慰安旅行の先はエルフの里にお決まり

アナスタシア

ノーエルフ ノーライフ

第1話 左遷

 俺の名はエル。世界最大の都市の一つであるロマノフ帝国で研究者をやっている。研究の題目はいつか説明しよう。


 詳細はかくかくしかじかであるが、この研究を行うことにより帝国から給料を貰っている。年収は平均よりそこそこ高い方。一応不自由することなく毎日を過ごしている。


 同僚達とも仲良く日々精進しており、順風満帆なライフスタイルである。このマリン教授のもとで働くことこそ至高である!


 と言いたいところだが、俺の胃をキリキリと蝕む存在がこの研究室にいやがる。


「どうかね、進捗は?」

 

 ふと噂をすればだ。恰幅の良い薄い金髪の上司が俺の後ろから声をかけてきた。名はダージー。ことあるごとに俺の実験内容に口を挟んでくるじいさんだ。


「え、えぇ。滞りなく進んでおります...」 


「本当かね?この間の実験報告ではなんら成果がなかったではないか。」


「ええと、おっしゃるとおりですが...」


「君はいいな、悠長でな。帝国に誇れる論文をより多く執筆できる者こそが一流の研究者というもの。進捗報告もままならん君は三流以下なのだよ」

 

 さっそく嫌みを言ってきたなこのじじい。他の研究者には一切嫌みを言わないから、俺に何かしら恨みでもあるのか?


「三流の私が前回の発表会で賞を頂いたことをお忘れで?」


「ふん。そんな賞はあの平民の審査委員長がくれてやったものだろう。それで君に箔が付くと考えている時点で三流以下なのだよ」


 ああ言えばこう言う。つい言い返してしまう俺にも問題があるが、このやり取りを長々としていると気が滅入ってしまう。

 

 ただでさえ研究に忙殺されているのに、このジジイと会話しているとストレスに殺られる。早めに話を切って研究するとしよう。


「そうですね...誇り高き貴族様のお眼鏡にかなう研究成果を出せるよう努力いたします。では失礼いたします。」


 ササッとこの男から離れようとした瞬間


「待ちたまえ、エル君」


 先ほどとは違う、心底嬉しそうな声で俺を呼び止めた。


「なんです?」


「君はもう研究に精を出す必要はない。先ほど君の左遷が決定した。」


 今なんて言ったハゲじじい。


「どうやら上層部は君の成果を芳しく思っていないようだ。故にロマノフ帝国の南端に位置する研究所に移動することが決まったのだよ。いやはや、実に残念だよ」


「なんですって?」


 左遷だって?いくらなんでも急すぎないか?あの教授も俺の左遷を許諾したのか?


「さしあたって、君の机や実験道具はすべてあちらの研究所に輸送しておいた。なに、心配するな。運送料等はこの私が受け持っておいた。後は君自身があちらに運送されるだけなのだよ」


 糞ジジイ!笑顔が憎い!

 ただ、一つ疑問に思うのだが、教授はこのことについてご存じなのだろうか?


「正直...あの教授が私の左遷を許可するとは到底思えないのですが...」


「何を言う。この書類にも確かに教授の印鑑が押されている。教授もすでにこの話は承諾済みなのだよ君ィ」


 本当だ...確かにこれは教授の判子だ。ご丁寧に教授特有の魔力も編み込まれている...


 信用していた教授からの思わぬ追加攻撃に俺のライフは0...


「つまりはそういうことだ。この左遷は決して私の独断ではなく、この研究所の総意なのだよ。」


 遠くで何かが聞こえる...いや、俺の意識が遠のいているのか


「なに、向こうの研究所のレベルは一流である故心配する必要はない。論文執筆数には目を見張るものがある。君も大いに活躍できるだろう。その雀の涙ほどの論文数を改善できればの話だがね。」

 

 じいさんがこいのように口をパクパク開閉しているようだがよく聞こえない。


 冗談抜きで左遷はつらい、トラさん...ではなく教授...


 俺の心にはポッカリと穴が開いたような感じになり、目の前が真っ暗になった!



 * * * * * * * * * *



 心あらずのノエルが研究室をノソノソと去った後、ダージーは一人喜びをあらわにしていた。


「ははっ、案外あっけのないことであったな、あやつも。」


 口角を不気味につり上げ、邪悪な笑みを浮かべたままそうポロリと言葉をもらした。


「あの邪魔者がこの研究室を去った今、注目を浴びるのはこの、私だ!」


 そう力強く拳を握りながら、目をぎらつかせた。ある者が彼の顔を見たのなら、たちまち逃げ出すであろう。強ばらせた彼の顔つきはさながら悪魔のようであった。


 しばらくフーッ、フーッと興奮した後、乱れた呼吸を徐々に整え、やがてだらりと両手を下ろした。


「あとは私が帝国祭の論文発表の場で殿下からの賞さえいただければ...それで...」


 先ほどの野心あふれる声音と違い、弱々しい声量で独り言をぶつぶつと言いながら、彼は研究所の共有スペースから出ようとした。

 するとガチャリと戸が開き、つられてダージーもドアから顔をひょこっと出してきた人物に目をやった。


「あら?エル君はもう帰宅してしまったのかな?」


 そう鈴の音を連想させる美しい声を発するのはこの研究所の教授、マリンであった。


「ええ、彼は先ほどご帰宅なさいましたよ。加えて、モロコシ研究所へ異動することを決心したそうです。」


 ダージーはエルのについては一切触れずに、平然とそう答えた。


「本当に?エル君そんなこと言ってたかしら」


 腰にまで流れる銀髪を揺らしながらマリンは顎に手を添え思案し始めた。


「まさか、アレのせいじゃないわよね...

それとも髪の毛をごっそり頂戴したのが不味かったのかしら...それとも...」


 円を描くように歩き回り、ブツブツと独り言を始めた後、マリンは急停止した。

 そして、体から力がすべて抜けたかのようにだらりと肩を下げ、両膝を地面につけた。


「え、えぇ。彼も今年は実験に取り憑かれたようでしたからな。さすがに無理があったのでしょうな」


 マリンのあからさまな落胆に驚きながらも、ダージーはつらつらと当たり障りのない推測を述べた。


「僕も最近忙しくて彼と茶会していなかったわ...。それほど疲弊してたなんて...」

 

 ショボンと更に頭を落とし、残念そうにしながらマリンはそう口にした。


「彼の不在は大きな痛手。彼が戻ってきたときにあっと言わせるような成果を出しましょうぞ、マリン教授。」


 ダージーはマリンを励ますようやる気に満ちた表情でそう答え、彼女を立ち上がらせるように手を差し出した。


「ーーそうだね。僕も彼がほっとできるような成果を出すとするよ。」


「それがいいですぞ。」


 マリンはダージーの手を軽くつかみながらフワリと立ち上がり、そう答えた。

 そしてマリンはぱっと素早く手を離しニコリと笑みを浮かべた。


 彼女がとっさに浮かべた笑みにダージーは思わず見惚れてしまい、直立不動となってしまった。

 もっと会話していたい。そう思わせるようなマリンの魅力に当てられ、ダージーは声を発そうとした。


「じゃあ、僕も一応忙しい身だから失礼するね。」


 マリンがそれよりも早くおわかれの挨拶をし、くるりとダージーに背を向けスタスタと入ってきたドアに向かった。

 ダージーが引き留める隙もなく、マリンはあっという間に部屋から去ってしまった。


 一瞬の出来事にダージーは呆然としつつも、はっと意識を取り戻した。


「...私が賞を取れば...あのマリンも...」


 口を半開きにしながら、ダージーは欲望にあふれた顔つきでぼそっと内心を漏らした。

 ぶつぶつと内に眠る欲望を漏らしながら、ダージーもやがてドアに向かって歩き出し、部屋から退出していった。



ーーある者は言う。彼は間違いなく運が良かったのだと。あの場でマリンに声をかけ引き留めていたらダージーは間違いなく卒倒してしまっただろう、それも惨めな状態で、哀れに、残酷に。


 マリン、華やかで品のある美しい女性。

そんな温厚な彼女が憤怒するとどんな顔をするのだろうか?


 その顔を知るものは何人たりともいない。

少なくとも、には。

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