第11話 蘇る、大切すぎたキミ。

「ち、ひろっ……!」



 ああ、そうだ。やっと……全部全部、思い出した。



「……なんで、ちょびが……」



 目の前で驚いている彼の名前は『ち』ば『ひろ』とで、私の名前は千夜美。


 ちひろ――ヒロトは、ある雨の日に捨てられていた、当時まだ子猫だった私を拾ってくれて、



『絶対に助けるから、死ぬな……!』



 衰弱しきった私を自分の上着に包み、病院までつれて行ってくれた。

 それから、お家につれて帰って、暖かい部屋でミルクを飲ませてくれた。


 彼は私にとって、この世界で何よりも大切な命の恩人だ。



「わた、し、」



 だから私は、あなたとお別れしたあの日。


 綺麗な満月の夜に流れ星をつかまえて、神様にお願いしたの。



「ち、ひろ……っ、わたし、は、」



 あの時――……ヒロトが泣いていたから。



『ごめん、ちょび……ごめんな……』



 何度も何度も謝って、私の前からいなくなってしまったから。




 ***




(ちひろ、なかないで)



 ……ああ、そっか。

 私が“猫”だから、ちひろと一緒にいられないんだ。


 だから、ちひろは泣いている。



(わたしの、せいだ)



 それなら、かみさま。おねがいします。


 どうかわたしを――……、



(にんげんに、してください)



 あのね、ヒロト。私はね。

 もう一度、ヒロトの笑顔が見たかったんだ。


 それから……欲張りを言うと、もうちょっとだけヒロトのそばにいたかった。


 ヒロトが私を助けてくれたみたいに、今度は私が……ヒロトを助けたかった。



(かならず、あいにいくよ。やくそくするよ。だから、)



 だからどうか「ごめん」じゃなくて、いつもみたいに笑って、私の名前を呼んで?




 ***




「千夜美……」



 ヒロトがぽつりと呟いて、一つまばたきをした次の瞬間には、



「!?」



 苦しいほどに力いっぱい抱きしめられていた。


 私の目から絶えずこぼれ落ちる滴が、じわじわと彼の肩にシミをつくってしまう。



「千夜美……やっぱり、千夜美なんだな……?」

「うん……っ!」



 千夜美。


 私の大切な、たった一人のご主人様が付けてくれた宝物の名前。



「千夜美……千夜美、」




 存在を確かめるみたいに、ヒロトはわずかに震える声で繰り返し名前を呼ぶ。


 そして、私の後頭部に片手を置き、ぐっと自分の体に押し付けた。



「ち、ひろ……っ」



 腕をめいいっぱい伸ばして、彼の体を抱きしめる。



「あい、たかった……! ずっと、ちひ、ろに……!」



 会って、


 それから、



「俺も……俺も、ずっと会いたかった……っ!」



 耳に届いたのは、今にも消えてしまいそうなほど小さくて掠れた声。


 少し体を離してヒロトの顔を見やれば、彼は私と同じようにぽろぽろと涙を流していた。



「ちひ、ろ……おね、が、い……なかない、で……?」

「ごめ、ん……ごめん、ちょび……ごめんな。ごめん……俺、本当に最低で……あの時、お前のことを」



 ――……捨ててしまった。


 彼がその言葉を落としてしまう前に唇を塞ぐと、ヒロトは目を見開き驚いてみせる。



「……ちひろ、」



 ずっと、あなたに言いたかったことがあるの。



「あのね、」



 私はね、ちひろ。あなたを恨んでなんかいないんだよ。

 それに、「捨てられた」なんて思ってない。


 だって……ちひろはこの世界で唯一、私を助けてくれた人。

 それに、名前だって付けてくれた。


 ううん、それだけじゃない。

 暖かい場所に、お刺身。知らない世界、楽しいこと……他にもたくさん、私にくれた。


 それから、



「拾って、くれた」



 あなたは、私のことを二回も拾ってくれた。


 だから「ごめん」はいらないんだよ。

 ちひろは、なんにも悪くない。



「わたし……っ、こんど、は……今度は、ずっと、そばにいる、から……!」

「……ちょび、」

「だか、ら……だから、ちひろ……わら、って?」



 離れてからずっと、私が祈っていたことは……あなたが今日も笑顔で過ごせていますように。たったそれだけだった。


 猫が人間になって会いにきた、なんて。きっと誰も信じてくれないような出来事なのに……ヒロトは「最初に会った時から、なんとなくそんな気がしてた」と言って、鼻水をすする。



(ちひろは流石だね)



 私が服の袖で彼の涙を拭えば、



「普通……それやるの、逆」



 ヒロトが不服そうにそう呟く様子はなんだか小さい子供みたいで、思わず笑うと、



「こーら、笑うんじゃありません」



 人差し指でピンと額を弾かれた。


 少しの間を置いてお互いに体を離し、彼は私の顔を両手で包み優しく持ち上げる。



「おかえり、千夜美」



 そこに咲いていたのは、私が見たくてたまらなかった――……ひまわりみたいに優しくて、あたたかい笑顔だった。



「ただいま、ヒロト……!」




 ***




 かみさま、かみさま。

 あと一つだけ、お願いがあります。


 もう一度、私のお願いを聞いてくれるなら。


 どうか、



「にゃー」



 不意に、道の端から聞こえてきた鳴き声。


 足を止めて声が飛んできた方向をよく見れば、草影に捨てられたダンボールが一つ。


 その中を確認すると、子猫が一匹。小さな体を震わせてこちらを見上げていた。



「どうしたー? 千葉ちゃん」

「涼哉さん……いい加減、その呼び方やめてくださいよ……なんか俺が呼ばれてるみたいで寒いです」

「えー? じゃあ、千夜美ちゃんって呼んでいいの?」

「……ダメです」

「ほらな?」



 子猫をそっと抱き上げて、ヒロトとタチバナのもとに急いで駆け寄る。


 私が何か言うよりも早く、ヒロトは口のはしを持ち上げて、



「いいよ。つれて帰ろう」



 優しい声音で言葉を繋いだ。



「ありがとう、ヒロト! この子の名前、私が付けてもいい?」

「ははっ、いいよ」

「やったー!」



 神様。

 もう一度、私のお願いを聞いてくれるなら。


 どうか、この先も――……彼の笑顔を一番そばで見られるのは、私でありますように。




 ***




『人間にしてあげる代わりに、あなたも何か代償を支払わなくてはなりません』


(だいしょう?)


『そうですね……では、記憶を預かりましょう。安心してください。一時的に忘れるだけで、完全に消してしまうわけではありません』


(どうしたら、もどりますか?)


『……いつの世も、心を溶かすのは真実の愛です。彼があなたの正体に気付き、心からあなたを愛してくれたなら……その時、記憶は戻るでしょう。ですが……正体を見破れず、さらに愛してもらえなかったら……記憶は永遠に戻りません』


(……)


『それでも、彼のために人間になりたいと望みますか?』


(はい! だって、きおくがなくなっても……わたしがちひろをだいすきだってことだけは、ぜったいにわすれない。だから、なにがあってもだいじょうぶ)

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