第十七話 誠実な骨
「なあ画伯っ、お前パワポどこまで終わった?」
パソコン室から出る僕を生田くんが声で捕まえた。教室の中でも外でも、僕に声をかけるのは彼と花恋さんの二人くらいだ。
「一応、全部」
「は!?」
上履きが驚きに摩擦を生む。
「おいおいまだ今回の課題始まって二回目とかだぞ? もう終わったのかよ」
情報の授業は初回三回がコンピュータに関する基礎知識で、前回からプレゼンテーションスライドの制作実習が始まった。
「だって僕の場合自己紹介なんて大した情報量じゃないし」
別に高坂湊は特別な人間じゃない。
「でもよぉでもよぉ、ほらお前の絵のセンスなんかはやべぇだろ。あれだけでいくらでも」
「みんなはそれで面白いのかな」
「はぁ?」
廊下を進む。
「発表用スライドでしょ。この発表に何が求められているかって考えたらさ、そんなに自分の情報いらないかなって。まあでもだからって中身すかすかなわけじゃないけど」
「んー、そんなことねぇけどなぁ。まあでも確かに、なんで画伯の周りにはこんなに人がいないんだ? 別にみんな陰キャ扱いしてるわけでもねぇのに」
生田くんは一人称に語りかけていく。いつもの考察高速詠唱だ。スピード型のスポーツやってるとどうも頭の回転力は鍛えられるようである。
「僕はそっちの方が楽だよ。あるよりない方がいい」
「おいなんだよそれ。哲学か? それとも貧乳が好みか?」
僕は
「ある意味哲学だね」
床に焦点を合わせながら登り階段の一歩目に足をかけた。上の踊り場がわっと騒がしくなる。元気な下級生でも降りてくるのかと端に寄ろうとしたその時。
「おぁっ。ちょ」
後ろの生田くんがスッと前に出てきた。僕は釣られて階段の上に視線を投げる。
目の前には女の子の身体があった。彼女が持っていたのであろう教科書が階段を転げ落ちて、それと同時に僕の身体も落ちてくる彼女に飲まれそうになっていることに気が付く。僕は咄嗟にその子を受け止めた。生田くんが間に入っていなければ、二人で床に叩きつけられていたところだ。
「やっべ」
騒がしい連中はそのまま上階に姿を消した。
「あっ、待てこのやろっ!」
その後を生田くんがすごいスピードで追っていく。どうやらはしゃいでいてこの子にぶつかったらしい。僕は受け止めた彼女を階段にゆっくり座らせた。
「大丈夫?」
「す、すみませんっ……」
上履きの色は一年生だ。少しだけ青みがかったような長く濃い黒髪が俯くその顔を隠している。僕は散らばった彼女の教科書を拾い集めた。
「はい。あ、これもかな」
教科書とは別に小さな手紙のようなものも拾う。
「あ、ありがとうございますっ」
彼女はそれを素早く受け取ってノートの間に挟んだ。それから僕の顔を見上げて階段の手すりを掴む。
「立てる?」
「うぐっ……」
立ち上がろうと足に力を入れた彼女は苦しそうに顔をしかめてふらついた。慌ててその体を支える。どうやらぶつかった時に階段で
僕は彼女に背中を見せてその場にしゃがんだ。
「え?」
「乗って。保健室までおぶっていくから」
「でも……」
「大丈夫。次の授業の先生には僕が伝えにいくから。ほら、早く手当てしないと」
「あ、ありがとうございます」
彼女は申し訳なさそうに僕の肩に手を置いた。
僕は重心を前に彼女を背負いそのまま一階の保健室までとっことっこ階段を下った。体育でグラウンドに向かう同級生がいくらか不思議そうな顔で眺めながら横を通り過ぎていく。
「一回おろすね」
「は、はい」
か細い声を背に保健室のドアを開ける。それから彼女の手を取って擁護の先生を呼んだ。
「はーい、どうした?」
「さっきこの子が階段から落ちてしまって。足を挫いて歩けなさそうだったので連れてきました」
「あらあら、それは救世主ね。えっと、一年生ね。クラスとお名前は?」
擁護の先生は彼女の上履きを覗き込むようにして授業担当へ提出するための治療証明書を取り出した。
「に、
「すみれちゃんね。次は、化学だったの?」
「はい」
彼女がテーブルの上に置いた化学の教科書たち。上級生の僕らでも使う機会がないほどの参考書まで綺麗に揃えてある。何か特殊な実験でもするのだろうか。
「担当は、何先生?」
「お、
「はーい。よし先輩。君の出番」
そう言って先生は書き留めた証明書を僕の方へ差し出した。僕が尾風先生まで届けろという話だろう。まあ確かにそれが最速であるのは明らかだ。
「あぁ、いいですよ」
「お、さっすがぁ上級生。やるね」
先生はぱちんと指を鳴らして、救護セットを取りに保健室の奥の方へ入っていった。すみれちゃんは申し訳なさそうに僕を見上げている。
「あのっ……ほんとに、ありがとうございますっ」
「ううん。気にしないで。友達か誰かに迎えにきてもらうようにお願いしておくから」
「あ、えっと、でも……」
「ん?」
「友達、いないので……」
僕は彼女から証明書に視線を移した。
「大丈夫、僕だっていないから。まあなんとかするよ」
「遅かったな」
証明書を化学室に届けて教室に戻ると、生田くんは机にもたれて頬を膨らましていた。花恋さんも不思議そうに僕を見る。
「生田くんは、どうなったの? あの後」
「逃げられたぁ。足速いわあいつら。とっ捕まえてガチ説教してやろうと思ったのに……」
「な、何かあったの?」
花恋さんの問いかけに
「あのね、画伯と二人で歩いてたらさ、女の子が降ってきたのよ」
「え!?」
「階段からね、落ちちゃったみたいで。後ろで騒いでた男子とぶつかったみたいでさ。僕と生田くんとで受け止めて、僕は保健室連れていって」
「俺は山へ芝刈りに行ったわけよ」
芝刈り言うな。
「大丈夫だったの?」
「あぁ、足挫いちゃったみたいだけど、そんなに大きな怪我じゃないと思うよ」
「その、女の子もだけど、高坂君も、怪我、してない?」
彼女は眉尻を可愛らしくひくつかせながら、胸の間に組んだ両手を押し付けた。心配に値しないと首を横に振る。
「僕は別に」
「よかったぁ……」
彼女の匂いが柔らかくなった。
生田くんはひたすら口角を上げていた。あれ以降忘れているのではないかと思うほど、本当に僕らの関係について触れてこない。その代わり僕らの間には入り込まず、一歩引いて微笑むのが彼の行動規則になった。
「おーい、生田」
「あ? なんだよ今いいとこなのに」
友達に呼ばれてだるそうに立ち上がる彼の後ろ姿を見る限り、忘れているわけではなさそうだ。
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