能に成ります」

 再び会場がどよめく。きっと信頼できる社会よりも、今自分が考えてることを他人に知られる恥ずかしさが、先に立っているのだろう。


「次にファントムができることは肉体ができることを凌駕します。スポーツを例にとります。肉体を鍛えることには限界があります。どんなに鍛えても百メートルを九秒前後で走ることが人間の限界です。しかし精神力には限りがありません。ファントムによるコピーが百メートルを五秒前後で走ることも可能なのです」

 隣のコータが苦しそうな顔をしている。それはそうだろう。肉体を極限まで鍛えようとしているスポーツ選手にとって、ゲームの世界のように、頭だけで考えている奴に打ち負かされるなど納得できるものではない。


「最後に、ファントムは視界内で自由に実態化できます。そして実態化した先で目に入るものは、持ち主の視界として共有されます。これを繰り返せば我々は理論上、精神力が続く限り肘掛椅子に座りながら、地球の裏側までファントムを送ることができるのです。つまり移動に必要だった電気やガソリンといったエネルギーが必要なくなるのです」

――それには、尋常ではない精神力と判断スピードが必要だけどな。

 慧一は中学生のときに、正文に言われてファントムでアメリカまで行けるか、実験したことがある。肉眼で見えない場所では、ファントムが得た視界情報を瞬時に判断して、次の場所に移動させなければならない。例えば海の上では移動させた瞬間に、次の移動場所に送らないと、ファントムは海中に沈んで視界が途切れ実体が消滅する。太平洋を横断するには、頭の中でこの作業を果てしなく繰り返さねばならない。結局、集中力が続かないのだ。


「これまでの話で、ファントムが人類を次の進化へいざなうことを説明しました。ではファントムは誰でも手に入れることができるのでしょうか? 答えはノーです」

 その瞬間、会場のざわめきは最大と成った。それはそうだ。今の木崎の話の展開によれば、進化できる人間とできない人間に分かれると言うことに成る。動揺するなと言っても無理がある。


「しかし、ご安心ください。高等部に無事進めた皆さんは、全てファントムを持つことができます。意識体を最初に発見し、それをファントムと名付けたのは、この学園の創始者であるジョン・デヴィッドソン・ラクスター・シニアです。ジョンは一八三五年に英国で生まれ、成人すると超能力や魔術の研究に没頭しました。そして自身のファントムに気づき、米国に渡りファントムを駆使することで、石油王と成ることができました。成功したジョンは、故郷の英国にこの学園の母体と成るセント・ラクスター・カレッジ、通称SLCを創設したのです」

 会場はシーンと静まり返っている。ここにいる全員が、木崎の言葉を一言も聞き漏らさまいと集中しているのだ。


「ジョンがSLCを創設した目的は一つです。ファントムの謎を探り、第二の自分を育てることなのです。科学者でもあったジョンは、ファントムが人類の進化の象徴だと考えました。だからファントムの研究機関を作りたかったのです。私と友人は英国でファントムの研究室に入りました。私たちはファントムが進化だとすれば、遺伝子の中にその秘密が隠されていると仮定しました。ファントムが発現した人間の遺伝子を調べ続け、ついに十億以上の塩基配列の中から共通して、他の人間には見られないパターンを発見したのです。私と友人はそれをファントム遺伝子と名付けました」

――その友人はおそらく父だ。

 慧一は父が遺伝子学を研究していたことと、木崎と一緒に渡英していたことも知っている。では木崎が提唱し、自分を亜種として否定するファントム理論の形成には、父も関わっていたのか? 慧一は急に、未来へ向けた視界が閉ざされるように感じた。

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