悲しみの雷鳴を凌ぐ時に

ミヤシタ桜

 雨降る夕方。電車に乗る私はぼんやりと真っ暗な車窓の外を眺めながら物思いに耽っていた。


 ――私の何がいけなかったのだろうか。これまで、精一杯に彼に尽くしてきたはずなのに。


 始まりは二人の間にあった共通の想いであったというのに、終わりはあまりにも一方的。本当に酷い人だと思う。あんなにも好きにさせたのはあの人だというのに、その思いの責任までは取ってくれないだなんて。


 電車は一旦、名残惜し気にその歩みを緩める癖に一度、走り出してしまえば、停まっていた駅などつゆ知らぬとばかり、それらを後方の景色へと変えていってしまう。ただの通過点でしかない駅たちに自分を重ねてしまうなんて馬鹿げたことだ。けれど、そんな馬鹿げた妄想はほんのりと私の傷ついた心を癒してくれるようだった。


 停車を知らせるアナウンスが車内に流れ、吐き出されていった人の代わり、私は席に座ると、ふと開いたままの扉を見遣った。そうすると、くたびれた様子のサラリーマンに、溌溂としたOL、今を時めくJKの群れから杖を突く老人、そして、手を繋いだ親子、とほんのわずかな時間でそれだけの種類の人を見て取ることができた。


 ――嗚呼、電車ってこんなに沢山の人生が交わるところだったんだ。


 浮かんだ言葉を反芻して、彼と歩む筈だった道のりを思い、胸が苦しくなる。


 電車は新たに呑み込んだ人たちを乗せ、その重みにため息を吐いて、また気怠げに走り始める。


 流れていく。置いていってしまう。


 想いも人も、何もかも。

 

《次は南千住です。JR常磐線、筑波エクスプレス線はお乗り換えです。The next stop is minamisenju H21……》


 車内放送に合わせて、私も降りる準備を始める。


 といっても私の手元にあるものなんて限られている。確認するまでも無い事だった。


 ふっと掠れた笑みが漏れて、はっと周りを見渡して見られやしなかったかと確認する。


 とはいえ、多くの人にとって、電車の中というのはある種、個人の時間を過ごす場でもある。そんな場所にわざわざ、人を観察しているような物好きは居なかった。


 ドアが開き、駅のホームに一歩、二歩と足を進める私はもう過去の人。ただ忘れられるだけの――


「あの、すいません……!」


 ――振り返るとそこに立っていたのは黒いスーツに身を包んだ私より頭二つ分、背の高い男の人だった。


「私……ですか?」


 指を自分に向け、こわごわ男の人に訊ねる。そして、どうやら、その質問は正解だったらしい。


 彼が頷き、その手に持っていたものを私に差し出す。


「あっ……!ありがとうございます!私、ちょっとぼんやりしてたみたいで……」


 それは花柄をあしらったチープな傘。でも、私にとってはそのチープささえも愛おしかった宝物。宝物だったもの。


 こんな雨の日に傘を忘れるだなんて、相当なうっかり者だ。きっと傘を届けてくれた彼も心底、呆れていることだろう。


 けれど、そんな私の考えとは裏腹に少し疲れた様子だった彼は爽やかな笑みを浮かべて言う。


「いえいえ。僕も今日は色々と電車の中で考え事しちゃって。だから、なんとなくぼんやりしちゃう気持ち、分かりますよ。

 それから、これはただのお節介なんですけどね」


 そう前置きすると彼は自身の口角を人差し指で持ち上げてみせた。


「そういう時こそ、笑顔で。そしたら幸せは向こうからやってくるものだよ、です!」


 大の大人がそんな事を真面目に言って見せるものだから、私は思わず、笑ってしまう。


「笑って頂けて良かったです。じゃあ、僕はこれで!」


 そんなものだろうか。


 ニコリと微笑み、慌ただしく、電車の中へと戻っていく彼の背に問いかけ、思う。


 そんなものかもしれない、と。

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