第十四話 ギフテッド

「だからっ、気になるってことは好きってことじゃないの?」


「え、えとっ……」


 花恋さんは安達さんに迫られながら僕と彼女と目で行ったり来たりしていた。白い指が小高い胸の前で迷子になっている。


「す、好きっていうか、そのっ、仲良く、したくて……それって、おかしい?」


 安達さんは少しだけ眉を浮かせた。


「だって……いや、おかしくはないけど」


「でしょっ?」


 花恋さんはふわりと笑うと僕の方へ舞うように戻ってきて手を取った。日の差す屋上はいつの間にか麗らかな花壇になっている。


「高坂君も、結衣も、みんな一緒だよっ。大切なクラスメイトだし、恩人だもん」


 僕はその手をどうしていいか分からず、ただただそれを見つめたまま固まった。すると思い出したように安達さんが跳ねる。


「そういえば花恋さ、なんか委員会の仕事あるとか言ってなかったっけ?」


「はっ! そうじゃん! お昼食べたらすぐ集合だったっ!!」


 彼女は血相を変えて弁当箱をさらい、じゃあねと僕らに手を振って屋上を飛び出していった。男たちから二人で逃げた時もそうだったけど、彼女はかなり足が速い。可愛らしい見た目からはあんまり想像がつかないが、なにか運動でもしていたのだろうか。


 残った安達さんは気まずそうに目線を流しながら僕を影の中へ入れる。


「花恋から聞いたけど、あんた、あの子のこと守ってくれたんだってね」


「え?」


 彼女は花恋さんが座っていた椅子を引いた。屋上の地面に四つ足がガリガリ擦れて青い空に滲んでいく間に、彼女は素早く腰を下ろす。それから細い声でつぶやくように言葉を落とした。


「あの、ありがとう。それは本当に感謝してる。だからって花恋がいきなり画伯にベタベタし出すのは、ちょっとあれだとおもうけど、でも花恋は、花恋だけは、絶対そういう世界に行っちゃダメだから……」

 

 彼女の声が微かに高く震えた気がした。


「僕も、花恋さんは愛されるべき人だと思うよ」


 笑顔になるために生まれてきた人は、笑っている顔が一番似合うようにできている。彼女はきっとそれだ。


「安達さんは友達想いなんだね」


「そ、そうよっ。当たり前でしょう? そんなの……」


「ん?」


「な、なんでもないっ」


 彼女は首を横に振ってすっと立ち上がると、足早に屋上を後にした。





「低めのドリブル?」


「そう。バスケはもちろん高さ勝負な場面もあるけど、背の低さが武器になるシーンも多い。画伯は足速いし簡単に死角に入り込めるから相手のパスをぶんどるスティールってやつと、低いドリブルができるようになれば、あのシュート力と合わせて最強戦力だ」


 生田くんは脳内でそろばんを弾いてぱちんと指を鳴らした。


「大丈夫なのかなそれで」


「大丈夫だ。俺に任せろ」


 彼はバスケットボールを床にバウンドさせながら、僕にも一つ放った。


「とりあえず、ボールつきながら動くのに慣れよう。体勢を低くしたり走ったりするのはそれから」


 時代を席巻した有名なバスケ漫画の主人公も、最初手はひたすらにドリブルの練習をさせられていた記憶がある。まさかだが、生田くんもそのうちジャンプシュート二万本とか要求してこないだろうな。


 僕は歩き出す彼に続くように地面を鳴らして歩いた。


「そういえば画伯さ」


「う、うん?」


「絹舞ちゃんとはどうなの?」


「え? どうって?」


「付き合ってるんじゃないの?」


「はぇ?」


 右手からボールの感覚がなくなった。主の元を離れたそれは明後日の方向へぽんぽこぽんぽこ転がっていく。


「おーい、動揺すんな。ドリブル自体は意識の外でできるようになんなきゃ」


「無理があるでしょ」


 僕の意識をボールから外すための会話か。


「ちなみに付き合ってないよ」


「は!? そうなの!?」


 今度は生田くんのボールが明後日に旅立っていく。


「動揺しないで。ってか、そこはわかっててトラップかけたんじゃないの?」


「んなわけねぇだろ。質問は素だわ。えーっ、あれで付き合ってないのかよ。いや、冷静に見れば確かに画伯からは接触してないか。いやだが画伯が草食であることをかんがみた場合あれは確実に絹舞ちゃんが彼女であり学校ではあからさまな接触は避けて家に帰ってからあんなことやこんなことをしているというのが筋に」


「落ち着こうか」


「おっ」


 考察バズーカと化した生田くんに転がったボールをパスして暴走を食い止める。


「確かによく話しかけられるけど、そんな恋人にまで見えることある?」


「ある」


「ないでしょ」


「なかったとしても絶対に絹舞ちゃんは画伯に気がある。これはマジ。1,000%マジ。俺の写輪眼が全てを見通してる」


 百分率をお粗末にするんじゃないよ。


「隣の席ってだけだし。別に花恋さん他の人とも仲良いでしょ」


「ばか。種類が違うんだよ」


 胸の前で受け止めたボールを生田くんは思いっきり地面に叩きつけた。それは彼の身長をゆうに超えてバウンドする。


「種類? 何の?」


「笑顔に決まってんだろ」


 彼は落ちてきたボールをキャッチして、ドリブルでゴール下に切り込みレイアップシュートを決めた。床に落ちたボールをそのままにしてこちらへ歩いてくる。忙しない挙動。


「いいか? 女の子っていうのは、の前にしか見せない何かが絶対ある。義理チョコと本命チョコには明確な差があるからな。絹舞ちゃんの場合は笑顔だ」


「1,000%?」


「10,000,000,000%だ」


「だいぶ増えたね」


 僕は腰の周りにボールを公転させながら、足元へ視線を落とした。


「笑顔って言っても、どれも変わらず可愛らしいと思うけどな」


「当たり前だろ。女の子の笑顔なんて可愛いが水準点じゃねーかよ。違う違う、その奥に眠ってるんだよっ。かぁーそっかぁ、画伯は鈍感タイプな男なんだな。これは行く末が楽しみだ〜ぁ↑」


 生田くんは一人でうねうねしながら奇声を上げた。幸いほとんど人がいないからあれだけど、彼の声は体育館だとよく響く。


「まあ男子の中じゃ人気だからな絹舞ちゃんは。勝負するならしねぇと取られちゃうかもしんないぜ?」


「僕よりもお似合いな人なんて山ほどいるでしょ。僕はいいよ」


「おーい枯れてんなや。んーまぁいい。とりあえず練習しねぇとあんま時間ないし」


「っていうかほんとに良かったの?」


「何が?」


「生田くん部活あるんでしょ? 僕なんかに構ってないで自分の練習行けばいいのに」


 彼は放課後の部活をほったらかしにしてわざわざ近所の地域体育館に僕を呼んだのである。なかなかの摩訶不思議行動だ。


「なに、バスケをやることに変わりはないし。俺は画伯の可能性を信じてる。絶対無駄な時間にはならない」


「例の写輪眼?」


「ガンギマってるぜ」


 生田くんは二つの眼球をバキバキにキメて不敵な笑みを浮かべた。普通にしてたら爽やかイケメンなのに、チャクラがアンビシャスすぎる。


「低くドリブルして相手を抜くっていうのは、針の穴に糸を通すくらい一瞬を見抜いて一気に行かなくちゃいけない。勝負師になれ画伯」


「なるほど」


「じゃあそこでディフェンスっぽく腰を低くしてみ」


 僕は膝を曲げて体勢を低く取った。瞬間、目の前でバウンドしていたボールが地面に吸い込まれるように細かく刻まれて、視界から彼の姿が消えた。


「これね」


「速くない? 絶対できないんだけど」


「最初っからできるわけねーだろ。ただ諦めんな。あ、こいつドリブルもしてくるんだって選択肢を相手に渡せばそれだけでプレッシャーになるし、相手も次が読みづらくなる」


「成功しなくても、いいの?」


「した方がかっこいい」


 結局そこに着地するんかい。


「まあとりあえずやってみよ」


 生田くんはすっと腰を下げた。一見全く隙のないそのディフェンスだが、わかりやすく右側が空いている。


「本番は仲間がスクリーンとかかけてくれるから、ここだって思ったところで突っ込めばいい。今は俺はここで動かないから、低い体勢の相手の横をドリブルで通り抜けるイメージを掴んで」


「い、いけるかなぁ」


「いける。1,000パ」


「わかった」


 彼の言葉を遮るようにボールを軽くバウンドさせて、全く感覚はわからないけど、さっき彼がやったように緩急をつけた。はやぶさが獲物を狩るように僕は生田くんの体すれすれを抜けてゴール下の地面に焦点を合わせる。


「あっ」


 左足がなくなった。何かに当たったのか。考える間もなく体が猛スピードで床への不時着を試みている。


 瞬間。僕は目の前に大きな木目もくめを見た。床ではない。重力に垂直にそれは……。



 がごんっ。



「画伯ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

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